第二章

数日後、蘭の家に、柏崎朝代がやってきた。

「今日は色入れですね。まず、ガーベラの花に色入れしますから、こちらに座ってくださいませ。」

「わかりました。」

と、彼女は、素直に椅子に座って、右腕を台の上に置いた。

「しかし、このリストカットの数々、ひどいもんですな。頑張って、僕も消すように努力しなきゃ。じゃあ、ちょっと針を刺しますが、痛かったらいつでも中断していいですからね。」

と、蘭はインクをつけた針の束を、彼女の腕に突き刺した。

「大丈夫ですか。」

「ええ、大丈夫です。こないだリストカットした時のほうが、よほど痛かったです。それに、こういうのを消すのに、痛いのは当たり前だと言いますから、私が痛いとかよりも、きれいに彫ることを優先してくださいね。」

と、彼女はにこやかに言った。

「まあ、そうなんですけどね。」

照れ笑いしながら、蘭はもう一度針を刺した。

「それにしても、すごい数々です。こうやってしまうとね、刺青師の立場から言いますと、色が入りにくいんですよ。まあ、機械彫りよりかは入りやすいかもしれないけど、なかなか難しいなあ。」

蘭は、にこやかに笑った。

「それにしても、芸能活動なんかされて、なかなかお忙しいのではないですか?お体を壊さないよう。」

「そうね。」

と、朝代は言った。

「まあ確かに、忙しいと言えば忙しいんですが。それでは、なんだか私が本当にやりたいことから、どんどんどんどん離れて行ってしまうような気がして、困ってしまうんです。でも、まあ、あたしのことだから、そうするしかないんですけど。」

「そうですか。朝代さんは、野田良子さんとは、どうだったんですか?」

と、蘭は、さりげなく聞いてみた。華岡に聞いてみてくれと言われているわけではないけれど、なんとなく気になってしまったからだ。

「ええ、まあ、表面では、プロデューサーとその子弟の関係でしたから、良好な関係という感じではありましたけど、ほかの三人とはちょっと違っていたかなというのはありますね。」

と、彼女は正直に言った。

「あたしは、ほかの子たちと違って、そんなに裕福な経済環境でもなかったし。まあ仕方ないと言えばそうなのかもしれませんが、ほかの子にできることができないで、ちょっと寂しい一面はあったかな。」

「そうですか。じゃあ、やっぱり、野田さんとはうまくいかなかったんですか?」

「ええ、まあ、でも、曲のこととか、そういうことは、野田さんが全部やってましたから。あたしたちはそれに従って演奏すればいいんだって、なんども言ってましたし。そうすれば、あたしたちだって、何かできるんだって。そういってました。」

「なるほど。結構権力者だったわけですか。」

と、蘭は針を刺しながら、そういうことを言った。

「ええ、まあそうでしたね。でもあたしは、そういうことをされたとしても、ほかに行く道がないので、そうするしかないですからね。ほかに、胡弓の仕事をしろって言っても、何もないでしょう。だから、あのバンドでやっていくしかなくて。」

確かに邦楽というのは純粋にやっていけばそういう風になってしまうかもしれない。

「あんまり、ほかのメンバーさんとも不仲なんですかね?」

と、蘭が聞くと、

「ええ、まあ、、、確かに言われてみればそうかもしれないですね。」

と、彼女は答えた。

「そうなんですか。たしかにそれはつらいですね。ほかのひとよりワンランク低く見られてしまうのでしょう?なんとなくですけどわかる気がしますよ。僕は、逆に、同級生を追い詰めてしまって、一生懸命その人に償いをしようとしましたが、僕の気持ちはなかなか彼に通じない。」

と、蘭は思わず言ってしまった。

「あら、刺青師さんが、そういうことをした経験があるんですか?」

と、彼女は答える。

「まあ、経験というか、、、。子供のころの話なので、子供特有の残酷さもあったかもしれませんが。」

と、蘭が思わずそういうと、

「そうなんですか。じゃあ、あたしにガーベラを入れてくれたお礼に、アドバイスします。その彼という人に、劣等感を与えるような、そんな慰め方はダメ。ものを送るとか、食べ物を送るとか、そういうことよりも、本当に、反省しているって、態度を示さなければだめです。お詫びの気持ちってのは、ものじゃダメなの。それはしっかり覚えておいてね。」

