第7話 かつての恩師からの警告 【情け深い】青年の過去

 コミュニティーの設立から数日が過ぎた。

 これまで夜の集会では、幾つかのアイデアが出てきたが、大抵がろくでもないものであり、実現が困難なものであった。

 すなわち、進展はない。

 進展と言えることがあるとするならば、優正ゆうせいが害魚捕獲の仕事に精力的に参加して幾分慣れるとともに、そこそこの額のPPが口座に溜まってきているということくらいだろう。

 そして、ろくでもないアイデアとこき下ろすような表現を使っているものの、優正自身はアイデアの1つすら思いつかないでいた。

 体力勝負の肉体労働は順調でも、アイデア出しのような頭脳労働はさっぱりなのだ。


 本日も朝の仕事を終わらせ、無意味に脳を回転させながらテント村への帰り道を進んでいく。

 その際、近道として人通りの少ない道を通っていくのだが……。

 違和感を覚える。

 後ろを歩く音がする。これは普通だ。別におかしいことじゃない。

 しかし、常に数メートルほど離れた位置をキープされているような気持ち悪さ。

 例えば、優正が少し歩くのを早くすれば、その分だけ後ろの足音も早くなる。遅くすれば遅くなる。

 何か通知でも見るふりをして止まれば、足音もピタリと止む。

 流石に気になって、帰り道を行くふりをして長い直線に誘導する。

 そして、隠れる場所が無さそうだというところで、急に振り向く。


「さっきからつけてきてるよな? 一体どこの誰だ!?」


 少しイラッとした口調になる。

 よくガラが悪いと言われることのある優正がそんなことをすると、見るものによっては恫喝していると勘違いされるだろう迫力があると思われる。

 けれど、視線の先の男性は怯む様子もなく、尾行がバレたことを慌てる様子もない。

 むしろ、こういう反応をされるであろうことを最初から分かっていたかのように、ひょうひょうと佇む。

 そして、結果からして、どちらかと言うと気が動転して怯んでしまったのは優正の方だった。


「あんたは!?」


「久しぶりですね、優正くん」


「工藤先生……?」


 そこにいたのは、優正の恩師である工藤くどう秋水しゅうすいであった。

 変わっていなかったので、すぐに分かった。

 今年で、確かまだ31歳だったはずだが、その落ち着いた雰囲気はもう60年とか70年生きてそうな印象を抱かせる。

 それこそ、26歳から5つ歳を取っていたとしても、何も変わらないのだなと思える程度には。


「お久しぶりです。先生は変わりませんね」


「よく言われます。若いのにまるで老人のようだなって」


「いえ、そんなことは……。先生は十分若く見えると思いますよ」


 実際、工藤先生が年相応に見えないというのは、老けて見えるというよりも、どちらかと言うと妖怪的な怪しさから来る30歳に見えない容姿だろう。


「優正くんは、そうですね、背が伸びましたかね? ともかく、立派に成長したようで、嬉しいです」


「ありがとうございます…………」


 昔の自分を知っている人との再会による動転と、なぜ今接触してきたのかということへの警戒心から、口数が少なくなる。

 けれど、どうしても聞かなければいけないことなので、聞く。


「何か御用ですか? 尾行されていたみたいですが」


 今回の邂逅。明らかな尾行をしてきたことを考えると、何らかの用事があってのことなのは間違いない。

 なにせ、工藤先生は忙しいはずなのだ。

 彼は今、日本最大の農業組織のリーダーポジションにいる。

 国民全員分の食糧生産を行う必要不可欠な組織を、たった8年で作って盤石のものにした、今の日本を代表するリーダーの1人である。

 そんな彼が、かつての多くいた教え子の中のただの1人である優正を尾行する。ありえない時間の無駄だ。

 だから何かあるに違いない。そう思うのは、おかしい論理ではないだろう。

 最近、怪しいメモの中に工藤秋水の名前が書かれていたことを知ってしまったことも、優正の警戒心に拍車をかけていた。


「もし、不愉快な気分にさせていたならすみません。別に尾行をしようと思っていたわけではないんですよ。ただ、少し話しかけるタイミングが分からなかったので」


「それは……負い目を感じてるっていうことですか?」


