第5話 街に繰り出そう! 【イキリクズ】少女に懐かれる1つの方法

「この5年で街の様子も、結構変わったもんだな」


 街に繰り出した優正ゆうせいは、プチ横井庄一現象にあっていた。

 強制生産施設からの出所より1日経過。

 自分のテントで寝て起きた優正は、配給所の美味しくない朝食で栄養を補給した後、これからの仕事を見つけるために街へ繰り出したのだ。

 仕事を見つける以外にも、単純に5年経って世間がどれくらい変わったのか、自分の目で見ておきたかったという理由も含まれる。


 ファーストインプレッションとしては、建物が綺麗になったな、そして昔より低くなったな、という2点。

 昔――といっても、所詮5年前のことなのだが――この街を含め、日本という国は荒んでいたのだ。


 優正が生まれた20年前である2020年、日本は非常に治安の安定した国だったらしい。そう歴史を学んだ。

 だが世界的な世代間分断の動きに伴って、多くの若年層から生産年齢の人口の海外流出が起きた。その結果、金は余っているが公共サービスを保てないまでに労働者を失ってしまったのが、およそ10年前の出来事である。このときのことは、幼いながらにリアルタイムで経験しているので優正にも分かる。

 そうして増えたのが空き家と格差であり、海外に逃げ遅れた貧困の若年層が空き家を根城にして、金を持つ高齢層に暴力を奮い金品を巻き上げる事件がニュースにもならないほどに起きるようになった。

 これを当時は警察の権限を高める法律で制御しようとした政府。しかし、もはや公権力によってどうにかなるタイミングを逃していたため、治安は悪化の一途を辿り、若者が生き残るためには暴力と盗みが当然というところまで来ていた。


 治安を元に戻し自分たちの身が守られることを願う高齢者の利害と、格差の付きすぎた資本主義社会のリセットを願う若年層の利害が交わった結果、日本では世界でも類を見ない主張の政党が与党となる。

 AI生産性主義せいさんせいしゅぎというAIが人の行いの善し悪しの判定を行い、それに応じた再分配をするという、新しく一見平等に感じられる社会制度を人々は強く支持した。

