4 第43話 魔を呼ぶ気配

 応接室に居合わせた者たちの口から、どよめきが漏れる。

 サナトとレラには証書に取り巻く精霊たちの姿が視えていた。唄文ばいもんに反応して強い光を放っても、それは決して炎によるものでは無い。

 皆がひとつ呼吸を終える間に、証書の輝きは掻き消えていった。


「うむ、灰にはならなかったようだ。この証明書は本物であることが示された。ならば身分に関しては疑うものではない。これでお前も納得したであろう」

「お……仰せのとおりでございます」


 ケルバーは呻きながらこうべを垂れる。

 二人の元に証書が返却され、レラはほっと息をついた。


「今この時より、サナトらが行くまで何人なんぴとたりとも書庫の立ち入りを禁ずる。閲覧にはアントーニアが立ち会いなさい。司書には私から話を通しておこう」

「ありがとうございます」


 笑みが戻り始めたレラがお礼の言葉を述べ、サナトも目礼する。

 そんな若い二人を見て、エルネストは頷いた。


「今日はもう遅い、長旅で疲れもあるだろう。閲覧は明日より行うように。私はこれより他に話し合いがある故、歓迎の席も後日にさせてもらう」

「長くお時間を頂きまして、ありがとうございます」


 レラが丁寧な言葉を返してから、退出を始める。


「ああ、そうだ姉上」


 サナトに付き添うアーニアが扉近くまで足を向けてから、ふと思い出したように振り向き、見送るアントニエッタへ声をかけた。


「カルネラ商会のジャンニが馬鹿なことをして歩いていたぞ。詳しい話はニノから聞いてくれ」


 同じく、退出を進めていたニノが、はっと思い出した顔を向ける。

 苦笑する従者たちを前にして、アントニエッタは額に手を当てた。


「あぁぁ……もう、想像がつくわ。今度はきつく懲らしめなくてはならないようね」


 後ほど報告に上がるように言い添えるのを聞いて、サナトたちは応接室を後にした。


     ◆


「お部屋まで、ご案内いたします」


 扉を出て、うやうやしく頭を下げたのは、痩身で青白い顔の男だった。

 たった今、ベスタリア国王の留守を預かるエルネスト王子との会談で、家臣らの後ろに控えていた一人である。

 城の入り口でアーニアを出迎えた従者のように、灰色の髪を丁寧に整え襟の詰まった衣服には乱れ一つないものの、エルネストの家臣なのか、その従者に当たる者なのかは判然としない。サナトにとってはどのような身分でも構わないものだったが、取り巻く精霊や男から滲む微かなおりの気配の方が気になった。

 声を掛け、戻しを行うほどではない……が、目を離すこともできない。


「既に寝所とお食事のご用意は整ってございます」


 言葉や態度は丁寧でありながら、魔獣のような銀狼の姿やサナトの瞳を一瞥いちべつしては、恐々と視線を逸らす。その態度は、エルネストが身分の証明をしたにもかかわらず、不審の色を強くしているのだと知らしめていた。

 一方アーニアは、案内人の不審な様子に気づいているのかいないのか、変わらない声音で付き従っていた者たちに声をかける。


「ファビオ、お前はここまででいい。城付きの治癒魔法師に足の具合を見てもらってこい。ニノは付き添い、これまでの経緯も報告するのだ」

「はっ」


 二人そろって短く礼をし、その場を後にする。


「サナトたちには、堅苦しい話を長々と聞かせてしまったな」


 点々と灯りの続く廊下を歩き出した痩身の従者に、若手のパウルが少し距離を開けて歩き出した。その一歩後ろを平然とした様子のアーニアが続き、サナトとレラ、警戒するように耳をピンと立てたままのナギが行く。最後尾はジーノとダルセルが並んで着いた。

