第4話 テント村の隣人 【陰キャ】少女との思わぬ再会

 計器と緑と地平線とロボットどもを眺め続ける仕事を終えて、昼に申請して確保した寝所に向かう頃には、すっかり日が暮れていた。

 まだまだ眠る気はないとばかりにまばゆい街の灯りを背中に、向かうテント村はもう既に寂しいほどに薄暗い。

 真っ暗闇になるのをかろうじて防いでくれるくらいの間隔で置かれている街灯と、5軒に1軒くらいの割合で人が住んでいるテントの内部から漏れ出す光。

 それと、手元のリストバンド端末が優正ゆうせいの網膜に映し出す地図情報を頼りに、歩を進めていく。


 テント村に建つ簡易住宅。

 地に建つ三角形の最低限のプライバシー空間。

 見た目のショボさに反して、防寒と防音はしっかりとしているという触れ込みの、ただ寝て起きるだけなら問題のない無料の住居。

 この住居に関しても、当初の人の計画では配給食がそうであったように、もう少し広くてくつろげる良いものにしようとする試みがあったそうだ。

 しかし、そのようにした際に建設業者へ配分されるPPが減少するとAIが算出した。

 それを見て住空間の改善は取りやめ、生産合理性に基づき現在の状態に落ち着いた。

 ようするに配給食のときと同様に、もう少しいい家に住みたければ生産しろとのことらしい。

 確かに普通の人ならプライバシー面で多少の不安を感じるくらいには、そのテント式住居の壁は頼りない。

 その点、強制生産施設で5年も、他の入所者たちと仕切のない部屋で寝て暮らしていた優正には、十分に贅沢だと受け入れられる住環境である。


「ここだな。ここが今日からオレの家か」


 地図が指し示した1つのテント。

 念の為、手首の裏を顔に向けてかざすと、ゲームのターゲッティングマークのようなマーカーが、現実のテントに重なるようにして見えて、そうであると教えてくれる。

 間違いないらしい。

 他に並び立つテントと全く同じそのテントが、今日からの優正の帰る場所であった。

 そうと分かると、他のテントと同じはずのそれが、少しだけ特別に見えた。


「確かに、愛深あみの言っていた通りの一等地だな」


 まだまだ奥に続いているテント村の中では、比較的街に近いし、配給所も近くにある。

 かといって近すぎるためにうるさく思うこともない良い場所だろう。

 昼に少し面倒だと思いぞんざい気味に扱ってしまったことを心の中で謝罪しておく。

 と、少し圧が強い少女とのやり取りが思い起こされたことによって、思い出すことが1つ。


「そういえば、お隣さんがいるんだったな」


 見やると確かに光が漏れ出している隣のテント。

 一瞬、挨拶しておいた方が良いだろうかと考えるが、夜分に失礼だろうと思い留まる。

 そして、そのまま自分のテントの扉を生体認証で開こうとしたその時だった。


「ふゃのっ!」


 突然、裏返った高くて大きめの声をかけられる。

 思わず飛び退いて、何ごとかと構えを取る。

 声をかけてきた存在はすぐに見つかる。

 隣のテントの入り口から、ちょこんと顔を出している小さな人影。


「わたっ、わたしです。相模さがみさんですよね?」


 わたわたしている毛量の多いショートヘアは、朝以来の再会だった。


「その声は、てまりか?」


「あっ、はい。仲川なかがわ照茉莉てまりです。朝ぶりですね」


 隣人はとんだ偶然にも、数少ない顔見知りであった。


 


