天国への階段
増田朋美
第一章
ある日蘭が、何気なくテレビをつけると、音楽番組を放送していた。こんな時に、音楽番組をやるなんて、何を考えているんだろうかと思って、蘭は、消そうとしたが、それと同時に、テレビのアナウンサーが、
「次は、今回初登場となります、恋歌の皆さんです。」
と出演者を紹介した。すると、着物を極端に衣紋を抜いてきた、若い女性四人がテレビの画面に映った。演歌歌手がバンドでも組んだのかと思ったが、彼女たちが、箏爪をはめていたので、蘭は興味がわき、消すのをやめた。その女性たちは、確かに和服姿ではあったものの、演歌歌手ではなさそうだった。
「えーと、恋歌の皆さんは、四人とも東京芸術大学の同級生だったそうですね。それでは、バンドを結成しようとした、きっかけを教えてください。」
と、男性アナウンサーが聞くと、
「ええ、日本人にも知られていない、お箏や和胡弓という楽器を、知っていただきたく結成したんです。」
と、その女性の一人がそういった。
「では、メンバー紹介をお願いします。」
と、女性アナウンサーが言うと、
「箏を担当のまいです。」
「同じく箏を担当の、れいかです。」
「十七絃を担当のゆいです。」
「和胡弓を担当しています。あさよです。」
と、彼女たちはそれぞれ自己紹介した。蘭は、画面を見て、和胡弓を担当している、あさよという女性が、一番かわいらしくて素朴だなという感じがした。ほかの三人は、なんだか作られた顔という感じがした。よくある80年代までのロックバンドのメンバーにあった、人間的なところは全く見られない。
「それでは、今日演奏してくださる曲を教えてください。」
アナウンサーがそういうとまいと呼ばれた女性が、
「レッドツェッペリンの天国への階段を演奏いたします!」
といったため、またびっくり。まあそれでも邦楽器でこの曲をやってみるというのも面白そうなので、蘭は、それを見てみることにした。
彼女たちの演奏が開始された。編成としては、ツインギターのバンドと似たような感じっで、箏二面がコード、十七絃がベース、和胡弓がメロディを弾くという、インストゥルメンタルバンドである。
「なんだかなあ。」
思わず彼女たちの演奏を聞きながら、蘭はつぶやいた。どうも、邦楽器でレッドツェッペリンのガンガンのロックを演奏するのは、とても不自然なような気がしてしまうのである。それは、演奏者である、彼女たちもわかっているらしく、なんだか無理やり笑顔を作ってやっているような感じだった。ただ、和胡弓を演奏している女性だけが違っていて、一生けんめい天国への階段のメロディを弾こうと奮闘しているのが、テレビに映っている。
「ありがとうございました。」
と、アナウンサーは言うけれど、レッドツェッペリンの原曲にある有名なギターソロもなく、ただ天国への階段のメロディを、邦楽器で演奏したようなもの。つまらないものであった。
「へええ、邦楽器でレッドツェッペリンねえ。」
カレーを食べながら杉ちゃんが言った。
「そうなんだよ。なんだかテレビとはいえ、変な空間にいるみたいだった。なんだかおかしな音楽だった。」
カレースプーンを置きながら、蘭は、ため息をついた。
「まあ、そういうもんだよな。もともとミスマッチな楽器で、レッドツェッペリンの曲をやるんだから、合わなくて当たり前だ。」
と、杉ちゃんはカラカラと笑った。
「まあそうなんだけどねえ。それを演奏している彼女たちも哀れでならなかったよ。きっと、プロデューサーか誰かに命令されて、それでやらされているんでしょうから。」
と、蘭は、あの和胡弓の女性の顔を思い出しながら言った。
「そうだろうね。そういうバンドなんてそんなもんでしょ。おおむね容姿が良いとか、そういうことばっかりでさ。演奏技術は二の次。それで売れないと、ごみみたいに捨てられちゃう。」
「まあ、そうかもしれないけどさ。彼女たちの天国への階段はうまかったということにしておこう。」
という杉ちゃんに蘭は言った。それではいけないというわけではないけれど、、杉ちゃんのような言い方はしてはいけないと思った。
その次の日であった。
いつも通り、杉ちゃんと蘭が、ショッピングモールで買い物に行ったときのことで会った。田子の浦港の近くを通りかかると、いくつかパトカーがそこへ止まっていて、たくさんの警察官がそこで写真を撮ったり、書類に書き込みをしたりしている。なんだろうかと思って、
