2 第26話 オリガの嘘

「なに突っ立ってんの? 座りたかったら座ったら」


 ナギが首を傾げる。

 気兼ねのない声にサナトは、ふっと笑ってから、側に積み重なっていた薪に腰を下ろすと、ナギも習って足元に伏せた。尻尾はパタパタと左右に動かしているから、この目の前の少女に興味を持っているのだろう。


「ねぇ、宴って、すっごい、お料理が出るんでしょ?」


 オリガのはしゃいだような声を聞いて、サナトは宴での料理と里で食べていた食事を思い起こす。

 宴で出された品は里と同じように珍味と呼ぶような物は無かったが、一つ一つの味付けや盛り付けはとても丁寧で、十分過ぎるほどの種類や量が並んでいた。


「そうだな、美味しい料理や飲み物を振る舞ってもらった」

「いいなぁー、あたしもたべたぁーい」

「来て、食べればいいだろう」


 オリガが怪訝けげんな顔で返した。


「あたしみたいな小娘が顔を出しても、追い出されるだけじゃない」

「村長は来る者を拒むような人物には見えないが」


 むしろ、自分の娘のように心を配っている節も見えた。

 この少女は、精霊ばかりでなく村人の思いにも気づきにくいのだろうかと、サナトは思う。


「立場ってものがあるでしょ。別に食べる物が無いわけじゃないし、いいのよ」

「立場か……」


 ナギの、もふもふした首元を撫でながらサナトは呟く。

 レラも「従者の立場」と口にしていた。深淵の森の里では、それぞれの役目・・はあっても、立場という言葉を使って、誰かと差をつけるということは無かった。


「なぁに? 立場をわきまえろとか、誰かに言われた?」

「いや……立場があるのだから、同じ部屋で休むのは間違っていると」


 オリガがきょとんとした顔でサナトを見る。

 それから、眉間に皺を寄せたような顔になって身を乗り出した。


「もしかして、あの一緒にいた女の人? 彼女じゃないの?」

「カノジョ? ヨメというものか?」

「どっちでもいいけど、サナトの恋人じゃないの? イイ感じで雰囲気似てたけど」


 混乱する。

 どう答えていいものか言い淀んでいると、オリガは悪戯を思いついたような顔でニヤリと笑った。


「ははぁ~ん、そうなんだ~、可愛い~」

「何がだ?」

「別にっ。それであの子に、一緒の部屋では寝れないって、言われちゃったの?」


 にっこりと微笑んで少女は言う。

 何をどのように解釈したのか分からないが、楽しそうだ。

 サナトは頷いて答える。


「あたしは、一緒の部屋でも平気、だけど?」


 女の子は「気恥ずかしい」ものなのだと聞いた。平気というからには、気恥ずかしいく無いのだろうか。

 オリガの笑顔の意味を取りかねて、サナトは戸惑う声で訊く。


「……お前は、女の子では、ない?」

「は?」


 一瞬の沈黙。

 の後、立ち上がってオリガが叫んだ。


「しっつれいなぁあ!! 胸はちっちゃいけど、どこから見ても女の子でしょ!」


 ナギが驚いて目を白黒させる。サナトは、眉間に皺を寄せた。

 ムラトが言っていたことと話が違う。サナトには訳が分からなくなってきた。


「あぁぁあ……なんか、深淵の森の森の人って、もっとおっかない感じなのかと思ったけど。すごく、抜けてるのね……」

「抜けてる……」


 レラにも似たようなことを言われたような気がする。

 オリガは脱力したように、段差に腰を下ろし直した。

 抜けてる。これを褒め言葉と取っていいのか、サナトには分からない。

 とりあえず、オリガは怒っているわけでも、困っているわけでもない。むしろサナトとの話を楽しんでいるのは、周囲を取り巻く精霊の様子からも窺い知れた。

 オリガは頬杖をつくようにして、サナトをじっと見つめて尋ねる。


「なんかあたし、人とこんなふうに話せたのは初めてかも」

「そうなのか?」

「だって皆、言ってることとやってることがちぐはぐなんだもん。サナトは……嘘をつかないのね」


 ふと、年相応の表情を見て、やっとサナトも笑みで返す。


「嘘をついても仕方がない」

「ねぇ、精霊は嘘をつかないの?」

「精霊に嘘という概念は存在しない」

「ふーん……あたしも精霊が視えたらいいのに」


 小さく声を漏らす。

 皆、言ってることとやってることがちぐはぐと言いながら、オリガの言葉はそのまま、彼女の態度にも当てはまるものだった。

 人に弱みを見せないようにと、無理にはしゃいで話していたのだろう。けれど毒気が抜けたような顔になったオリガは、頭の上の耳を力無く倒し、足元に視線を落として囁く。


「人間は……思っていることと口で言うことが違うから、気持ち悪い」


 気持ち悪い。

 そう呟いたオリガの震えた声は、言葉通りの嫌悪と、心の奥底に隠していた寂しさが滲んでいた。

 サナトは足元のナギに視線を向けて答える。


「そうだな」

「えっ……?」


 肯定されるとは思わなかったのだろう。

 意外だという声でオリガは訊き返した。


「サナトもそう思うわけ?」

「んん……」


 サナトは、しばし思案してから言葉を選ぶようにして答える。


「気持ち悪いというより、戸惑う。精霊を介して見ると、嘘をついている時はだいたいわかる。けれど何故、嘘をつかなければならなかったのか……その理由を知ることはできない」