 その結果、法律がすっかりと書き換わる。

 生産性の判断をするAIの構築と判断の基準になるデータを収集するためのデバイス面での下準備が、国に残されていた資産を費用として外国に発注され、2年後納品される。

 そして、その時を持って日本社会に大きなリセットがかかった。


 5年前とは、この新社会制度に切り替わって、そう時間が経っていない時期。

 それゆえに、2020年以前に建築された多くの建物がメンテもされず、破壊だけされて残っていた。

 そのため、優正の知っている街並みというものは、建物の破片が道に散らばっていて、壁には穴が空いていて普通。そういうものだった。

 なので、壁に穴が空いておらず塗料も新しい建物が整然と並ぶ街並みを美しく感じた。


「って言っても、この辺の飲食店街には入れる場所が無さそうだな」


 テント村近くの街の入口近辺は、同型で箱型の飲食店が、それぞれ別の看板料理を掲げて並んでいる。

 どの料理も、5年もの間、配給のマズい飯しか食べて来なかった優正には、興味深く、美味しそうに見える。

 しかし、その全てが10人程度のグループ利用を前提としたものになっている。

 更に言うと、飲食はメインではなくて、イベントスペースのようなものとしての利用が想定されているらしい。

 1人でも場所代は10人分持っていかれるため、手持ちのPP生産ポイントでは1食分にも足りない。

 どうやらお一人様に屋根付きの飲食店で食事を摂る人権はないらしい。


 代わりに街の往来を妨げない場所にワゴン販売車がポツンポツンと存在して、工夫を凝らした料理を提供している。

 特に自然公園と隣接した広場には、多くのワゴン販売車が並んでフードコートのような状態になっている。

 どうやら購入して、そのまま自然公園に持ち込んで歩きながら食べるようなスタイルを想定しているようだ。

 そんな中、一際長い行列を作っているワゴン車を見つける。


「特に他のワゴン車より美味そうなものを売ってそうには思わないが……」


 と不思議がりながら、優正は手首が目に映るように前にかざす。

 それと同時に現実の風景に付加情報が乗って見えるようになる。

 具体的にはワゴンで言うと、どういう食材を使った何が売っているか、そして購入にどれだけのPPが必要になるのかである。

 そうして行列のワゴンに付加された情報の内ある1点に、優正の目は惹きつけられる。


「購入額がマイナス? どういうことだ?」


 そう驚くことに、買ったらPPが貰えると書いてあったのだ。

 購入金額の内訳を詳しく見ていく。

 販売者側の取り分が昨日の優正の労働1時間分くらい。この時点では当然、優正はPPをは支払わなければいけない。

 しかし、同時に購入者の生産への貢献が労働1.5時間分くらいと評価されていた。

 すなわち、買って食べるだけで、農場でぼーっとロボットの労働を並べている労働の1時間半分の価値を生産しているとのたまっているらしい。

 1時間分の価格と、1時間半分の生産。その差し引き分が購入者の懐に入る仕組みになっている。

 これは行列ができて当然だ。


 そして、そのカラクリは食材にあった。

 凶悪で生態系を荒らす害魚の肉で作ったサンドイッチのようだ。ちょうど隣の自然公園の池で捕獲したばかりのものを使用しているらしい。

 自然公園の自然が守られる分の貢献が、購入者の労働1時間半に相当するらしい。

 怪しいものじゃないことを確認して、優正もすかさず列に並ぶ。

 15分ほどで列の先頭に辿り着く。

 手際よくデバイスの画面に購入の承認ウィンドウを表示させられ、間髪おかず優正が「OK」を押す。

 すると使い回すタイプのシリコンケースに入ったサンドイッチを1つ渡される。


「まいどあり」


「少し聞きたいことがあるんだがいいか?」


「後ろのお客さんも待っているから手短にな」


「害魚の捕獲の仕事って、やらせてもらえるもんなのか?」


「そういうことなら、自然公園の仲間に詳しく聞いてくれ。やる気があるなら普通に手伝えると思うぞ。兄ちゃん、体力ありそうだしな」


「そんな簡単にいいのか? 割のいい仕事なら独占とかしたくなるもんだろ?」


「いや、そういう風に門戸を閉じる行動したら獲得PP減るからな。あまりに人が集まってきたら、増えすぎたところで後からの参加者がPP獲得できなくなって、勝手に来なくなるからそれに任せるのが普通だろ?」


「ああ、そうだったな。ちょっと事情があって、その辺疎くてな。話が長くなって悪かったな」


「まあ仲間になるかもしれない相手だし、少しくらいはな。明日も食べに来てくれよ」


「美味かったら、毎日でも来るよ」


「じゃあ、常連客ゲットだ」


 優正は受け取ったシリコンケースを手に自然公園に入っていく。

 サンドイッチを食べながら、害魚捕獲の様子を見てみるために、いい位置のベンチに腰をかける。

 サンドイッチの具は淡白な味の白身魚のフライだった。

 味の方は驚くほど美味しく感じた。

 それはきっと、ここ5年間食べ続けてきたものが、薄くて味気ない栄養を摂るためだけの配給食だったのが大きいのだろう。

 これは毎日来て、サンドとPPをゲットすること確定だ。


 食べながら池の隅の方を見やると10人ほどの集団が、追い込み漁のようなことをやるところが目に止まった。

 網の範囲を狭めていく集団。

 何ごとも起き無さそうに見えていたその瞬間。

 バッシャン!! バッシャン!!

 激しく水面を叩く音とともに、水しぶきが舞い上がる。

 網ごと持っていかれそうになる身体を踏ん張って耐える集団。かなり辛そうに見える。

 が、それから十数分、その衝撃に耐えながらも網の範囲を徐々に狭めていく。

 最後には、追い込み用の網を支えているのとは別の仲間が、柄付きの網でくるむようにして捕獲する。

 丸太ぐらいの太さがありそうな、のっぺりとした顔の巨大な魚が、まだ元気に身体をくねらせながら、網の中に収まっていた。

 思わず岸辺で捕獲作業を眺めていた人々から、まばらに拍手が送られる。

 どうにも、かなり体力を使う仕事らしい。

 大変そうだが、やれなくは無さそうだと優正は思い、川から上がろうとしているその集団に声をかけるべく近寄っていく。


 