「おい、何か事件でも起きたのか?」
と、杉ちゃんは、警察官の一人に尋ねてみた。
「いいや、ここでね、女性の水死体が見つかったんですよ。なんでも、ほら、有名なプロデューサーと言われている、野田良子の手伝い人だっていうから、これはこれはの大騒ぎ。」
「そりゃあ大騒ぎでしょ。」
と、蘭は、その名前を聞いて驚きを隠せないで言った。
「とにかくね、これからものすごく大変なことになると思います。マスコミもうるさいだろうな。」
別の警官がため息をついて言った。
「そうなのか、それは大騒ぎになるよなあ。野田良子と言えば、文字の読めない僕も、名前の聞いたことがある、すごい奴だもの。その人物に使えていた女中が、事件に巻き込まれたんじゃ。」
杉ちゃんがそういうことを言っている間、遺体の引き上げ作業は進められていた。クレーンで引き揚げられた遺体は、50前後のおばさんだった。さすがに芸能人に雇われる女中だけあって、ものすごくきれいな人で、美人という表現がぴったりだった。
「あの人が、野田良子に仕えて居たわけか。」
二人は、警察のしている作業を眺めていた。
ほとんどの人は、事件があったとしても、その関係者と関わることは多分ないだろうと思われる。でも、蘭のような特殊な職業についていれば、そういうことはないのかもしれない。
ある日、蘭が昼食を食べながらぼんやりテレビを見ていると、固定電話がなった。
「はじめまして。あの、私柏崎と申します。柏崎朝代と言います。」
電話の声は若い女性だ。そんな人がどうして入れ墨師の自分のところに電話なんかよこしてくるのか。蘭は変だと思った。
「柏崎朝代さん?かしわざきあさよ。あれれ、どこかで聞いたような名前だな。」
「はい。あさよという名で、テレビに出たこともありますから、それでわかるんじゃないかと思います。」
ということは、芸能人だろうか。
「も、もしかして、恋歌という邦楽器バンドで、和胡弓をやっていた、朝代さんではありませんか?」
「はい、その朝代です!」
蘭がそう聞くと、彼女ははっきり答えた。
「ちょっと待ってくださいよ。なんで僕のところに電話かけてくるんですか。」
「でも、入れ墨を入れている芸能人はいっぱいいるじゃないですか。ロックミュージシャンとか、みんな入れていますよね。それと同じだと思うんですよ。それに、腕の傷を消さないと、バンドから脱退しなきゃならなくなるんですよ。」
「傷?」
彼女の主張に蘭はそう返した。
「ええ、そうなんです。私、音楽学校時代に、リストカットとかかなりやってたから、その傷跡が腕に残っているんです。見てくれればすぐにわかりますよ。今度メンバーと一緒に写真を撮らなければならないのですが、それまでに、リストカット痕を消さないと、大変なことになってしまうんです。」
なるほど、芸能人特有の悩みかもしれなかった。
「そうですか。わかりました。そういうことなら彫って差し上げます。いつ来られますか?」
蘭がそう聞くと、
「今日の一時頃、時間が空きますので、その時に伺います。」
と、彼女は言った。もう一時間程度しかなかった。
「了解しました。じゃあ、何を彫りたいかだけ、お時間ありましたら考えてきてください。うちでは機械彫りはしませんよ、トライバルタトゥーもやりませんからね。筋彫り、色入れ、すべて手彫りです。ほかの刺青師さんよりも手間がかかるかもしれませんが、しっかり入って、定着できるようにしますから。じゃあ、一時にお待ちしています。」
蘭は、13時、柏崎朝代さんとメモに書いて、机の上に置いた。
さて、その13時。柱時計がなったのと同時に、蘭の家のインターフォンがなる。蘭は、急いで玄関先に行き、ドアを開けた。
「こんにちは、柏崎朝代です。よろしくお願いします。」
と、丁重にあいさつする彼女。化粧を取ってしまっているので、テレビで見ている彼女とは少し違うけれど、間違いなく和胡弓をやっていた女性である。
とりあえず蘭は、こちらへどうぞと彼女を仕事場へ案内した。
「実はこれなんですけど。」
と、椅子に座った彼女は、右の袖をめくって腕を出した。たくさんの傷あとが、腕についている。
「これはひどいですね。こんなにたくさんリストカットをされたんですか。」
と、蘭が聞くと、彼女ははいと答えた。
「そうですか、刺青師の立場から言いますと、こういう切り傷痕を消すというのは、非常に難しいところもあるんですよね。まあ、芸能関係の方ですし、やってみましょうか。じゃあ、彫りたいものはありますか?龍ですか?それとも鯉?」