 てまり曰く、昼頃に自分の家の隣に誰かが引っ越してきたことに地図情報から気付いたらしい。

 それで誰が引っ越してくるのだろうか、怖い人ではないだろうかと気になり続けた結果、帰ってくるのを息を潜めて待って、せめて顔だけでも先に拝んでやろうと思ったらしい。

 そうして待っていたら、やってきたのが優正だった。

 思わぬ隣人に対して、思わず声をかけてしまったのだが、声を出し慣れていないので裏返ってしまった。

 と、先程のはそういうことらしい。


「本当に偶然だな。隣人が知っている人で安心したよ」


「はい、わたしも本当に安心しました。ようやく吐き気が収まりました」


 彼女にとっては、死活問題だったらしい。

 そういえば昼のあの時、優正が愛深を止めなければてまりは強制的に引っ越しをされてしまっていたということになる。

 いきなり住所が変わってしまったことに気付いて、白目を向いて立ち尽くすてまりの姿が想像できる。

 改めて、あの時愛深の暴走をちゃんと止めておいて良かったなと思う。

 優正の勇気によって、いたいけな少女の心がちゃんと救われていたのだ。


「あの後、そういえば連絡先とか交換しておけば良かったなと後から思い出して、少し後悔してました。普段はそのような機会も訪れませんから、あの時は思い至りもしてなくて」


「そういえばそうだな。オレも周りの奴らには関わらないように生きてきたから、今言われるまで思いも付かなかったよ」


「ということで……そのぉ…………」


「IDの交換しておくか?」


「はっ、はひっ」


 優正とてまりは、互いの端末をかざし合ってメッセージアプリのIDの交換をする。


「アアリガトウございます」


「こちらこそ」


「……………………そ、そのぉ」


「……? あー、別れのタイミングをこちらから切り出した方が良かったか? 申し訳ないな、あまり他人との会話は慣れていなくて、それじゃあまた明日かな?」


「ああー、ううー、いえー、そうではなくてですね。その。すみません……。でもそのー」


「どうした?」


「けっ、今朝のことで気になっていることがあるんですが、少しだけお話しませんか?」


 


 ということで、優正はてまりの家に招かれることになった。

 それにしても、一人暮らしの女性が自分の家に、今朝会ったばかりの男を招き入れるというのは、少し不用心ではなかろうかと思ってしまう。

 いやまあ、優正は何もするつもりもないが。


「その……何もお出しできるものがなくて、心苦しいですが…………」


「いや、お構いなく」


「すみません。では早速本題なのですが、今朝わたしがぶつかってしまった男性の話なのですが……」


 優正は今朝、てまりにぶつかってきて倒したのに、謝りもせずに去っていった無礼な中年男のことを思い出す。

 今思い出しても腹が立ってくる。

 てまりがこうして今話を持ち出したということはもしかして、あのときぶつかって転んだ時に怪我をしていて、その報復をしたいということだろうか。そのような話だった場合は、優正は全面的にてまりに協力しようと心を決めた。

 のだが、彼女の口から出てきたのは、思いもよらぬ内容だった。


「相模さんは、あのメモの内容、どう思います?」


「メモ?」


 というと、男が落として、慌てて拾い上げた今時珍しい紙のメモのことだろう。

 目に入ったのが一瞬すぎて、何が書かれていたのかも覚えていないのだが……。


「あの一瞬で撮影していたのか?」


 だとしたら、てまりは思っていたよりも抜け目ない。

 評価を改めなければいけないだろう。


「いっ、いえっ! 盗撮とかはしてなくてですねっ! あの時、目に入っちゃったのでっ!」


 てまりは疑われるわけにはいかないと、強く盗撮行為は行っていないと否定する。


「わたし、一度見ちゃったものを忘れることができないんですよね、……へへえ」


 自虐気味な声音で、てまりは意外な特技の存在を明かす。


「それはスゴイな。瞬間記憶能力とかいうやつか?」


「スゴくなんてないですよ。今は写真撮れば事足りますし、一度覚えちゃったことは忘れられないから、ふとした時に恥ずかしいことも思い出してしまいますし」


 そうは言うが、色々忘れっぽい優正からすると、てまりのそれは特別な能力だとしか思えないし、とてもスゴイことだ。


「それでですね。メモの内容覚えてしまいまして、今朝から内容を何度も思い出してしまうんですけど、何を意味しているのか分からなくてモヤモヤしていまして。相模さんに、何のことかご存知ではないかお聞きしたいんですよね。…………いいでしょうか?」


