6 第77話 きたる災厄

 延々と続くかのように見える空洞。

 その先に進むにつれ、襲い掛かる妖魔の姿形に変化が出てきた。


 多くは短身痩躯の小鬼だが、狂暴化した鼠の魔獣や明らかに巨大な多足のむしなど。しかも暗がりから俊敏な動きで攻撃してくるものが多く、考え、判断するより先に剣で迎え斬らなければこちらがやられる。殺伐としたやり取りに息を飲む。


 ただ斬り進むより他にないのだ。

 東の街道で会った魔物のように、意志の疎通そつうが可能なら他の戦い方もあるだろう。だがこの場では、そんなことなど言っていられない。

 命のやり取りに一切の躊躇ちゅうちょも見せず、臆することも無く、アーニアはナギと並んで反撃を続ける。続けられるだけの体力と剣技あってのことなのだが、仮にも一国の姫である。不意打ちを喰らわないよう魔法で補助し続けながら、サナトは改めてお付きのジーノやファビオたちの苦労を思った。


「サナト、待て」


 不意にアーニアが腕を横に伸ばし、サナトとナギの足を止めた。

 注意深く周囲の壁や天井、床を見渡し、足元の少し大きめの石を拾って数歩先の空間に投げ捨てる。瞬間、バン! と激しい音と共に、四方から鋭利な針が突き出た。

 侵入者避けの仕掛けである。

 太さは腕程。長さもそれなりにある。刃が欠けていたとしても、まともに喰らったならただでは済まない。


「針が出ている間に隙間から行こう」


 ナギと共に慎重に針の間を通り抜ける。

 振り返ると、針は徐々に壁や天井の隙間に収納されていくところだった。だが、ほっと息をついたのもつかの間、キャシャァァア! と鋭い声を上げて天井近くの壁から妖魔が襲う。

 二匹、三匹と、飛びかかる蟲をアーニアが切り捨てた。

 体を両断されても鋭利なはさみを伸ばし突き刺そうとする妖魔に、すかさずサナトは火の魔法を放つ。油断も隙もあったものではない。そしてむくろから放たれたおりはやはり、どこかへ吸い寄せられるよう流れて消えていく。


「このような戦い方や探索は慣れぬか?」


 額の汗を拭いつつ灰になった残骸を見下ろすサナトへ、軽く息をついたアーニアが労わるような声をかけてきた。

 付近の妖魔は今の立ち回りで一掃したようだ。ナギが次の獲物を探すように、地面の匂いを辿り始める。


「お前たちはいつも、このような戦い方をしてきたのか?」

「いつも、ではない。だが……良からぬ気配の濃い場所では、よくあることだ」


 光の魔法で照らされた横顔が、少し、苦々しい色になる。


「サナトの言う、澱を戻す・・という概念が失われていたからな。人や家畜に危害を与える物は片っ端から斬り捨てる。再び湧いて出たならまた斬り捨てる。それが手に負えなくなったなら、土地を捨てて封じる……臭い物にふたをするというようにな」


 自嘲じちょうするように言い放った。

 ナギの速さに合わせて、アーニアは足を進めていく。

 周囲は掘り出しただけの無骨な岩肌から、徐々に切り出し、組み合わせた石で壁や天井を補強した遺跡としての様子を見せ始めていた。かつて石の人が暮らしていた中心地帯に、近づいているのだろう。

 サナトもアーニアと同じように、いつでも振るえるよう剣を抜いたままナギに続く。


「妖魔を砕いた後の戻しが失われたのも、やはり意図的なものか?」

「で、あろう。魔法の使い方次第で妖魔を生むと知れば、誰も手を出さなくなる。だがそれだけではない。魔物――実際には妖魔だろうが、次々と湧いて出れば、力無き者は力の有る者に頼らざるを得なくなる」

「武力の有る者が権力を得ると……」

「その通りだ。だから、権力を維持するためには、適度に妖魔が湧いてもらわなければ困る、と考えるよこしまな為政者が生まれる。その結果、国土の一部は腐れて住めなくなり、住める場所を奪うために戦争となる……それが祖父の代までの、ベスタリアと周辺国だったのだ」


 孫の時代になって一気にツケを払うことになったと、アーニアは笑う。

 そのまま視線を前に向け、続ける。


「レラから……ダウディノーグの惨状は聞いた。礼拝堂の魔法円のように緩やかに澱を戻す方法があったとしても、とても間に合わぬだろうよ。いずれ西の難民は、妖魔を伴い東に流れてくる」


 サナトは頷く。

 今、この地下遺跡で襲い掛かって来る妖魔など、可愛い物なのだ。

 匂いを辿るナギが顔を上げ、尾を振りながらわずかに緊張を解いた。妖魔の気配が切れたか、遠のいたのだろうか。


「少し休もう」


 アーニアは剣を鞘に収め、壁に背を預けながら腰を下した。

 気を張っていたせいで感覚がなかったが、けっこうな距離を走り抜けてきたのだ。

 星の動きを見ることもできない、地上のように風の気配も無い地下では、時間感覚が狂ってしまう。サナトも剣を収め腰を下ろしてから、自分が思った以上に体力を使っていたのだと気がついた。