「いやあ、その、それはわかりません。急いでいたので、何を彫りたいか、考えていませんでした。」
蘭がそういうと、彼女は申し訳なさそうに答えた。
「そうですか。じゃあ、お花の柄なんかはいかがですか?たとえば、ガーベラとか。」
蘭がそういうと彼女は、それでお願いしますと言った。ガーベラの花言葉を知っているのかは不詳だが、とにか彼女には希望をもってもらいたかった。
「じゃあ、わかりました。彫りますよ。多少痛いかもしれないですけど、ゆっくり彫っていきますから、安心してね。」
蘭は道具箱からのみを出し、傷だらけの右腕に、色を入れ始めた。
「痛いですか?」
と聞いてみると、
「ええ、大丈夫です。この程度なら、リストカットした時のほうが、もっといたかったです。」
と朝代は答える。
「そうですか。確か、朝代さんは、恋歌のメンバーでしたね。テレビに最近は頻繁に出ていますね。」
と蘭は聞いた。
「ええ、そうなんですけどね。私がしたかった音楽とは違っているなと思うんです。もともと、ああいう音楽をやれと言ったのは、私たちではなく、プロデューサーの野田さんでした。野田さんが、無理やり和楽器でロックとかそういうものをやれと言いだして。私は、反対したんですよ。邦楽の伝統がダメになるからって。でも、野田さんは売れるためにはこれしかないんだと言って、聞きませんでした。」
と、朝代は答えた。彫っているときに客は色いろおしゃべりをする。中には、っカウンセリングのような、重い悩みを吐き出す人もいる。そういう時、蘭は、できるだけ話を聞いてやるようにしている。大体の人は、愚痴を漏らす相手もないことが多いので。
「リストカットは、今でもやっているの?」
「ええ。」
できるだけやんわりと聞いたつもりであったが、蘭の質問に、彼女は恥ずかしそうに答えた。
「そうなんだね。」
蘭は、そういうことも否定的なセリフは言わないように心がけている。そうしたら、彼女が四面楚歌になってしまうからである。でも、それをさせないように、自分を大事にしてほしいなと思う。
「それでね。野田さんに命令されて、天国の階段を、演奏したわけだけど、私はね、そういう曲よりも、古典のほうが良いと思っているの。そのほうがより私らしいっていうか、のびのびしていられるのよ。和胡弓は、もともと和胡弓なんだし、西洋の音が出せたとしても、西洋音楽やるには向いていない気がするのよね。」
「えらい。さすが、そういうことが言えるなんて、邦楽を愛している証拠ですね。今は無理やりいやなことをやらされて、つらいだろうけど、自分を大切にゆっくりやってください。」
蘭は、のみを動かしながら、そういうことを言った。
とりあえずその日は三時間突いて、筋彫りだけはどうやら完成した。色入れまでやってたら、彼女が疲労してしまうだろうと思い、蘭は今日はここまでにしようといった。彼女は、ありがとうございますと言って、お約束の三万円を手渡した。蘭は、領収書を書いて、彼女に渡した。彼女は、入れる前の暗い表情から一気に明るい顔になり、再度おれいを言って、服を着なおした。テレビで厚化粧するときよりも、こっちのほうが、よほどかわいいじゃないか、と蘭は思った。
「じゃあ、来週の今日また来ていいですか?今度は、色入れですよね。」
と、言う彼女に蘭はカレンダーを確認して、大丈夫だと承諾した。
「ありがとうございます。ガーベラ、入れてくれて、元気になりました。なんか気持ちも明るくなってきた。うれしいです。ありがとう。」
蘭は、にこやかに笑って、彼女を玄関先まで送った。そんなことを言われるなんて、刺青師の自分もうれしかった。
ところがその翌日。
「おーい蘭、いるかあ。また風呂貸してくれやあ。」
といって、また華岡が蘭の家に、風呂を借りにやってきたのである。お風呂に入って、華岡にカレーを食べさせていると、
「あ、お前、あの女性に入れ墨してあげたのか?」
と、華岡が、壁にかかってあるカレンダーに目をやった。
「あの女性?」
「そうそう。柏崎朝代だよ。恋歌とかいうバンドを組んで、箏で変な音楽をやっているあの女性。」
「ああ、そうなんだねえ、その柏崎朝代がどうしたの?」
と、カレーを食べていた杉ちゃんがそういうことを言った。
「ああ、あのな。実は、こないだの、野田良子の手伝い人が、遺体で見つかった事件でな、実は、恋歌の四人の犯行ではないかと思っていたんだ。」
