酔って見る夢

春嵐

第1話

発車のアナウンスで、目覚めた。


電車。目の前を走り去っていく。

人通りのない、寂れた駅のホーム。ベンチの固い感触。誰もいない。


誰も。


いない。


「なんで」


頭がおかしくなってしまいそうだった。

今までの、ついさっきまでのことは、全て、夢、だったのか。


だんだん、身体の感覚が戻ってくる。ヒールの痛みと共に。頬を伝わる、よだれの感覚。


「うわっよだれが」


手の甲で拭った。なかなか、よだれの感覚って、消えないもんだな。


夢。全て、自分の見ていた、夢。


「だとしたら、妄想たくましいかぎりだよ。ほんとに」


好きな人と、呑み屋に行って飲み会をする、夢だった。たのしかったのに。うれしかったのに。夢かよ。


ため息。ここ数ヵ月でいちばんでかいやつが出た。自分のどこにそんな酸素と二酸化炭素たくわえてたんだよ。


「喉乾いたな」


この寂れた駅の自動販売機は、改札の外にある。立ち上がって誰もいない改札を抜けない限り、飲み物にはありつけない。


「ひどいな、ほんとに。散々だ」


好きな人がいた。

仕事に行くとき、いつも同じ時間帯の電車に乗る人。

最初は、本当にたまたま乗る電車が同じだった。それが何回も重なっただけ。いつのまにか、その人が電車のどこにいるかを探したりして。


そうこうしてるうちに、なんとなく3号車のホーム側が固定位置になって。そこまで混んでいる時間帯じゃないから、私が座席に座って、その人は手すりに掴まって、お互いをなんとなく見たり、ときには天気とかお酒とかの話をして。たまたま二人ともお酒が好きなタイプだったから。


でも、私はその人が好きになった。毎朝、なんというか、下手くそにスーツを着てて。なんか窮屈そうにしてて。寝癖とかあって。でも、こちらを見ると、にこって笑う。


意を決して、お酒に、誘った。

近場にいい呑み屋があるから、一緒に行きませんか。

ただそう言うだけなのに、めちゃくちゃ練習した。鏡の前で二十回ぐらい繰り返した。

そして、脈絡なく、突然車内でお酒に誘った。


ばちこり噛んだ。


ちきゃばにいいのみやぁがあるから、いっしょにいきあせんか。


何人だよ。いや何訛りだよ。


いたたまれなくなって次の駅でダッシュで降りて。会社まで歩いて。めちゃくちゃ仕事して。いや失恋すると仕事が捗るってほんとだな。案件消化率すごかったわ。


ここまでは現実。


で、帰りの電車乗って、降りて、一気に疲労感が出て、ホームのベンチでよだれ垂らして寝て。


そして、呑み屋に行ったのは夢。実際は行ってない。たのしい時間を、夢で補完した。寂しい性分だよ全く。


「目が覚めれば、こんなもんか」


きっと、仕事で疲れてたんだ、私は。そう思うことにした。


「くそっ」


失恋のショックから立ち直れん。というか、どこからが夢でどこからが現実なのか、まだ曖昧でよくわからん。


「どうせなら全部夢にならないかなぁ」


お酒に誘ったあたりから全部夢であってくれないかな。


「いやそれはないな」


めっちゃ恥ずかしかったし。あれは間違いなく現実。


「いい夢だったよ、ほんとに」


呑み屋でその人とたのしく呑んで。いい雰囲気になって。また呑みましょう、なんて言ったりして。


「夢かぁぁぁ」


夢なんだよな。だってわたし、その人の顔は分かるけど、名前わかんないもの。いつも天気とお酒の話ばかりだし。話の脈絡で名前訊くとか連絡先訊くとか、そんなことができるほど会話上手くないもの。呑み屋に誘う文言ですら二十回ぐらい練習して、その上で噛んでるんですもの。