 これではまるで、護衛や護送のようだ。

 レラも不自然さを感じたようだが、口を閉ざしたままサナトの隣で足を進めていく。

 一呼吸を置いてから、サナトはアーニアに声をかけた。


「国の留守を預かる者と話ができたのはよかった。お前が事前に、俺たちのことを知らせていたのだろう?」

「ははは、サナトは全く物怖じしないな。兄上は次期国王であらせられるというのに」


 アーニアが笑い返す。

 物怖じしない、と言われるような態度を取ったつもりは無いのだが、そう思わせる言動でもあっただろうか。首を傾げるサナトにアーニアは前を向いたまま続ける。


「――此度こたびの件は兄上が興味を持ってくださってな。ゆっくり話をしたいと言っていたのだ。まぁ、諸々もろもろの事情により長い立ち話で終わってしまったが」


 一度言葉を切ってから僅かに声を落とす。


「お前たちならば、気づいたであろう?」

「澱か」

「うむ、兄上の応接室には良からぬものが入り込まないよう、結界を施しているにもかかわらず違和感があった。あれは、妖魔か?」

「そこまで力を持ったものではない……だが、いい兆候でもない。おそらく、魔を呼ぶ者が紛れ込んでいる」

「やはりそうか」


 アーニアが鼻で嗤うように息を漏らした。

 ことさら明るい声で話していたのは、そ知らぬふりをしていた……ということのようだ。


「私や父上が城を空けていた間に、随分好き放題にされていたようだ。姉上が急に里帰りをすると言い出したのもうなずける」


 サナトの隣を行くレラが、首を傾げるようにしてアーニアに問う。


「里帰り……でございますか?」

「うむ。姉上は一昨年、東の領主クンバーヌス卿の元に嫁いでな。今回、領主は父上に随伴してダウディノーグ王国へ行っているため、その間の留守を預かっていたのだが……精霊が騒ぐと言って王都に戻っていたらしい。おかげでまとめて顔を合わせることができた」


 明るい声で、楽しそうに笑う。

 サナトはレラと顔を見合わせた。


「王家の者は精霊を視ることができるのか?」

「ある程度は」


 前を見据えたまま、アーニアは答える。


「気配を感じる。危機の際には予感がする……という程度よ。お前たちが知る半分も見聞きできていないだろう。もっと明確に感知できたならば、今頃、国や城はこのようなかたちになってはおるまい」


 改めて、自分たちの感覚の方が鋭すぎるのだとサナトは知る。

 深淵の森に居た頃から、森の外に暮らす者は、サナトたち森の人ほど明確に精霊を感じ取ることができないのだと聞いていた。勿論、クタナ村の声聴きグルナラのように、はっきりと分かる者もいるが多くは無い。


「心配するな、お前たちは兄上がお許しになった私の客人だ」


 アーニアは背筋を伸ばしながら、歩みを止めずに言う。


「城の者もおいそれと無礼を働くことは無いだろう。それでも用心はしてほしい。……余りに不快ならば、城の外に宿を用意することもできるが……」

「そこまで気をつかう必要はない」


 サナトは答え、レラの方に顔を向ける。


「俺たちにはナギがいる。精霊の守護も厚い」

「ええ」


 頷くレラに、アーニアは安心したように息をついて返した。

 ナギもニヤリと口の端を上げて尾を振り、サナトを見上げる。


「そうか。まぁ、万が一の場合は多少城を壊しても構わん」

「アーニア様……」


 前を行くパウルの耳に届いたのだろう。苦笑する声で呟き、肩を落とす。

 更にその前を行く従者の耳には届いていないのか、それとも聞こえない振りをしているのかは分からないが、変わらない歩調のまま廊下を進んで行く。

 気がつけば結構な距離を行き、やがてひとつの大きな扉の前で立ち止まった。


「こちらでございます」


 ガチャリ、と重い音を響かせ、取っ手を回し開ける。

 重厚な扉の向こうは、驚くほど豪華な寝所となっていた。






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