と、華岡が言うので、また杉ちゃんも蘭もびっくりする。
「何か、理由でもあるのか?」
と、杉ちゃんが聞くと、
「いやあな、音楽プロデューサーの野田良子が、あの四人を相当かわいがっていたというか、そういうところがあったんだけどね。あの四人とは、ちょっと方向性が合わなかったようで。」
と、華岡は言った。
「それでは、彼女四人が、野田良子の使用人をやったとでも?」
と蘭が驚いてそういうと、
「いや、そういうことなのかは俺はよくわからない。でも、音楽プロデューサーとして、名を挙げている彼女に、疑念を抱いているのは、彼女たちだけなんだよな。そういうわけで、彼女たちなのかなあと。」
と、華岡は言った。
「まあ、いきなり決めつけるというのはまだ早いかもしれないけどさ。でも、そういうことを考えているのは、警察ならではだなあ。」
と、杉ちゃんが腕組みをしていった。
「野田良子自身は、どう考えているんだろうね。使用人の一人だから、何も気にしていないのかな。きっと、野田良子は、所属しているアーティスト何て、ただの道具、それくらいだと思っているのかな。」
「うーん、そうだなあ。少なくとも女であるから、ごみ見たいに捨ててしまうことはないと思うけどさ。でも、芸能人という職業では、また違うのかなあ?」
と、華岡は杉ちゃんの質問に答える。
「まあねえ、女と男は違うけどさ。女であるからこそごみみたいに捨ててしまうということもある。でも、その前にだよ。その女性と、直接的にかかわったということはあったのかな。あの、恋歌の四人。」
杉ちゃんが、そういうことを言った。
「ああ、少なくとも、箏の担当者と、十七絃の担当者は、野田良子の使用人と関わったという形跡はなさそうだった。そこははっきりしている。あのバンドは、東京芸術大学の同期生で結成されているが、和胡弓の担当者がほかの三人より、一つ上であることもはっきりしている。」
「へえ、浪人でもしたの?」
と、華岡が説明すると、杉ちゃんが聞いた。
「いや、事実ではそうなるんだが、一年彼女は、東京芸術大学を休学している。それもはっきりしているんだ。」
「ああ、なるほどね。ということは、大学になじめなかったのかな。」
蘭は、なんとなく彼女の裏事情もわかったような気がしてきた。
「実は彼女、僕のところに、ガーベラの刺青を入れにこっちに来ているんだよね。」
「そうなのか?」
と、華岡が聞き返す。
「そうなんだよ。腕の傷跡をどうしても消したいからって。それはもしかしたら、大学時代から始めたのかな?リストカット。」
蘭が、なるべくサラリと、あまり感情的にならないようにそういうと、
「そうなのかもしれないな。きっと、音楽学校が金持ちのお嬢さんばかりで、自分は、平凡なサラリーマン家庭だったということに、絶望したとか、そういうことだよ。」
杉ちゃんの勘は、時々的をついていることがある。なぜかわからないけれどあたってしまうときがあった。
「うん、俺もそう考えていた。そういう感じだと思う。あるいは、何か別のことかもしれないが、ほかの三人と、その和胡弓の女性に、顕著な違いがあるということだ。それが、今回の事件の根本的なことだったんじゃないかと思う。」
「じゃあ、あの、その、野田良子の使用人の女性と、和胡弓の柏崎朝代とは、接点があったんだろうか。」
と、蘭が聞くと、
「うーん、それはまだ、捜査している途中だ。使用人の女性と、彼女に関係があったかというのは、まだ判明していない。それは、もうちょっと捜査が進展するまで待ってくれ。」
と、華岡は、そういうことを腕組みをしていった。
「そうか、警察も、ゆっくりペースなんだねえ。本当に、のんびりやっているなあ。そういうわけだから、富士市が犯罪が多いわけだ。」
と、杉ちゃんがからかうと、華岡は、
「はい、そうです。」
と、警察の非を認めた。
「富士市は、確かに犯罪が多くて、俺たちがいくら捜査しても、調べられないんだよ!」
それを言われて、杉三も、蘭も、カラカラと笑った。
「まあ、富士市の治安というものは、警察さんでないと、何もできないからねえ。それは、守らなくちゃな。とりあえず華岡さんも、しっかりやってねえ。」
「まあ、富士は、平和というか、田舎なんだよな。」
二人は、にこやかに笑った。
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