 話し合いの結果、明日から追い込み漁の際の網持ち係として参加できることになった。

 これからは、追い込み漁の仕事をした後、サンドを食べるのが午前のルーチンになりそうだ。

 仕事の宛ができて一安心した後も、優正は更に街がどれだけ変わったのかを見るために散策を続ける。


 特に確認したかったことは、住環境の質を無料のテントから上げるためにはどの程度のポイントが必要になってくるかということだった。

 だから、優正は売りに出されていたり、借りに出されている良さげな立地の住居を巡って価格チェックを行っていった。

 また半ば冷やかしまじりで、街の中心部にある高級住宅の価格チェックを行って白目を剥きかけたし、その周囲に看板を構えていたオシャレな喫茶店のメニュー表を眺めて苦笑いもした。

 本当は、それらの価格は、こんな風に足を使って回らなくても、ネットでチェックすれば分かることだ。

 何なら、住居などの必要になってきそうなものに関しては刑期を終える1ヶ月前くらいから、ちょくちょくと確認を行っていたので、元から現在の所持金では、まともな現代的住居の1ヶ月分の賃貸料にも足りていないことは知っていた。

 だから、これは皮算用。

 何日働けば、どれだけの消費活動を行えるか身体に染み込ませて、明日からのモチベーションを高めるためのチェック。


 そして、住環境改善のために貯めなければいけないポイントの算段が済み、次の興味である食品と日用品の確認に移っていく。

 そのため、優正は街の外れにあるマーケットに向かった。

 超巨大な箱型の建物であり、中は倉庫のように棚がズラリと並んでいた。

 入り口でゲートに備え付けの機械にリストバンド端末をかざして入場する。この操作でマーケットの客側の規約に同意したというチェックを行うためのものである。

 入場後、優正は棚の群れに圧倒された後、すぐにそこに立ち向かっていくのではなく、隅に移動して端末を操作し、大凡どこに何があるかのチェックをしてから分け入っていく。


 マーケットの仕組みとしては、無人販売所とフリーマーケットを組み合わせたものに近い。

 マーケットの運営側は、商品棚を販売の場所として生産者に提供する。入り口のゲートの仕組みや、秩序が守られるためのルール、警備のロボットの配置などの設備投資を行っておくことで、管理された取引場を運営しているということでPPを獲得する。

 生産者はマーケットの商品棚を借りて、自身の商品に値段を付けて売る。販売開始時に、例えば食中毒になる確率が高いなどの社会に対してマイナスの影響を与える場合には、その分のPPも一緒に支払う。

 客は生産者が付けた値段に加えて、その商品の購入が社会全体にとってプラスかマイナスかで算出されたポイントを上乗せさせた価格を払って商品を購入する。

 そういった形でマーケットの中の経済は回っている。


 そもそも、今どき大手で健全な贅沢品は、月額幾らで定期支給型の効率化された形を取ることが多い。

 なので、こういったマーケットには、真っ当な贅沢品だが事業開始直後で知名度が低い商品や、不健全であり真っ当なルートでは取り扱いにくい商品が多く並んでいる。

 という若干アングラ感があるのが、強みになっている。


 例えば、こんな風に商品が並ぶ。


 『最高品質マリファナ』

 1g辺り

 消費PP:15000

 売値:5000

 社会損益:-10000


 『アルコール入り炭酸飲料』

 500ミリリットル×20本

 消費PP:28000

 売値:8000

 社会損益:-20000


 『タバコ』

 10本入×12箱

 消費PP:30000

 売値:5000

 社会損益:-25000


 『チョコレート』

 50g×30箱

 消費PP:10000

 売値:4000

 社会損益:-6000


「マジか……今はチョコもドラッグと同列に扱われる時代なのか……」


 幼少期に食べたチョコレート菓子の味を思い出しながら、それが今や脳を破壊するとか散々刷り込まれてきたドラッグ等と同様に、売値よりも社会損益のマイナス分が価格に上乗せされている商品となっている事実に戦慄する。