と、彼女、柏崎朝代は言った。

「そうなんですか、、、。」

蘭は思わず針を刺すのを止めてしまう。

「もう、刺青師さんが、針を止めちゃ困るでしょ。ほら、しっかりしてちょうだい。」

と、朝代さんに言われて、蘭は、急いで首を振って、また彫る作業に取り掛かった。「刺青師さんも、やっぱり、人間だったんだ。」

と、朝代はにこやかに笑った。

蘭は、はははと笑って、また針を刺す。彼女も、はははと笑った。しばらくにこやかに笑って、彫る作業は続けられる。やがて、彼女の右腕にはガーベラの花が見事に咲き、リストカットの痕は、ほとんどわからなくなった。

「はい、色入れができましたよ。じゃあ、次回は仕上げですね。多分二時間くらいで仕上がるんじゃないでしょうか。」

と、蘭は言った。

「ええ、よろしくお願いします。また一週間後でいいですか?必ず来ますので、よろしくお願いします。」

と、彼女はそういいながら、蘭に、三時間分の料金、三万円を支払った。

「ありがとうございます。」

と、蘭は、それを受け取って、領収書を書きながら、

「きっと不遇な環境ではあるとは思うんですけれども、頑張って生きてくださいね。入れ墨を入れた以上、どんなに頑張っても、前の自分には戻れません。それを忘れずにね。」

と、言った。

「ええ、刺青師さんこそ、同級生の方に、一生懸命償ってくださいよ。あたしも、頑張りますから。」

と、彼女に言われて蘭は、はいと頷いた。

「はい、わかりました。」

と、蘭は、にこやかに言った。

「じゃあ、また来ます。今日は刺青師さんと対等な話ができてよかったな。これからも、そういう話ができますように。」

そういう彼女に、できれば、そういう役目は、家族にやってもらえないかと蘭は思うのだった。でも、今の時代、そういうことができる家族は、どこを探してもないだろうなと思った。彼女は、にこやかに笑って、仕事場を出ていく。どうか、刺青を壊さないためにも、二度とリストカットはしないようにと、蘭は思ってしまうのだった。


それからしばらくして、彼女から連絡は入らなかった。まあきっと、バンドのメンバーとしてにこやかにやっているのかなと蘭は考えていた。ところがその日、コンビニで買ってきた週刊誌を開いた蘭は、また驚いてしまう。

「恋歌、活動停止、メンバー脱退か。」

と書いてあったのだった。

「なんでまた、、、。」

その記事を読んでみると、脱退したメンバーの名前は書かれていなかった。そのメンバーが入れ墨をしていたかということも書かれていない。ただ、その記事によると、彼女たちをプロデュースした野田良子という人は、非常にバンドとのトラブルが多いということも書かれていた。ただし、彼女が制作した曲は、かなりの量がヒットしていることも確からしい。

「なるほどねえ、野田という人は、才能はあるが、結構トラブルが多かった人なんだなあ。」

蘭は、はあとため息をついた。

「しっかし、僕が入れ墨を彫ったあの人は、どうしているんだろうか。芸能人は本当に桜の花のように終わってしまう人が大半だけど。」

確かに桜の花というのは、はかなく散るものだ。満開になっても、すぐに散ってしまう。

「おーい、蘭。いるかあ。」

と、玄関先で声がする。華岡の声だ。

「ちょっとお茶かなんか飲ましてくれや。ちょっと、聞いてほしいことがあって。」

「ああ、いいよ、入れ。」

とりあえず、華岡を、蘭は部屋の中に入れた。

「あーあ、こういう芸能関係の捜査をしていると、表の顔と裏の顔っていうのかな。もうテレビも楽しんで見れなくなったよ。」

と、華岡は、椅子に座りながら言う。

「まあ確かにそうだよな。芸能人って、そういうものでもあるよねえ。なんでも、百科事典なんかに載せられてしまうしね。その悲しさもわかる気がするな。」

と、蘭もそれに相槌を打った。

「それでな、まだ極秘ではあるのだが、俺たちは、あの野田良子の手伝い人を殺害したのは、柏崎朝代だとにらんでいる。柏崎によく似た女が、事件が起きた日、田子の浦港近くでうろついていたのを、近所の住民が、証言したので。」

と、華岡警察官らしいことを言い始めた。

「そんな、ちょっと待ってくれ。彼女は僕のところに、客として来ているが、とてもそんなことをしそうな女性には見えなかったぞ。」

と、蘭は、華岡の話に反発する。

「まあお前が、そういうやつの肩を持ちたくなるのはわかるけど、俺たちは彼女だと思うんだ。まあ彼女を、任意で連れてくることに成功したら、俺たちも取り調べして、真実を聞き出そうと思うから。それで事件が解決したと、お前も喜んでくれよ。」

