アスファルトはお休み中。
結局、球技大会ではそのまま負けてしまった。私は兵士さんの頭に当たったボールを呆然と見つめて、時間切れの笛の音に瞬いた。「く、くそいてぇ」 兵士さんは頭を触って、地面に突っ伏した。「顔面セーフだったんだから、もうちょっといけたのになぁ」とがっかりしているお友達の首元を掴んでぷんぷん怒っている。それよりも今、お姫様って?
お姫様っぽい雰囲気って一体なんだろう、という疑問は時間とともに風化した。兵士さんのことが気になって仕方なくって、ちらちら視線の端で捕らえても、彼はただのクラスメートで、きっかけがないと、話すことも難しい。わざわざ理由を作るのも大変で、けれども掴んだ一つの言葉が嬉しくて、幾度も思い返して、机に頬杖をつきながら勝手に口元を笑わせた。
こんにちは、私、あなたの前世と知り合いなの。
そんなことを言えたら、どんなにいいだろう。けれどもそれは私が勝手な満足をするだけで、きっと何も意味もない。私の心の奥底で眠っている彼女も、そんなことは望んでない。彼女はただ、叶えることもできない小さな願いを胸にして死んでしまった。私はそんな彼女のほんの少し欠片を掴んでいる。瞳をつむった。じわじわと、蝉がなく声がきこえる。
いつの間にか、夏休みになってしまった。
「あ」
「あ」
にじむような汗を拭って、アスファルトの上で彼と出会った。つばのついた帽子をかぶっていて、見慣れない半袖の私服だ。あまりの暑さに、ゆらゆらと蜃気楼が揺れているみたいだ。「お久しぶり……ですね?」 夏休みになってから、もちろん彼とは一度だって会っていない。でもその前から、ぽつりぽつりと会話を交わすくらいだったけど。「……ん、ああ」 兵士さんが首元をひっかいて視線を逸らした。じわじわする。
「えっと、夏休みの宿題は終わりましたか?」
「まあ、ぼちぼち。……あんたは?」
「終わりましたよ」
つい先週のことだ。兵士さんは少しだけ考えるような仕草をして、「相変わらず真面目だな」と呆れてなのか、ため息をついた。兵士さんは、何か私を勘違いしているような気がする。彼の前ではしゃっきりするようにしているけれど、実際はそんなことないし、宿題だってすることがなくて仕方なくだ。なんとなく、兵士さんを前にすると自分をよく見せたくて背伸びをしてしまう。それがどうしてなのかと言われると、少し説明が難しい。
「どっかに行くのか」
「ええ、ちょっと図書館に」
ただの散歩なのに、やっぱり格好をつけてしまった。そんな自分が恥ずかしかった。兵士さんは私の返答なんてどうでもよさそうに、「ふうん」と相変わらず視線を逸らして頷いた。
二人で同じ信号を待った。続ける言葉がなくて、時間ばかりがもったいなく過ぎていく。どうしよう。頭の中ではしょうがない言葉ばかりが浮かんで、なんだか違うと首を振った。どうしたらいいだろう。ひっそりと彼を盗み見た。そんなとき、ぱちりと視線がかちあった。あれ。
兵士さんって、こんなに背が高かったっけ。
ほんの少しの差なのかもしれない。でも教室で会っていたときとはなんだか違う。ちょっと見ない間に、隣に立つ彼の背がひどく伸びていることに気づいて、なぜだか驚いて瞬いた。ぶんぶんと、車が目の前を通り過ぎる。互いに目を合わせたまま、奇妙な間があった。と、思えば、彼は自分の帽子を、ぽすりと私の頭にのせた。「暑いだろ。帽子くらいかぶっとけ、ばか」 信号が、赤から青に変わってしまった。兵士さんがぱっと走って消えていく。
息ができなかった。
少しぶかついた帽子をかぶって、彼の小さくなる背中を見つめた。なぜだかひどく首筋辺りが熱くなって、視界が滲んだ。声を出すこともできなくて、きゅうっと痛くなる胸に片手をおいた。
車と蝉の音ばかりが大きく聞こえる。
***
やってしまった。俺は必死に走って、走って逃げた。
関わるものか。そう考えていたはずなのに、偶然に彼女に出会えたことを喜んで、必死で唇を噛んで誤魔化した。(つーか、ただのクラスの男にあんなの渡されても困るだろ!) わかってる。なのにわかってない。やってしまった。
こんな暑い日差しの中なのだ。心配をさせるにもほどがある。「あー!!」 口に出した声は、必死の羞恥を飲み込んだのだ。なのに会えたことは、やっぱり嬉しかった。「くっそ!」 全速力で走って逃げた。
夏が溶けて、消えていく。
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