「まず、呑みに誘うんだから連絡の手段ぐらい」


訊かないとだめだった。いやそういう下心があって、呑み屋に誘うっていう手段を思いついたわけだから因果が逆だけど。


「しばらく3号車には乗れないなぁ。でも顔がなぁ。好みなんだよなぁ。ずっと見てたいんだよなぁ」


明日以降は、隣の4号車の窓から好きな人の顔をこそっと眺めることにしよう。

そして、しばらくしたら、忘れよう。電車の時間帯を変えよう。


「思春期かよ」


なんという浅ましさ。あれだけ大失敗して、それでも顔は眺めたいというのか。


ため息。ここ半年でいちばんでかいやつがでた。さっきよりもでかい。一時間も経たないうちに記録更新だよ。


「帰るか」


帰って酒呷って寝よう。


失恋してできた心の穴にアルコール思いっきりぶちこんで、感情と人格を殺そう。それがいい。さぁ呑むぞ呑むぞ。乾坤一擲の宅呑みじゃ。


立ち上がって、せいいっぱいの、伸びをした。


「ふぅ」


よし帰ろう。

さっきまで座ってたベンチ。


隣。


隣に。


人が。


「あっ」


うそだろ。


「あの、えっと」


なんでここに。


「ごめんなさい、その、気持ちよくおやすみになってたので、起きるの待ってたん、です、けど」


好きな人なんでここにいるの。


「ごめんなさい、すぐに声をかけるべきだったのに、その、なんかたのしそうにひとりごとを、おっしゃってた、ので」


無言。


耐えがたいほどの、沈黙。


「あ、あの」


終わった。何を言われても詰みよ。というか私の独り言全部聞かれてたわよ。たしかわたし、顔が好みとか呟いてたわよ。


「朝、すぐ降りられたので答えられなくてごめんなさい。行きます。呑み屋。呑みましょう。一緒に」


あっ。


「ゆめがげんじつになった」


「えっ」


「あっ」


目覚めた。


「えっ」


目覚めた。


目覚めたという現象を、数秒理解できなかった。


「まって、ちょっと待って、夢?」


どこからが夢で、どこからが現実だ。


「はっ」


よだれ。よだれが大洪水。手で拭った。長らく残っていたよだれの感覚が、遂に消えた。


ここは、現実。


現実か。


「夢。どこまでが現実で、どこからが夢」


落ち着いて。落ち着け私。


まず、ひとつずつ、たしかめよう。よだれの量と感覚から、まず現在は現実。したがって、今の私は現実にいる。


呑みに誘って盛大に噛んだ。


これも現実。まちがいない。鏡の前で練習したし、噛んで恥ずかしかったし。


つまり、夢のなかで、夢を見ていた、のか。


たのしく呑んでる夢を見て、そして、そこから目覚めて懺悔してたら、実は隣に好きな人がいて。


隣を見た。右。左。もういちど、右。


だれもいない。


寂れた駅のホーム。


「つまり、隣に好きな人がいたというのも、夢」


そうか。


そうだよな。


隣にタイミングよく好きな人が座ってて、私の独り言をじっと聞いてるなんて、そんなの、都合がよすぎる。


そこも、夢。


つまり、単純に、寝て起きただけ。


たのしいことは、すべて夢。


「夢か」


失恋した事実だけは、変わらない、か。


たのしく呑んだなんて。


夢。


「あぁ、なんかおかしくなってきた」


わざと声を出して、出てきた涙をごまかした。


「全部夢とか、ほんと、妄想力たくましいわ」


泣けてくるなぁ。


全部、夢。


たのしく呑んだのも夢だし、起きたら隣に好きな人がいるのも、夢。


「かなしいほどに、思春期だ」


こんな脳内が思春期から進化してないようなやつが、お酒なんかにはまりやがって。


もう禁酒してやる。


いやだめだ。


むしろ今こそ呑むべき。


「よし」


立ち上がった。


大きく伸びをする前に、右と左をもう一度確認する。


やっぱり、誰もいない。


大きく、長く、伸びをする。


現実。


身体のこわばりも、現実。


「さて、帰るか」


もういちど頬を拭ってよだれの有無をたしかめてから、歩き出した。


改札を抜ける。


この寂れた駅の自動販売機は、改札の外にある。


「あっ、起きましたか」


改札を抜けた先に。


「はい。どうぞ。寝言で喉乾いたなって言ってましたよ。呑みすぎたんじゃないですか」


好きな人がいた。

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酔って見る夢 春嵐 @aiot3110

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