 気になって調べてみると、甘いものは依存性が高く、その割に健康的な価値が低いのでそうなっているらしい。

 最近では、大手製菓会社が出す商品には、軒並み健康面でプラスになる成分を加えて、社会損益のマイナスを減らすという涙ぐましい努力がなされているらしい。


 糖類の生産性がマイナスであるショックを引きずったまま、次の棚に目を移そうとする。


「なあ、かわないのか?」


 優正を引き止める少し舌足らずな声。

 びっくりして不機嫌そうに見える顔になりながら、声の主を探す。

 それはチョコレート菓子の棚の前にちんまりと座り込んでいた。

 10代前半と思わしいミニマムサイズの少女。

 長い髪の先の方が、マーケットのコンクリ剥き出しの床に、ぺたんと垂れている。


「お前が出品者なのか?」


「そんなわけないだろう。バカなんか?」


 と言われても、この状況で商品を買わないことを引き止める他の理由は思いつかない。

 だが、彼女自身が自分が出品者ではないと言っているのだから、そうなのだろう。


「なんか勘違いしたみたいで悪かったな。じゃあな」


「なあ、本当にかうという選択肢がないか、もう一度かんがえてみないか?」


「いや、無いから去ろうとしているんだけどな」


 何故か哲学的な問いを投げかけるように、生産者でもないのにチョコのセールをしてくる少女に、きっぱりと「いらない」と言って去っていこうとする優正。

 怪しげなアイディア日用品が並ぶ棚に移ろうとするさなか、ちまんとした寂しげな姿の少女の背中に1つのことを思いつく。


「もしかして欲しいはお前の方か?」


 欲しいけど手持ちがなくて買えなかったから、誰か買う人間が現れないか待っていた。

 そして、買った相手から少し分けてもらおうとでも思っていたのだろうか。


「そそそ、そんなわけないだろ。バカにしてんのかっ!? …………でも、くれるっていうんなら、もらってやらんこともないけどさっ!!」


 言い回しから分かりにくいけど、態度から見るに、どうやら当たりらしい。

 もらってあげないこともないと何故か上から目線の言葉を発する声が喜びに跳ねている。

 縮こまっていた時は、どんよりとした空気を纏っていた。

 それが、今は優正の姿を上目遣いのキラキラとした期待の目で見つめてくる。

 視線が痛い。


「このチョコは割高だぞ。多分、定期購入で健康成分入りの商品を買った方が安く済むぞ」


 とりあえず、さっき知り得た情報でアドバイスをして、その場をやり過ごそうとする。

 けれど、少女は呆れ顔になって、やれやれと手を顔の高さで振る。


「そんな誰でもしっているような一般常識でアドバイスなんて、アタシをバカにしてるの?」


「じゃあ、そっちを買えばいいんじゃないか?」


「ねえ、食品の定期的な適正摂取量を越える購入時に、消費PPが上乗せされるようになっているって知ってる?」


「いや、知らないが」


 優正の質問に質問を返す少女。

 優正が素直に答えると、少女は「これだから」とばかりに鼻を鳴らす。


「まあ、つまり大量におかしの定期購入をしようとしても、余計にポイントが必要になっちゃうってことだよ!」


「あーつまり、適正量はもう購入していて足りないから、マーケットに来て買おうとしたってことか」


 大手の菓子メーカーが安く売っているなら、ここで売られている割高な菓子にはどういう意味があるのかと思っていたのだが、どうやらこういった需要があるらしい。


「ち、ちがうからっ! 適正量はこえてないからっ! ただ、ちょっとした手違いがあって。……きいてくれないか?」


 少女は語り始める。

 今月に入って今日で3日。それまでに起きた事件(彼女曰く)について。


「月初めになって、待ちに待った1ヶ月分のチョコチップスの支給がきたんだ。

 アタシは、それを大事に大事に味わって食べはじめたんだ。

 しばらくは、ゲームとかで遊びながら楽しくなにごともなくすごしてきた。

 事件がおきたのはけさのこと。

 なんと、1ヶ月分あったはずの、チョコチップスがアタシのもとから跡形もなくきえてしまっていたんだ」


 全部食べきっただけじゃないだろうか。

 と真っ先に思ったものの、1ヶ月分を2日で消費してしまった無計画な少女の深刻そうな表情に、言葉にして責めるのがはばかられた。


「世紀の大事件だとおもわない?」


「………………ああ、そうだな」


 15年前に世界の若年知識人がオーストラリアに集団移住したこととか、10年前の大地震だとか、他の真の大事件から抗議の書面を送られそうだなと思いながらも、少女に同調しておく。