「負い目……ですか。言われてみたらそうかもしれませんね。思うところが無いわけではないので」


 工藤先生はそう話す。

 当事者である優正は工藤先生に一切の非なんてものがないと知っている。

 だから負い目があるのを聞くのは、皮肉的側面が大きかった。きっと、特に気にしていないと思っていた。

 だから、工藤先生が言葉上とはいえ、まだ気にしていると言ったのには、多少の驚きがあった。


「それで、用があるんですよね? 2000万のことですか?」


 優正は平静を装うために、先に知っている情報を出す。

 メモに書かれていた工藤秋水の名前とともに書かれていた謎の数字。

 こちらは既に全て知っていて、そちらより上にいますよ感を出すための幼稚な振る舞い。

 けれど、もちろんそれが何か知らないため何の武器にもならないし、相手に無駄に自分が持っている情報を開示する行動だ。


「メモを落としたと言っていましたが、ちゃんと覚えていたのですね? 私がしたいのは、その話だったのでちょうど良かったです」


 落としたというのは、あのてまりにぶつかった男性から聞いた話なのだろう。

 ということは、やはりあの後、工藤先生はどこかで男性と話をしたということらしい。


「優正くんは、もうあの数字が何の数字か突き止められているのですか?」


「……いえ、分かりませんでした」


「そうですか。では先にヒントとして、数字が何か分かれば、彼が何をしようとしているかも自然と分かるとだけは話しておきましょう」


「心に留めておきます」


 工藤先生は、優正の言葉になんか動じずに、予想していましたみたいな反応をする。

 全部見透かされていて、手のひらで転がされているような気になる。

 だから、もう腹の探り合いみたいなことは止めて、話を聞くことに集中することにした。


「私がしに来たのは警告です」


「警告ですか?」


「はい、このままだと日本が変わってしまうという警告です。ある男性が、今の日本のあり方に異を唱えて、それを変えようと画策を行っています。このままだと、それは実現されてしまうでしょう」


「ある男性……というと、メモを持っていた男性ですか? 彼は誰なんですか?」


「最初の質問の答えは、YESです。2つめの質問の答えは、私の知人です。それ以上は言いません。彼にとって不利益になってしまうので」


 男性について詳細を聞くことができたら、楽に調べることができそうだなと思っていたが、それについては先に釘をさされる。

 というか、工藤先生の話し口調では、日本を変えてしまおうとしている男性を優正に止めさせようとしながら、同時に味方をしているようにも思える。

 そうして、メモの中身を振り返ってあることに気付く。


「工藤先生は、男性に協力しているんですね?」


 あのメモの中で、工藤先生は断トツの数字を誇っていた。

 何の数字かは分からないが、きっと大きいほうが重要な数値のはずだ。

 小太りの男性の計画は、工藤先生が協力しないことには実現しないモノのように思われた。


「ええ、私は彼の提案を受け入れました」


 そして、工藤先生は何ごともないように、それを認めた。


「どうしてですか? 弱みでも握られているんですか?」


「いえ、別に。そういうわけではありませんよ。私、自らの意思で彼に協力することにしました」


「じゃあなんで、オレに言うんです? 警告なんて言わなければ、きっと気付きませんでしたよ。先生は、男性の計画が成功して欲しいのですか? 失敗して欲しいのですか?」


 工藤先生のやっていることは、矛盾しているように見える。

 男性の計画に協力していて、不利益な情報を開示しないと言いながら、優正にはまるで止めて欲しいとでもいうような警告を行う。


「どちらなんでしょうね。自分でも分かりません。……というよりは、どちらでもいいのかもしれませんね」


「そんな無責任な……。日本の危機なんですよね?」


「ある意味では、ですね。一方的に全ての人にとって悪い話というわけでもない。だから、私自身はどちらに転んでもいいと思っています。ただ、このままだと間違いなくそうなってしまうので、アンフェアだと思ったから、優正くんに知らせることにしたのです」