「もちろん、構わないぞ。聞かせてくれるか?」


 てまりの珍しい能力を教えられて、少しテンションの上がった優正は、当然快く相談を聞くことにする。


「メモの内容は、人の名前のリストでした。人の名前がズラーッと書かれてあって、それぞれの隣にマルとかバツとかと数字が書かれていて、上から順番に途中まで名前に消し線が引かれているリストです」


 その後、てまりは目蓋の裏に仕込んだ写真でも見るように目を瞑って、坦々と人の名前とマルかバツと数字の組み合わせを順に読み上げていく。その中には、残念ながら優正の知る名前はなくて、残念ながら力になれそうにないなと思っていた。

 しかし、


「ここからは消し線が引かれてなくて、マルとバツが付いていない名前です。『工藤くどう秋水しゅうすい 2000万』、『米村――」


「ちょっと待ったっ!!」


「ふぇっ!!」


「ああ、驚かしてしまってスマン。……今、工藤秋水って言ったか?」


「あ、ははい」


「申し訳ないが、書いて漢字も見せてくれないか?」


 てまりはキャンパスアプリを優正と共有し、同じものが見えるようにした上で、宙に『工藤秋水』という文字を書く。


「間違いない。こんな珍しい名前、そういないだろう」


「知ってるんですか、相模さん?」


「ああ、オレの恩師だ。そして、今はこの辺りの農業地帯の責任者をやっているはずだ」


 大恩を受けた人だ。忘れるわけがない。


「そ、そんなスゴイ人なんですね」


「ああ、そうだな。調べればすぐに出てくるはずだ。」


「そ、そういえば、そうですよね。調べる発想ありませんでした。ところで、2000万の方には何かお心当たりは?」


「う、うーん、数字の方はちょっと思いつかないな。申し訳ない」


「いえ、ありがとうございます。相模さんのお陰で、謎の部分が1つ解けましたので。少なくとも実在の人物のリストみたいですね」


「そうだな。あー、途中で遮ってしまってたよな。続きを教えてもらってもいいか?」


「は、はいっ、任せてください」


 その後、てまりは残りの名前を読み上げた。その中に、優正の知る名前はなかった。

 リストの名前が出きった後、その名前をてまりと手分けして1つずつ検索していく。

 全ての名前がヒットした。

 全員が『工藤秋水』ほどじゃないにしても、大きめの建設組織のリーダーだったり、飲食チェーンの代表だったり、ある程度の影響力がありそうな人物たちの名前だった。ただし、そのジャンルはバラバラで繋がりが分からない。

 また名前と数字の関連性に付いても調べようと思ったが、検討が付かなかった。一瞬、所持しているPPの量とかかと思ったが、そうだとしたら『工藤秋水』に対しての2000万はあまりにも少なすぎる数だ。