「そういえば、えーっと、お前はこんな時間からここにいるけど、学校とか行かなくていいのか?」


 多少面倒になってきたので、どうにか話題を逸らして、その場を去れないかと試みる。

 今の日本では生活は基本的に自己責任が原則なのだが、ある一定の生きていけるだけの能力を得られるようになるまでは、基礎学力学校に通うことになっている。

 学校では、これからの日本を支えていく生産者になるために、社会の仕組みやPPを稼ぐための方法、適正のあるものに対しては数学やアルゴリズムといったことを教える。そして、教師と生徒の両方が、未来の日本の生産力を高めたとしてPPを貰えるようになっている。らしい。

 昨日、てまりが今年カリキュラムを終えたばかりだと言っていたのだ。

 てまりより、3つか4つは下に見える少女は、まだ学校に通っている年齢に違いないだろう。

 そう思って、学業に戻らなくてもいいのかと圧力をかけようとする。


「学校? あー、めんどかったから、ちゃっちゃとテスト受けて、もう卒業しちゃったよ」


 彼女はそう言って、基礎学力学校の全科目履修完了を示す修了マークを見せてくる。

 驚いた。

 めんどかったからの辺りで、やっぱりサボりかと思ってしまった。

 しかし、実態としては逆で、彼女は中々の才女であったらしい。

 教えた教師からも態度以外は相当に褒められ続けた期待の星だったようだ。しかし、どこで歯車が狂ったのか、真っ昼間からこんな場所で物乞いじみた活動を行うようになってしまったのだ。


「でも、いま思い返したら学校通ってた時のほうが、いっぱいPPもらえてたしよかったな。いまからでも、もう1回通うことってできるんかな?」


「無理なんじゃないか」


「やっぱそうか。まあ大人だし、一攫千金めざして生産活動しなきゃだもんな」


「ああそうだな」


 今の社会制度で一攫千金を狙うのは難しいので、その考えはどうかと思うも、やる気を阻害するのは良くないと思うので同調しておく。

 彼女は、今の社会制度の分かりやすい犠牲者なのかもしれない。もっと学力とかの能力が直接収入に影響を与える社会制度の中だったら、高給取りでチョコくらい好きなだけ食べられる生活を送られていただろう。

 そう思うと、かなり同情の余地もあるのかもしれない。

 少なくとも先程まで感じていた、ヤバそうなやつだから関わらないようにして、すぐにここから離れようという気持ちは優正の中から消えていた。


「なあ、お前名前はなんて言うんだ?」


「え、急に何? アタシの名前つかってなにかする気なの?」


「オレは相模さがみ優正ゆうせいだ」


「いや、別に聞いとらんけど」


「まあ、なんだ。このチョコは持ち合わせが無くて買えないけど、外のワゴンで売ってるアイスくらいなら買ってやろうかと思ってな」


安藤あんどう姫華ひめか。よろしくな、相模。チョコが入ってるやつがいい!」


「おう、姫華。あんまり急いで転ぶなよ」


「ふん、このアタシがそんなヘマするわけないじゃん!」


 こうして、優正は一時の同情から姫華にチョコアイスを奢り、昨日の分の稼ぎを溶かすことになってしまった。

 まあアイスを食べている時の幸せな顔を見ると、特に高い出費ではなかったなと思う。

 ただし、この1回きりで済むならという条件付きでだ。


 アイスを奢ると決定したあの瞬間から、姫華の態度は明らかに馴れ馴れしすぎるほどに軟化した。

 懐かれたと言い換えてもいい。

 これから事あるごとに、菓子類をせびってこないか非常に不安である。

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