「うーん、喜べないねえ。」

華岡の話に、蘭はがっかりとした様子で言った。

「まあお前がそうしたくなるのもわかるんだけど、今回の事件は、彼女の犯行であるという可能性が高いんだよ。そういうことにして、お前も気持ちを切り替えてくれ。」

と、華岡は蘭にそういうのであるが、蘭はまだ、信じられないという様子でいた。お前も、時々変に悪人の肩を持つよなあと、華岡は蘭の顔を見てあきれていた様子だった。


その数日後のことであった。華岡がいつも通りに出勤すると、

「華岡さん、とりあえず、彼女、柏崎朝代を引っ張ってみたんですけどね。彼女、のらりくらりとかわすばかりで、どうしても取り調べができませんよ。」

と、一人の部下の刑事が、華岡にそういう言った。実は昨日、華岡の部下が、柏崎朝代を任意で同行することに成功したのである。

「そうか。どうしても、彼女は、野田良子の手伝い人を殺害したことを認めないか。」

「ええ、もう、事件の日、田子の浦港にいたのを目撃されていたといくら詰め寄ってもね、彼女は、それはただ、用事があって、家に帰るだけだったとしか言わないんですよ。」

と、部下の刑事は、はあとため息をついた。

「だって、彼女が田子の浦港にいたのははっきりしているんだし。」

「だけど、華岡さんが思うようにはいきませんよ。華岡さんが、もう事件を解決させようと急ぐからでしょう。ほんとに、華岡さんは、気が早いですな。」

と部下の刑事にそういわれて、華岡もメンツが立たなくなっただろうか。

「よし、俺も話をする。」

と言って、取調室へ入った。

取調室へ入ると、柏崎朝代は、いつもと変わらない化粧を少し落とした姿でそこにいる。華岡には、テレビに映るときと、そうでないときの彼女はたいして変わらないように見えた。そうなるとかなりの美女ということになる。

「今度は、体の大きな刑事さんですか。」

と、華岡を見て、彼女はそういった。

「ああ、はい。警視の華岡です。引き続き取り調べを続けます。」

とりあえずそういう話をして、華岡は、椅子に座った。

「まず初めに、被害者の名前をはっきりさせておきましょう。音楽プロデューサーの野田良子さんの家事手伝い人をしている、えーと。」

「鳥居信子。」

華岡がそういうと、部下の刑事が、そう付け加えた。

「はいそうです。鳥居信子。年齢61歳。信子は、夫と離婚されて、現在、野田良子さんのもとで家事を手伝う以外に、特に仕事らしいことはしていない。そして、事件の概要ですが、鳥居信子は、田子の浦港で、水死体で発見されている。柏崎朝代さん、あなたが、田子の浦港にいたことが、近所の住民に目撃されています。ですから、我々は、あなたを容疑者として取り調べしています。」

華岡が事件の概要を言うと、彼女ははいと言った。

「それで、もう一回言いますよ。六月の一日、つまり事件が起きた日ですが、本当に、田子の浦港には、たまたま行っただけなんでしょうか。」

「ええ、その時は、テレビ出演の打ち合わせがあって、そこへ行くときに、田子の浦港を通りました。」

と、彼女は答えた。

「おかしいですね。」

と華岡は言った。

「六月一日は確かに、19時に生放送の収録がありました。その打ち合わせがあったのは、15時頃でしたよね。そんなに長く、打ち合わせというものがあったんでしょうか?」

「そうですが、、、。」

と、彼女は言った。

「しかし、私が、鳥居さんと言い争っていたとか、そういうことはなかったでしょうし、田子の浦港で私は何をしていたと目撃されたのでしょうか?」

「ええ、それは、その住民の話によりますと、海の中を覗き込んでいたそうですね。」

と、華岡は答える。

「ええ、それは、魚がはねていたので、海を覗いただけです。」

のらりくらりという顔で彼女は言った。

「魚がはねたなんて、変な言い訳はしないでくれませんかな。」

と、華岡が言うと、

「でも、それだけですもの。それだけのことですから、私は何もしていないんです。」

と、彼女は答えた。

「はあ、そうですか、、、。」

華岡も、これではなという顔をする。

「華岡さん、ちょっとよろしいですか。」

取調室に部下の刑事が入ってきて、華岡にちょっと耳打ちした。ああなるほどと華岡はそれを聞いて、また取り調べに戻る。

「先ほど、捜査員からの話ですが、あなたが鳥居信子さんと、口論していたのが、確認されました。場所は、野田良子さんの家です。あなたがいった、打ち合わせというのは、野田良子さんのうちで開催されたんですね。野田さんのお宅は、テレビのスタッフとか、雑誌記者とか、いろんなお客さんが来ることを、近所の住民が証言しています。その中には、野田さんがプロデュースしていた、恋歌の四人もよく来訪していたという証言があったそうです。」

