5 第56話 ただ受け取ればいい
子供の頃は、じっとしているのが苦手な性格だった。
ならばと蛇に挑んで、酷い目に遭ったことがある。
そんな時に決まって出てきたのが、この目の前の苦い煎じ薬だ。傷を始めとした怪我に関する薬草の中では一番効果があることを、サナトは身に染みて知っている。
「の……飲んだ……」
「頑張りましたね」
レラに褒められてもあまり嬉しくない。
「あの……お口直しに、こちらを」
爽やかで甘い、香草に果物や蜂蜜の香りがする。
口をつけてみると味や香りはしつこくなく、冷たい水に口の中が洗われた。
「ありがとう……」
心からそう思って顔を向けた。それなのに召使いは小さく声を漏らして、サナトの側から離れてしまった。
礼を言っただけでも逃げられるとは。やはり自分は怖いのかと思うと、落ち込まずにはいられない。ナギはサナトの膝に手を乗せ、「くふぅ~うぅん」と同情するように鼻を鳴らした。
そんなこんなで
◆
「いやぁ、今日は暑くなりそうですよぉ」
挨拶をしたファビオがさっそく情けない声を上げる。
陽の位置は南の天頂に昇り、もう昼の頃になっていたようだ。
やっと目が覚めたと聞きつけたアーニアお付きのファビオとニノは、簡易鎧の襟元を手で仰ぎつつ、部屋に連れて来た城の治癒魔法師を紹介した。
「眠っている間に何度も診せてもらいました。言葉を交わすのは初めてになりますね。王都アルダンの王城付き治癒魔法師を仰せつかっています、ハイノ・フォン・ラングと申します」
大きな鞄を床に置いてから、深みのある声で名乗る。
先日の、アーニアを囲んで朝食をとっていた時にニノが話していた魔法師で、
細い瞳は笑みの形で、治癒系の魔法師にしてはしっかりとした体つきをしている。年の頃は三十代初めのようだ。落ち着いた物腰のため、実際にはもう少し若いのかもしれない。
肩までの長い濃紺の髪を後ろで一つに縛った頭頂には、耳がピンと伸びていた。膝まである薄い若緑の上着の切れ込みから、見え隠れする尾がある。城で初めて見た獣人だった。
「サナトだ。治療をしてくれたのは、あなたか?」
「えぇ、酷い
食事の席を離れ、
既に包帯を外していた腕を、丁寧に手に取る。
「いや、これはつくづく、本当に……どういうことなのでしょうね」
両手の平から指の様子を診て、問題なく握り開きができるか確認する。更に肘や肩の曲げ伸ばし、首の状態を確かめたハイノは、呟きながら顔を上げた。
上衣を脱ぐように言うかと思ったが、その様子はない。
遠巻きに様子を伺うレラや召使いたちに配慮したのだろう。
「良くないのか?」
「いいえ、良くなりすぎ、という言い方は変ですが、驚異的な回復力です」
レラを始め、ファビオやニノがほっとする様子が見て取れる。
「私が最初に拝見した時は本当に酷かった。命を
ハイノの言葉に顔を上げると、胸の前で手を握っていたレラが頷く。覗き込むファビオとニノも同じように「見てられなかった」と口々に頷いた。
先程は口を尖らせ拗ねる様な口調で怒ったレラだったが、気持ちを抑えていたのかもしれない。
「手首や指の動きに違和感はありませんか?」
「多少の痛みと痺れはあるが、問題ない」
「そのようですね」
もう一度握ったり開いたりと、軽く動かす様子を見てハイノは頷く。
「顔や首の方は綺麗に治っていますし、腕は……多少の
そう告げて、大きな鞄から新しい包帯や塗り薬を取り出した。
サナトが眉間を寄せる。
「それはもう、必要ないと思うが……」
「まだしばらくは保湿をして、陽に当てない方がいいです。それに、見ている方が痛々しいんですよ」
苦笑するハイノに言われて顔を上げると、固い表情のレラがいた。
包帯をするだけでレラが少しでも安心するのなら、拒否することもできない。
「正直、昨日や一昨日の経過を見て、どんな魔法が働いているのかと不思議でなりませんでした。これが精霊魔法の威力なのですか?」
「俺が自分に魔法をかけたわけではない」
「深淵の森に伝わる秘術ではなく?」
「違う。ただ――」
手元から足元に視線を向けると、鞄の陰から小さな精霊が覗き込んでいた。
手のひらほどの大きさで浴室にいた草花の精とはまた違う、子供のような姿だ。この部屋の守りなのか、どこからか迷い込んだものなのかは分からない。更には、
その小さな精霊たちが、『こうしたんだよ』と、サナトに向けて小さな手をかざした。
淡い光りが灯る。
決して強い力ではないが、昼夜を問わず、こうして傷を治そうとしてくれていたのだ。
