春に出会って、それから


 生まれ変わったら、前世で好きだった女がクラスメートになってしまった。一体どうしろというのだ、というのが、今の俺の正直な心情だ。



 ライアー、という名で呼ばれていたことがある。そこは中世のような城の中で、けれどもやっぱりどこか違うような、遠い遠い異世界の話だ。がちゃがちゃと重たい鎧を着て、高い塔を何度も登って、降りてを繰り返した青年だった。それを俺は幾度も夢に見て、泣いて、飛び起きて、“あいつ”はここにいないのだと思い出す。ざわつく教室の中で、自分ばかりがどこか遠くにいるようで、机の上に突っ伏した。



 いつしか時間が過ぎて、きっといつしかこの想いも風化していく。そう思っていたはずなのに、うっかりあの子と出会ってしまった。やってられるか。






 昔の面影なんてどこにもない。なのになんで、彼女がそうだと確信したのか、自分だってちっともわからない。それでも彼女は俺にとって可愛らしいお姫様で、花のような女の子だ。神様に祈ってばかりで、けれどもひどく強かったあの女は、ふわふわ髪の、すっかり綿菓子が似合う女の子になってしまった。それでも彼女は彼女なのだが。



 中学生になって、真新しい学ランに袖を通してぎくしゃくと歩いていた入学式で、「こんにちは」と声をかけられた。そのときは心底驚いて、びびって、震えて、実のところ、ちょっと泣いてしまいそうになった。それでも必死に欠伸をして誤魔化した涙を、この子が知るわけない。



 幸せになって欲しい。そのためには、俺みたいな過去の副産物はさっさと口を閉ざして、消えてしまって、関わらないものになろうと、そう誓った。でも本当のことを言うと、彼女に触れたくてたまらなくて、気づけば後ろ姿ばかりを目で追っている。つないだ指先を、繰り返し思い出して、ため息がでた。いつものことだ。




 ***




「――くん、――くん」



 聞こえた声に、必死で聞こえないふりをした。あの子の声だ、とわかると、背中の後ろがぞわぞわして頭の中が痛くなる。関わりたくない、とそう思うのに、彼女の声がこれまた好きで、そのまま寝たふりをした。どんどん困ったような声になる。仕方ない、と欠伸をしながら伸びをすると、彼女はほっと息をついた。その胸にはたくさんのノートを抱えている。



 悪いことをした、と心底慌てたくせに、わざとくさくのったりと動いて、「なんか用かよ」 わかってるけど。ごめん、と頭の中で謝ったところで、相手に伝わっていなきゃ意味がない。彼女は少しばかり驚いたような顔をして、まんまるに目を見開いた。罪悪感に、心臓が痛くなったところで、相変わらず可愛らしく、彼女はにっこりと笑った。



「数学のノートです。あとはもう、あなたの分だけなんですよ」

「そりゃあ悪かったな」



 真面目なこの少女だ。話しかけることもできずに、さぞ困っただろう。入学してそうそう、教師に気に入られたのか雑用を任されている、相変わらず真面目な俺のお姫様にため息がでた。お願いだから自由に生きてくれ。



 のったりのったり机の中を漁って、はいはいどうぞと座ったまま、彼女が持つノートの束の上に置いた。話は終わった。けれどもなんとなく互いに見つめ合った。どうでもいい顔を作るのも大変だ。なのに気づいたら立ち上がって、彼女を見下ろしている、と言うことができればいいけれど、実際は大して背丈も変わらない。少しこっちが高いくらいだ。



 ただただ、抱きしめたかった。



 塔の中に押し込められた、小さくて細い彼女の指先を思い出した。そんな彼女をかき抱いて、細い肩に顔をうずめて、とにかく力いっぱい抱きしめたかった。君の幸せを、力の限り祈っている。そう言いたくてたまらない気持ちを押し込んだ。本当は、俺は彼女の指先しか知らない。生きている彼女の顔なんて、見たこともない。だからどんな表情で笑うのか、泣くのか。想像だってつかない。でもきっと、こんな顔だったんだろうと、勝手にそう思い込んだ。



 愛しくて、愛しくてたまらなかった。だから気がついたら勝手に手のひらが動いていた。びくりと彼女が震えたように感じた。それから力いっぱい抱きしめた。そんなわけない。



「職員室に、持っていけばいいわけ?」

「えっ、え? いいですよ、私が頼まれたので、悪いです!」

「あんたの足じゃ日が暮れる」



 そんな嫌味を呟いた。すまんね、俺のお姫様。こんな馬鹿が、あんたを好きで悪かったよ。あんたは俺が、こんなことを考えているだなんて、きっと思いもしないだろう。すまんね、と頭の中で何度か呟いて、「ついてくんな。意味ねぇだろ」 憎まれ口を叩いてみた。なのに彼女は、「ええ?」と困って笑うばかりで、これまたひどい責任感だ。なのに彼女が隣にいることが、俺はひどく嬉しくて、たまらなかった。




 ***




「ついてくんな。意味ねぇだろ」



 そう言って舌を打った彼は、相変わらずお節介なくせに、優しい兵士さんなのね、と思ってしまった。まるでぶっきらぼうな口ぶりなのに、そっぽを向いて優しさを隠している。入学式で彼と再会したのは、ついこの間のことだ。眠たそうな顔をしている男の子がいて、びっくりして、すぐさま声をかけてしまった。それから少し話をして、彼が同じクラスであると知って、飛び上がるくらいに喜んだ。



 だから、先生が「誰かノートを集めてきてくれ」と言ったときに、いの一番に立候補してクラス中から集めまわった。彼が最後になったのは、やっぱりどこか緊張しているところがあるからだ。息を吸って、吐き出して、それから机に向かって寝ている彼に、何度か声をかけてみた。のそのそと顔を上げた彼は、やっぱりどこか眠そうで、『なんか用かよ』とめんどくさそうに吐き出された言葉が昔のままで、少しだけびっくりして、こっそり心の中で笑ってしまった。



 それから、ちょっとだけ驚いた。ふと立ち上がった彼は私が持っていたノートの束を取り上げた。けれどもそのとき恥ずかしながら、手のひらを握られるのかもしれない、と勘違いしてしまった。まさかそんなことがあるわけもなく、兵士さんであった彼は、今は真新しい学ランにどこか着られているように、服の袖を引きずっている。でもきっと、すぐに大きくなるんだろう。



 私は兵士さんの背中を追った。彼ともっと話したい。けれどもそんな私の気持ちは彼には関係のないことで、まして悪花と呼ばれたあの少女が、口の悪い青年の訪れを毎日心待ちにしていたことなんて知るわけがない。名前も顔もしらないあの青年と壁越しに言葉を交わすことが、彼女はとっても楽しかったのだ。



 その感情が一体何だったのか。本当のことを言うと、今となっては私にもわからない。私はわたしで、彼女ではない。けれども彼の背中を追いかけることが楽しくて、ずっとこんな時間が続けばいいと思ってしまった。



「……おい。こけんな。はしんな。慌てんなよ」

「え? ふふ、大丈夫ですよ。心配性ですねぇ」

「誰がだ誰が。あんたがふらふらしてるからだ。まっすぐ歩け」

「桜ももう散ってしまったなあと」

「よそ見してんな、てかついてくんなっての!」

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