 ナギも舌を伸ばし、軽く息を切らして腰を落とす。


「先に水を貰うぞ」

「ああ」


 水袋を取り出して喉を潤したアーニアが、飲み口をそのままにしてサナトに渡す。ずっと持ち歩いていた割には少し冷たく感じる水に、氷の魔法が施されていたことに気がついた。ニノ辺りの気遣いだろう。

 口を潤したサナトの前に、アーニアが両手の平を椀のような形にして差し出した。


「ここに水を」


 言われて、ナギの分なのだと気がついた。

 決して多い量ではないが、手のひらに注いだ水を見てナギは尾を振りながら舌を伸ばす。その間に、サナトは背負い袋に入っていた干し肉を手に取り、アーニアとナギの分で三つに裂いた。


 硬い肉は容易よういに飲み込めないものの、何度も噛む内に濃い塩味と肉のうま味が広がり、それだけで気持ちが落ち着いていく。

 少しでも早く先に進みたいと思うからこそ、休める時には休む。

 迷宮探索の心得があると言ったアーニアは、案内人として基本を守り、的確な判断をしているのだ。


「サナト、ひとつ訊いていいか?」

「なんだ?」

「妖魔を倒さずに、戻す・・ことはできないのか?」


 光の精霊の鈍い明かりの下で、アーニアは真っ直ぐサナトの瞳を見つめ訊いた。


「実体としての形を持ったまま、ということか?」

「そうだ。一度倒し、妖魔としての形を滅してから、歪みや澱を戻すというのは、二度手間のように見える。実体を持ったままでも戻せるのならば、剣を振るったり強制魔法を使わずとも済むだろう」


 戦うのが嫌だというわけでは無いぞ、と少し顔を赤らめつつ言う。

 サナトは軽く笑いながら、問い返した。


「先程、俺たちが澱を戻している時、どんなふうに見えた?」

「んん……こう、黒いもや……や霧がサナトやニノにまとわりついて、吸収され……大地にとけていったように見えた」

「その通りだ。歪みや澱を戻す時、一度、この体の中に取り込んでから妖魔のおもいを受け止め、流し、自然や精霊の一部に戻すということをしている」


 己の手に視線を落としながらサナトが答える。

 アーニアは、綺麗な眉を歪ませながら訊き返した。


「……とりこむ?」

「通常、そのままでは戻る・・ことができないため、この体――もしくはあの魔法円に取り憑かせるのだ。そして意志や精霊の力で誘導する。もし取り込む時に実体を持っていたなら、この肉体まで喰われることになる。腕や足を失うくらいならいいが、まぁ、普通は死ぬだろうな」


 血を失い骨を砕かれ、はらわたまでえぐられれば長く生きてはいられまい。


「だからニノにも、痛いと? ……実体を伴っていないとしても?」

「そうだ。だから正直、あまり多用したくはない。痛みも過剰かじょうとなれば、それだけで精神が病む。病んでしまった森の人も見た。だからといって逃げてもいられない。精霊たちが澱に冒され苦しむのは、もっと……嫌だから」


 深淵の森で息づくものたちのように、皆、穏やかな輝きの中にあって欲しいと強く願う。

 精霊たちが望む姿であり続けるために、自分は何ができるのか。そう考えるからこそ、痛みと引き換えに戦うことができる。同時に、耐えられる範囲を超えれば、どれだけ強い意志があろうと精神まで喰われてしまう。


 手に負えないと悟れば、諦めるより他に無い。

 自分は、魔拯竜ましょうりゅうではないのだ。

 そう――知っていた筈なのに、ザビリスのおもいを抱えた澱と対峙して喰われかけた。レラが引き戻さなければ、サナトは今、ここに居ない。


「深淵の森は精霊の気配が濃いから、実体を持ったまま喰わせると同時に消滅させて戻す、ということもやっていたが……それも相手が小鬼程度の弱い妖魔の時だけだ。結論を言うなら、姿形を持ったままの妖魔を戻すことはできる。だが大きな代償が伴う」

「やはり正攻法で行くしかないか」


 ため息をつくように呟いたアーニアは、ゆっくりと立ち上がった。

 ナギも顔を上げ、行く先に鼻を向ける。休憩時間は終わりのようだ。


「行こう。おそらくこの先で遭遇する物は、一段手ごわい相手となる」


 再び剣を抜いて歩き出す。

 妖魔の姿は無い。だが、徐々に不吉な予感は強まり肌が粟立っていく。


 どれほど歩いただろうか。

 地面の匂いを確認しながら進むナギが、「おんっ」と低く、短く、声をあげた。通路の先が闇で塗りつぶした様にふつりと途切れている。

 思わず行き止まりかと思ったがそうではない。光の魔法が届かないほど、高い天井の広い空洞に出たのだ。

 闇の向こうには、吐き気を伴うほどの澱が、漂っていた。






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