「ただ……精霊たちが力を貸してくれた。それだけだ」
サナトは精霊のことなら何でも分かると思っていたが、そうではなかったようだ。人が思う以上に、精霊たちは側に寄り添っている。
「……ニノ様が言っていたように、いろいろと、根本的に、物事の考え方を改めなければならないようですね。このような奇跡を目にしてしまうと」
包帯を巻き終わり、道具をしまうハイノは苦笑する。
その人好きな笑顔につられるように、サナトも笑い返した。
「何も難しいことじゃない」
人ひとりが知りえることなどたかが知れているのだ。
それでも、これだけははっきりと言うことができる。
「人が魔法で世界を操るのではなく、この世界自体が魔法なのだから――ただ、受け取ればいいだけなのだと、思う」
「この世界自体が魔法……なるほど、そのお言葉、胸に刻んでおきます」
ハイノが答える。
ナギはサナトの肩に鼻先をつけて、すんすんと鳴らす。
その頭の上にのっている精霊も、まるで銀色の草原にいるように、もふもふした毛に手足を伸ばして寝転がった。もしサナトが間違ったことを言ったなら、『それは違う』と声を上げたことだろう。
一息ついたところで、パシ、と手を鳴らしたファビオが声を上げた。
「さて! 俺にはもう全快のように見えるんだが、もう一日二日、
「いいえ、本人が寝ていたい、と言うのでなければ起きていてもいいでしょう。どうです? サナト様」
ハイノに問われてサナトは返した。
「大丈夫だ。むしろ寝すぎて体が鈍っているから、少し動かしたい」
「それは丁度いい」
ニヤリ、と笑うファビオの横でニノがため息をついた。
「実は王都を守った英雄様ということで、ご尊顔を拝したいと、あっちこっちからお偉いさんが詰めかけているんだ。予定がぎっしり入っているからな、順にご案内いたしましょう」
ファビオの声に、レラが慌てて止めに入る。
「ファビオ様、どうぞ、無理のない範囲で……」
「だぁーいじょうぶですよ、任せてください!」
「その言い方、信用できないよねぇ」
ニノが呆れたような声で呟く。置いてけぼりをくらっているのはサナトだ。
「英雄……とは、何の話だ?」
困惑するサナトに、ニノが笑った。
「恐ろしい妖魔を倒しただけではなく、王都から近隣一帯を一瞬で浄化してしまったと、それはもう大騒ぎになっていたんですよ。サナトさんが眠っていた間に」
「近隣……一帯?」
「ああ、おかげで今年の祭は大変だぞ。エルネスト殿下も取って置きのお祝いをぶち上げると仰っていた。後でアーニア様も合流する予定でいるから、それまで俺たちは、お二人の護衛役だ」
「お祝いをぶち上げる?」
胸を張るファビオにサナトとレラは首を傾げ、ニノとハイノは苦笑しあう。そうと決まればさっそく出発しようと、ファビオは準備を促した。
「そう言えば……」
焦げて使い物にならなくなったからと、新しく用意してもらった
「レラはもう書庫に行ったのか?」
忘れていなかったのかと驚いた顔を向けるレラは、「いいえ」と答えて首を横に振る。
「いろいろと……それどころではありませんでしたので」
困ったような笑顔で答えた。
確かに命すら
「俺が倒れたせいだな」
「書物よりも、サナト様のお側で見守りたかっただけです。それに同席を約束されていますアーニア様も忙しくしていらして。書庫は今も入室禁止にしていますし、祭が終わってからゆっくり拝見させて頂こうかと」
「そうか……不自然な封印や、気配の原因は分かったのか?」
「いいえ、不明なままです」
と、一度言葉を切ってからレラは苦笑しつつ続けた。
「実は扉に掛けられていた強制魔法や、書庫内の妖しい気配は、その……サナト様がまとめて
「まとめて……戻してしまった、と?」
さすがのサナトも驚き目を丸くする。
確かに「全て戻す」とは言ったが、自分は一体、どれだけのことをやらかしたのだろうと眉間を歪ませた。
ともあれ、原因不明なまま解決という、何とも釈然としない結果になっていたようだが、今となっては仕方がない。城も無事だったのなら良しとするべきである。
「サナト様、せっかくですから、今日はお二人の案内にお任せしましょう。街の人たちも心配していると聞いております。無事な姿を見せて、安心していただきませんか?」
「そうだな」
頷いて、サナトは
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