 工藤先生は、そういって中立的な立場だということを強調する。


「こんな中途半端なこと言われて、オレは何をしたら良いんですか? どうしたら良いんですか?」


「とりあえずは真実を追ってほしい。彼が何を起こそうと思っているのか、ぜひとも解き明かしてほしい」


「それで、その後は?」


「その後は、君自身で決めてほしい。止めるべきか、そのまま放置すべきか。どちらがいいかは、優正くん自身が決めるといい」


 つまり、工藤先生は、自分で正しさの在り処がどちらにあるかを決めることを放棄したらしい。

 そうして、別の誰かに――具体的には優正に、最後の決定を任せることにしたというように聞こえる。

 けれど、よくよく考えると工藤先生の周りには優正よりも優秀な人などごまんといるはずで、こんな影響が大きそうな話を優正だけにするわけがない。


「オレは降りたほうがいいですよね。先生から同じ話を聞いた、他のもっと優秀な人が判断してくれたほうがいい」


「話したのは君だけだし、他の人にこれから話すような予定はないよ」


「………………」


 工藤先生の言葉に、優正は絶句することしかできない。

 数秒、沈黙が流れる。

 そして、ようやく出した一声は純粋な疑問だった。


「どうして、オレなんですか?」


「なんでだろうね? 君の刑期が終わったと聞いて、タイミング的に丁度いいと思った部分があるかもしれない。でも、君がまだ塀の中にいるとしたら、誰にも言わないで流れのまま行っていたと思うから……。だからきっと、柳沢くんのあの一件があったからだろうね」


「ヤナの……」


 唐突に出てきた名前に、過去の傷口をえぐられる優正。


「私は、あのとき君が柳沢くんを助けたこと、決して間違いだったとは思ってないのですよ。正解だったかと言われると、それも分からないですが」


「オレは間違ってたと思いますよ……」


「きっと、だから、そんな選択ができる君に託したかったんでしょうね」


「そんな勝手な……」


「だから、きっと真実に辿り着いてください。彼は日本のシステムを根本から変えようと思っています。あのメモと数字はその際に必要なものです。私が言えるのはここまでです。それでは」


 最後の方は、優正が何を言おうとも関係なく、自分が言いたいことだけを喋っていった。

 そして語り終えると、裏路地に優正を取り残して去っていった。

 本当に勝手な人だ、と優正は思った。

 明らかに重くなった足取りで、いつもより長くなったように感じる帰路につく。




「わっ! どうしたんですか、相模さん!? お顔が真っ青ですよ」


 テント村に戻ってきた優正を迎えたのは、そんなてまりの驚きの声だった。


「大丈夫だ」


「いや、大丈夫じゃないですよ!! おおおお医者さんとか、呼んだ方がいいんでしょうか??」


 どうやら、よっぽど大丈夫じゃ無さそうな顔になっていたらしい。

 わたわたし始める。

 そんなてまりの様子を見ている内に、少しだけ動転していた気持ちが落ち着きを取り戻し始める。


「ありがとう。少しだけ落ち着けた。本当にもう大丈夫だ」


「そ、そうですか?」


「ああ、それよりも、この後時間あるか? あのメモのことに付いての話だ」


「あ、はい。わたしは暇ですっ!」


 ということで、場所を優正のテントの中に移して話をする。

 優正の恩師である工藤秋水に会ったこと。

 彼から、メモを落とした男性が日本に危機をもたらすような画策を行っていること。

 メモは、その計画にとって重要なもので、解き明かすためのヒントになるだろうこと。


「何か変なことになってきたよな。巻き込んでしまってすまない」


「……え? あ、はい? いえ、謝っていただかなくても。……こう言ったら不謹慎なのかもしれませんが、小説に出てくるような展開になってきて、少しワクワクしてるんです」


 そう言って、てまりはニコリと笑顔を見せる。


「そ、そうか」


「だから、ぜひともわたしも関わらせてください」


「ああ、分かった」


 そう言ってから、少しの間悩んだ後、てまりに話すことに決めた。

 優正が強制生産施設で5年過ごすことになるきっかけとなった、つまらない大事件のことを。


「今回の件に関係しないかもしれないが、オレと工藤先生とある友人の話をしようと思う。聞いてくれるか?」


「ぜひ、教えて下さい」


 てまりからの了承がもらえたので、優正は語り始める。


「8年くらい前、日本がAI生産主義の現体制になって間もない頃の話だ。

 オレはそれまで、空き家を根城にして日々の飢えを凌ぐために食糧を盗む、10代半ばくらいまでの男女で構成されたグループに所属していた。あのときの日本は、そうしないと、本当に若者は生きていけなかったんだ。