 同様にマルとバツに付いてもお手上げ。OKとNGを意味するのだろうが、何に対してかはさっぱり分からない。

 それら全てを踏まえての結論としては、


「結局、何のリストかは分からないな。お手上げだ。力になれなくて申し訳ない」


「い、いえいえ、ありがとうございます。少しでも分かってモヤモヤは晴れた気がします。ホント、すみません。このようなことに手を煩わせてしまって」


「何か追加で分かったら、てまりに真っ先に報告するようにしよう」


 そうして、その日はお開きになった。

 考えすぎかもしれないけれど、何か意味があるような気がする名前のリスト。

 のことはともかくとして、優正個人としては、久しぶりに他人と長く話すような機会を持てたことがありがたかった。

 その日、てまりと2度偶然出会って顔見知りになれたことは、優正にとって非常にラッキーなことだった。

 その恩を返すために何か名前のリストのことで分かったことがあれば、真っ先にてまりと共有しようと心に決める。

 とは言っても、しばらくは仕事探しをして、何か安定した職に就けるようにしなくてはいけない。

 人の多い場所というのは、あまり得意ではないが、明日は街にでも繰り出そうと思いながら、施設から出て初めての床につく。


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 これは、その日の朝の続きの話である。


 東郷とうごう祥一郎しょういちろうは、そのやや太り体型の身体を大きく揺らしながら、丘の上へと続く階段を登り続けていた。

 ぜえはあと息を切らしながら忙しなく足を運ぶのは予定に遅れそうだからではない。

 むしろ、これから会う相手は自分が多少遅れても待っていて然るべきだと思っているし、別に約束の時間に遅れているわけでもない。

 単純に身体よりも気持ちが先走る気性を持っているからにすぎない。


 足を回しながら、頭の中も回す。

 色々なことについての、他責的なイライラについてが主なトピックである。

 なぜ、このワシが、毎日配給されるマズい飯を食わなければいけないのか。

 なぜ、このワシが歩いていく方向に、チンタラしている女が歩いていて、ぶつかって痛い思いをしなければいけなかったのか。

 そして何より、今考えていることは、


「工藤め、偉くなりおって。確かに人目のないところでと注文したが、ワシをこんな行くのも疲れる丘の上に呼びよって」


 会ったら文句の10個でも言ってやろうと、呪詛の言葉を考えながら、足を動かし続ける。

 そうして数分後に最後の段に足をかける。

 目の前に広がる丘の上の開けた空間。

 見晴台に立つ中肉中背の姿を発見し次第、まっしぐらにズンズンと歩を進めていく。


「ぜえ……工藤っ!! はあ……よくも、こんな場所に呼び出しよって!!」


 東郷の怒鳴り声に、見晴台から街を見下ろしていた飄々とした雰囲気の男が気付き、向き直る。


「久しぶりですね東郷さん。今日はどうしても、この丘を登ってみたくなったんです、すみません」


 本気で怒鳴ったつもりだったが、工藤くどう秋水しゅうすいは余裕な対応を見せる。

 昔の世間知らずな青年だった頃の工藤しか知らない東郷は、それなりの驚きを覚える。

 けれど、工藤が日本最大規模の農業組織のトップを張っているのだから、多くの修羅場を乗り越えて、そうなるまでに成長したのだろうと納得を付ける。

 これが、今回の計画で1番数が多く1番重要な説得だが、おそらく一筋縄では行かないだろうと気合を入れ直す。


「工藤、ワシがやってやった恩は覚えているよな? 頼みたいことがあるんだが……」


「いいですよ」


 さて、どうやって『YES』の回答を得ようかという作戦を頭の中で今一度回転させていた間の中に割り込むようにして、工藤が肯定の意味の言葉を発する。


「まだ何も言っていないんだが?」


「大体、東郷さんが何をしようとしているのかは予想が付きますよ。ただ、まあ違ったらいけないので、聞かせてくれませんか?」


「……ふん、そうか。手っ取り早くて助かる。それじゃあ、やって欲しいことを説明するから、耳の穴をかっぽじって聞け」


 その後、数分かけて東郷は頼みごとの説明をする。

 工藤は余裕そうな顔で、度々うなずきながら話を聞く。

 そうして、全ての話が終わった後、頼みごとを受けた際の影響が分からないでもないだろうに、工藤は本当に何でもなさそうな顔で、再度承諾の意を示す。


「予想していた通りの内容でした。その程度なら、お安い御用ですよ」


 あまりにもあっけからんとしている工藤の態度に、東郷は一時狐につままれたような気分になる。

 けれど、頼みが通って計画が現実的なものに大きく近づいたことを認識し、グッと拳を固め手応えを掴んだのだ。

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