 サナトが知るのは、その人の違和感――歪みや淀み、おりである。

 殺気や敵意、または悲しみや喜びという気配とその表情や声、仕草、それらが噛み合っていない時、側に漂う精霊が歪む。何かがあるのだと察することができる。

 けれど分かるのはそれだけで、何故、その様な言葉や態度になるかは、言葉を交わさなければ知ることができない。

 ただ人がその様な歪みをつくる時、何かしらの理由があるのだろうと。


「嘘を、つかなければならなかった……理由?」


 サナトは頷く。


「恥ずべきことを隠しているのか。何かを恐れているのか。素直になれないのか。相手を悲しませたり苦しめないために……という場合があることも知っている。嘘はつかないに越したことはないと思うが、嘘の全てがあってはならないものだと、俺は断じることができない」


 深淵の森にいる者たちは皆、気配に聡いから、嘘で取り繕う必要が無かった。それでも、嘘が無かったかといえばそうではない。そこにどんな思いがあったのか、全て理解できるわけではないとしても。

 ただ相手を、わざと傷つける嘘でなければいいと、サナトは思うのだ。


「本当に、自分が作り上げた物や自分自身が無くなってしまえばいいと、思っていたわけではないだろう?」


 同じ工房の者たちからきつい言葉や態度を受けて、相手に噛みついていく強さもあったのに、オリガはその苛立ちを自分に向けた。

 そこに彼女の優しさがあったのでは、とサナトは思うのだ。

 けれどオリガは顔を赤くして、サナトから視線を逸らす。


「あたしは本気で思っていたよ! さっきまでは、ずっと……」

「本心は違ったはずだ」

「違ってないもん!」


 口を尖らせ言い返す。



「ただ、そのままの自分を……認めてほしかったのではないのか?」



 ナギが顔を上げる。

 サナトは黙って見つめている。

 そしてオリガは頬杖をついたまま、ぽつりと呟いた。


「どうしてそういうこと、言っちゃうかな……」


 ぱたり、と涙が落ちてもオリガは怒った顔のまま動かなかった。

 側にある灯火から、火の精霊が慰めるように輝きを増す。夜風に乗って樹々や花の香が届く。オリガは自分の気持ちに正直でありたいから、人に対して要領よくあしらうことができないのかもしれない。

 そう思うと、サナトの顔に自然と笑みが上った。


「お前が嘘をついても、俺にはわかる」

「嘘なんか、ついてないもん」


 あくまで嘘はついていないと言い切るオリガに、サナトは「そうか」と短く答えた。

 沈黙が漂う。

 ナギの尻尾だけが、パタパタと左右に動いている。

 サナトは、ふと息を吐いて、思い出した様に呟いた。


「そう言えば、お前はあの後、工房の者たちと話はできたのか?」


 ちらり、とサナトを見てから乱暴に目元を擦って、オリガは俯いた。


「まぁ、適当に……」


 口を尖らせて答える。

 それから、ひとつ間を置いて、オリガは視線を逸らしたまま言った。


「でも、ちょっと……もうここには居づらいかな。迷惑かけたし」


 意図して呼んだ妖魔ではなくても、村の人たちを困らせた。

 それはオリガも自覚している。

 これから、その災厄に対する後始末をオリガはしなければならないだろう。十二、三歳の子供だからと言って許されるかどうかは、この村の者たちが話し合って決めることである。


「全てのことが済んだら、お前のやりたいことをやればいい」


 ナギが、伸びをして立ち上がる。

 その柔らかな首元を撫でながら、サナトは森の大佳靈おおかみの御前で、自分の行く先を決めた時のことを思い出していた。

 サナトの魔法は常に危険と隣り合わせにある。

 恐れから、森の中で何もせずただ静かに過ごすということもできた。森長は、「選ぶのはお前自身だ」と言った。どちらの道を選んだとしても、誰も、サナトを責めたりはしない。

 サナトが旅立つことを選んだのは、「何もしなかった」という後悔を残したくなかったからだ。


「とやかく口を出す者がいても、誰も、お前の生きる道に責任を取ることはできない。だから、どの道を選ぶかは、お前が決めるといい」


 自分の意志で人生を、未来を決める。

 自分の決断に、自分自身が責任を持つ。

 オリガはやっとサナトを見て、力なくほほ笑んだ。


「厳しいなぁ……」

「そうか?」

「そうだよ、人のせいにできないってことでしょう?」

「そうだ」


 ぐーっと、ナギがしたようにオリガも伸びをした。

 夜風を深く吸い込んで、肩の力を抜く。


「サナトは優しいね」


 立ち上がり、オリガは瓦灯かとうの火を落とす。

 サナトも疲れを覚え始めて、同じように立ち上がった。

 気の早いナギが先を行くように歩き出す。手燭を持ったオリガは言葉なく続き、サナトも習うように窯を後にした。






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