 社会の体制が変わって、これで今までの惨めさから解き放たれると思ったオレたちは、その時ちょうど事業を開始しようとしていた工藤先生の農業組織に拾ってもらうことになった。

 学が無い代わりに身体は丈夫なヤツが多かったから、農業だったら別に頭使わなくても体力勝負でなんとかなるだろう、なんて馬鹿な考えをもっていたんだ。

 工藤先生は、オレたちが義務教育さえ受けられていないことを知ると、勉強を教えてくれると言ってくれた。

 オレたちにとっては、別に勉強なんて受けなくてもいいと思っていたから、ありがた迷惑な話だった。それより、農業をして、生産した分のお金が欲しかったんだ。

 けど、実際に渋々授業を受けてみると、それが生産性の高い行動だとAIが判断して、システムからPPが配られたんだ。それに気をよくしたオレたちは、工藤先生に勉強を教えてもらうことにした。AI生産主義社会の中での、てまりも通っていた学校制度ができるよりも前の話だな。

 週の3分の1が勉強で、週の3分の1が農業で、残りの3分の1が休み。そんな毎日だった。

 そういう風にして、勉強を教えられたから、オレたちはいつの頃からか、工藤先生には先生を付けて呼ぶようになったんだ。

 ここまでは問題ないか?」


 一息付き、てまりに話に付いてこれてるか確認をとる。


「はい、大丈夫です。相模さんは工藤さんの元で、かつてのお仲間さんたちと勉強と農業をしていたという話ですよね」


「その認識で問題ない」


「それにしても、学校にも通えなくて、その日暮らしで子供が命を繋いでいたなんて時代が、日本にも本当にあったんですね。わたしはギリギリ、物心つく頃にはちゃんと学校とかに通えるように整備された状態だったので、想像がつきません。そう言えば、本当に幼いときのかすかな記憶で、ひもじい食事をしてたかもなといった程度です」


「まあ同年代でも、裕福な暮らしをしてるヤツももちろんいたけどな。オレたちは特別貧しい方で、親から捨てられたとか、そういう事情を持っているのがほとんどだったよ」


 5つ生まれた年が違っただけで、結構時代の印象も変わってくるんだなという認識を、てまりと共有して不思議な気分になる。

 あの頃の暮らしを頭の中で思い出して、十分に懐かしんだ後、続きを語るのに戻る。


「工藤先生の手腕で、組織はドンドン大きくなっていっていた。

 子どもたちに勉強を教えた結果、中には各分野に才覚を発揮し始めるのも現れ始めた。

 そんな中、オレも特別な才能はないながらに、順調に努力を積み上げていっていた。

 少なくとも、5年前のあの事件が起きるまでは、何もかもが順調だったと思う」


 思えば、あの頃が優正の人生の中で、最も充実していた時だったのだろう。


「3年経って、肉体労働として始まった農業は、ロボットを使って多くの部分を自動化したものに、すっかり置き換えられていった。

 効率化によって、当初せいぜい町内の食糧事情を賄う程度だった規模は、数人で日本の食糧自給率の数十%を担当するまでになっていた。

 急激に、でも段階的に大きくなったことに対して、オレたちは昔の小規模だった頃の精神が抜けてなかったんだろうな。多くの人の生活を支える食糧を作るということが、何を意味するのか本質的には分かっていなかった。