と、華岡は、先ほどの部下の刑事の話を聞いて、もう一度彼女に言った。

「あの事件が起きた六月一日、あなたは、野田良子さんの家に行っていますね。理由は打ち合わせのためで。なぜ、あなたは、野田良子さんの家に行ったんでしょうか?」

「ええ、ただ、野田さんにテレビの出演について、注意事項があると言われて、その通りに行っただけです。」

と、華岡の問いかけに彼女は答えた。

「なんの注意事項なんでしょうかね?」

華岡がまた聞くと、

「ええ単に、立ち居振る舞いが大げさで、テレビに出るといつも目立つから、それを気を付けるようにと言われました。」

と、彼女は答えた。

「そうですか。あなたは、週刊誌でも、バンドから脱退するのではないかという記事を書かれてますな。それで野田良子さんに注意されたんですか?」

華岡は質問を変えて聞いてみた。

「ええ、あれはただ、週刊誌がそう書いただけのことで、何もありません。私は、これからもバンドを脱退するつもりはなかったし。だって、こういう人間にとって、テレビに出られるようなバンドに入るのは、大出世みたいなものですからね。それを逃してしまったら、何もなくなるじゃないですか。だから、脱退するつもりは毛頭ありません。」

と、彼女は答える。というと、その報道は、デマだったのか?

「ただ、皆もの珍しいというスタンスでしか取材に来ないので、私たちの本当のことはなかなか取材のひとには話せないですけど。それ以外のこともしっかりお伝えしたいという気持ちもあるんですけどね。私たちは、ただの美女軍団とは違いますもの。そうではなくて、邦楽を伝えていくってそういう使命もあるんですから。」

「そうなんですか。本題に戻ります。なんで、鳥居信子さんを殺害したんですか?」

彼女の本音が見えてきたような気がして、華岡はもう一回言った。

「だから、殺害したのは私ではありませんよ。」

とまた交してしまう朝代。

「朝代さん、俺たちはね。」

華岡は彼女に語り掛けるように言った。

「俺たちは、別にあなたを責めるわけじゃありません。俺たちは、自分がカッコよく振舞いたいからこういう仕事をしているんじゃありません。ただ、俺たちは、真実が知りたいんです。なんでそういうことをするのかというとね、俺たちは、犯罪が二度と起こらないようにするのが、役目だからだ。だって、そうしないと、犯罪がどんどん増えてしまうから。事実を聞き出すってことは、二度と同じような事件が起こらないようにするために、やっているんだ。あなたも、そういうことをしたんだから、ちゃんと正直に話さなきゃ。なぜ、あなたは、鳥居信子さんを殺害したんですか?その理由をしっかり語っていただきたい。」

「そうですけど。」

と、彼女は言った。

「でも、警察の方に話したら、あたしが犯人だと、みんなに公表して、あたしがダメな人になっちゃうんでしょう?あたし、いくら悪事をしたとしても、今回のことは、そうするしかなかったと思っているんです。そりゃ確かに、人が死ぬことはいいことじゃありませんが、あたしは、そうするしかなかったんです。」

「でも、罪は罪ですからな。」

と、華岡はそういった。

「それは、しっかりと、償わなければならないことですな。だから、ちゃんと話すことだって、立派な償いですよ。きっとね、その第一歩は、成文化して、しっかり話すことじゃないかなあ。」

「そうですけど。」

と、彼女は言った。

「警察の方に言っても、何もないでしょう。ただ、警察は私のことを、異常があるとか、そういう風にしか見ないと思います。そうじゃなくて、私のことを、一人の人間としてみてくれる人に話します。」

彼女の話の最後尾は、とてもきっぱりしていて、なんだか彼女が、ものすごい差別とか偏見とか、そういう環境にいたということを示しているようだった。

「誰か、そういうこと、話せる人がいるの?」

華岡がそう聞くと、

「ええ、私に、このガーベラを入れてくれた、刺青師の先生に。」

と、彼女は言った。

「刺青師の先生?誰の事だ、それ。」

「ええ、田子の浦というところ住んでいる、彫たつという先生にお願いしました。」

と彼女は答える。

「彫たつ、、、。」

華岡はしばらく考えて、ああ、あいつの事か、とやっと答えを見つけた。

「じゃあ、俺たちで連れてきますから、彼にはちゃんと真実を話してください。」










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