 分かっていなかったから、作業の中で不注意な部分が大きかったんだ。

 だから、あのときではなかったとしても、遅かれ早かれ同じようなことは起きたんだろうな。

 ともかく、3年前からの延長線上、農業と勉強の日々の中の、本当になんでも無いある日の出来事だ」


 優正は今でも、あの日の快晴の空を思い出せる。

 農場を取り巻く、機械と土の臭いも思い出せる。

 何なら、当時の各作業場の曜日ごとに割り振られた当番表のことだって思い出せる。

 木曜日は、優正がある仲間とペアで作業を行う日だった。


「ヤナ――柳沢やなぎさわ藤吉郎とうきちろうは、オレと一緒に工藤先生に拾われた少年グループの1人だった。

 どういうヤツだったかというと、自分に自信がなくて、おっちょこちょいなやつだった。

 けれど、どこか憎めないヤツで、お調子者で場の盛り上げ役としても活躍する時があるので、悪印象を抱く人は少ないタイプの人間だ。

 オレとヤナは年代も近く、作業のときにペアになることも多かった。

 その日の仕事は水やりで、当番はオレとヤナのペアだった。

 見渡す限りの畑の世話は、実働30分もあれば終わる簡単な仕事だった。

 蛇口を捻ってロボットに水を入れる。水やりのルートをタッチパネルで選択する。

 そういうセットアップまでが人間の仕事で、後は全てロボットが動き回って、勝手に行ってくれるものだった。

 慣れた仕事だった。

 慣れすぎていて、お調子者のヤナは、おふざけを仕事の中に入れてしまっていた。

 その不注意さでもって、ヤナは農薬の原液のボトルを1本まるまる給水タンクの中に落としちまったんだ。

 オレはその瞬間を見てはいなかった。

 気付いたのはロボットが水やりを開始した後、ヤナの真っ青になった顔を見たからだった」


 あんなに人間の顔が青く染まるのを見ることは、今後一生ないだろう。

 放心状態のヤナに「どうしたのか? 何があったのか?」と、何度も何度も声をかけて彼はようやく、空のまま放り出された農薬のボトルと水やりロボットを順に指差して、何を起こしてしまったのか優正に伝えたのだ。


「問い詰めてようやく、ヤナはこの世の終わりのような顔をして、自分の犯してしまったミスをオレに伝えた。

 そのミスは本来、起きてしまった時点で報告して、ロボットから農薬入りの水を抜き、作業をやり直せば大した問題にはならなかった。

 問題になったのは、ヤナがミスを隠そうとしてしまったからだった。

 ヤナは自分がミスを犯したときに隠蔽しようとする悪癖があった。

 もう取り返しがつかない重大な問題が起き、少し経ってことの重大性を把握して、そしてようやくヤナは顔を青くしたんだ。ヤナがオレに伝えたのは、もう水やりが半分は終わってしまっていた頃だった。

 既に半分は農薬の基準値越えで弾かれる、駄目な野菜になってしまっていた。とてつもない損害だ。

 その時、オレが本当にすべきだったのは、一刻も早く水やりロボットを止めて被害を食い止めることだったのだろう。

 けれど、ヤナの『どうなっちゃうんだろう? もうオレは助からないのかな?』と、すがるような泣き顔がそれをさせなかった」


 今、思い返しても馬鹿げた判断だった。

 結局、畑の被害を増やし、ヤナの罪を増やし、優正自身の青春時代を失うことになってしまったのだから。


「オレは、農薬の混入を、機械のミスに仕立て上げることにした。

 データが取れないモノについてAIは評価ができない。だから、農薬混入がヤナのせいじゃないと見せることができれば、AIを騙せると思ったんだ。

 少なくとも収穫時に農薬の量は調べられる。だから、使用したこと自体の隠蔽は、問題の先延ばしにしかならないことが分かる程度には、頭が回っていた。

 そうしてオレは、無い頭が回る範囲で、農薬が偶然混入されたように見せるために、物の配置を変えて、嘘の証拠を作っていった」


 その時の自分を思い返すと、本気でバレないと思って汗を流している姿が滑稽に思えてくる。


「すぐにバレたよ。

 作業場にはカメラが付けられていたんだ。

 オレたちは機械の故障で、偶然農薬が混入してしまったことを報告しようとした。

 直前、2人のリストバンド端末からアラート音が鳴る。

 網膜に情報が映し出される。

 マイナスになった理由。大量の食糧を台無しにしたこと。及び、その行為の隠蔽。

 オレたちは個人の資産では抱えきれないだけの負債を負う。

 その結果、強制生産施設行きが決定した。

 主犯のヤナは30年間、オレは5年間、マイナスを返済し終えるまで、施設で生産活動を続けることに決まった。

 すぐに施設の使いがやってきて、オレとヤナは捕縛された。そのまま工藤先生や、他の仲間の顔を見ることもなく、施設に送られることになった。

 これが、オレが強制生産施設に入ることになった事件の全容だ」


 後で分かったことだが、そのカメラはあるシステムの構築の準備段階として置かれていた。

 そのシステムとは、今回のように発生したミスをいち早く知らせて、被害の拡大を防ぐものだったらしい。

 例えば今回の場合、ヤナのミスが検知され、ロボットを動かし始める前にアラートを発生させる。アラートはロボットの動作を停止させ、作物全てを駄目にするような事態には発展させない。

 皮肉にも導入されていればヤナを救っていたシステム。

 そのために備えられたカメラが、ヤナと優正が発生させた決定的なマイナスが、いち早く知られる要因となったのだ。


「大量の農作物に被害を与えた大罪人は、あえなくお縄につきました。工藤先生とはそれ以来で、彼がオレに何を期待しているのか、さっぱり分かりません。といったところだな」


 喋り切る。

 喋り切って、スッキリした気持ちになる。

 あの時の自分の判断は、本当にどうしようもない過ちだった。今なら、もっと上手く立ち回れただろう。

 改めて思い返すと、そんな風に当時の自分を客観視できた。

 今後は笑い話にできそうだ。

 静かに聞き入ってくれたてまりがいたことで、とても話しやすかった。

 口は挟まない代わりに、とても親身になって聞いてくれてそうな顔を向けられていた。

 てまりは聞き役の才能があるのだろう。


「わ、わたしは……」


 話が終わって、それまでずっと口を閉じていたてまりが、遠慮がちに声を出す。


「わたしは、相模さんの優しい選択が、全面的に間違ってたとは思わないです」


 驚きの反応だった。

 馬鹿をやったな、と笑われる類の話をしたつもりだった。

 決して、当時の判断を肯定される反応をされるとは思っていなかった。


「でも、とんだ大罪人だぞ。受けたPPのマイナスからも分かる通り」


「生産性の良し悪しが、人間の良し悪しを決定づけるわけではない!」


「……『星明ほしあかりの真実しんじつ』か?」


「はい、わたしのバイブルです」


 てまりが、堂々と言い切ったのは、『星明かりの真実』の一節だった。

 その言葉に偽りがあるわけ無いとばかりに、ニコリと笑みを浮かべている。


「正しい選択だったかって言われると……微妙ですが。相模さんらしい優しい選択だったと思います。それを見てきた工藤さんが、相模さんに託したかったのも分かります。優しい選択で世界を救ってほしかったんですね」


「そんな……」


 そんな勝手な理由で、大役を任されても困る。

 優正たちの昔の仲間の中には、優正よりも優秀で正しい選択ができる人間なんて、ごまんといたのだから。

 その中で、あえて優正に託す理由が、間違ったけれど優しく見える選択をしたからだなんて。


「相模さん、謎を解き明かしてみましょう。どういう選択をするかは、解き明かしてみてから考えましょう」


「そうだな。……というか、てまりはかなり乗り気なんだな?」


「へへえ、気付きました? 先程も言いましたが、大事になってきて、まるで小説の世界の中の出来事みたいで、ワクワクしてるんです」


「まったく、不謹慎だな。日本の危機かもしれないんだぞ?」


「日本の危機を救う……。なんかコレって、達成できたら、スゴイ量のPPを手に入れられそうじゃありません?」


「まあ、言われてみたら、そうかもな?」


「だからやりましょうよ。みんなで一緒に謎解きして、一攫千金目指しましょう。5人揃って知恵を絞れば、きっと答えにたどり着けるはずです」


 てまりの目がやる気に燃えている。

 数日前、この場所で生まれた非生産的な5人のコミュニティー。

 それは、まさにこういった一攫千金のチャンスを見つけて、協力してそれをつかみ取ろうというものだったはずだ。


「でも、こんなきな臭いことに巻き込んで、何か起きてしまったら、申し訳が立たないな」


「だったら、なおさら相模さん1人で抱え込んじゃいけませんよ。わたしたち仲間じゃないですか。危ない橋もみんなで越えていきましょう」


 いつになく押せ押せな調子のてまり。

 優正の心も決まった。みんなで男が何を起こそうとしているのか解き明かそう。

 そして、今度こそ正しい選択をするのだ。


「ありがとう。てまりのお陰で決心がついたよ」


「へへっ、どういたしまして」


 てまりへの礼を言い終わると、数日前に出来たばかりのグループのメンバーを集めるため、優正はメッセージアプリで送る内容を考え始める。

 書き出しは『一攫千金のチャンス到来』辺りがいいだろうか。

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