第3話 美味しくなりすぎない農業 【ギャンブルカス】との共同作業
「コレが終わったら、何円もらえるんでしたか? 楽しみですねえ」
何てことを、仕事の中で偶然ペアになった痩せ男が唐突に言い出すものだから、
「
と、問い返した。
それは、2040年現在、AI
国の利益になる行動をとった者にはポイントが与えられ、不利益になる行動をとった者からは差し引かれる。
そのポイントは消費的な行動――例えば、生存するためには不必要な甘いものを食べるとか、エンタメ系のコンテンツを購入するとか――に使用することができる。
消費的な行動で生活に潤いを持たすために、市民は生産的な行動に励む。
そうして、全体の生産性の最適化を図ろうというのが、現在の日本の社会制度であるAI生産主義の根本の考えである。
ただ、それだけでは、旧来の資本主義と大差がない。
何が違うのか?
それは、生産性の多寡の判断を、市場原理から置き換えたことである。
置き換え先は、各人のありとあらゆるデータを集めた上で、それが国益にどれだけプラスになるのかを予測計算するAIだ。
AIを持って、国の生産効率の最大化を目指し、それを貢献度ごとに再分配するのが、現在の社会制度の主な考え方である。
これは、旧来の資本主義の社会で発生していた非効率を排除する効果があると言われている。
例えば、競合他社が互いの利益を優先する行動を取ったがために、互いの利益の合計値が最大にならない選択肢を取るような、社会全体で見ると不合理な選択肢を取るケースが発生する。
はたまた、企業間の裏での合意により商品が不当に高い金額に釣り上げられ、消費者が損を被る問題も発生しうる。
このように、資本主義社会では各個人が自らの利益の最大化を目指すばかりに、全体の利益が最大化されないような不都合が幾つも存在していたのだと言われている。
対して、現在のAIに判断基準を委ねた社会では、たとえ一時的に個人の利益が大きくなるように見える選択肢を取ったとしても、それが国全体にとってマイナスになるとAIが判断した際に個人にとってもマイナスになるようにされる。
このことに対しての例としてよく用いられるケースの1つが、むかしむかしあったとされる買い占めからの転売をなりわいとする者たちの話である。
例えば、Aさんが製造している限定1個の商品を、Bさんが欲しているとする。このとき、Cさんが商品を購入してBさんに価格を釣り上げて売ることで、Cさんは釣り上げた価格分の儲けを得ることができる。
ただし、このとき本来であればAさんから直接Bさんに送られるはずだった商品が、Cさんを介することで余計な運送コストが発生する。
Bさんの損益、Cさんの儲け、運送会社の儲け、そのそれぞれが個人にとってどうかは抜きにして、明らかに社会全体にとっては、運送コスト分のマイナスが発生している。
なので、現代ではこのような自体が発生した場合に取引履歴からAIが判断して、Cさんに儲けと運送コスト分のマイナスを与えるように後処理が起きる。このようにして、全体に取ってマイナスの行動が個人に取ってもマイナスになるように処理することによって、全体の生産がマイナスになる行動が規制される。
逆に全体の生産がプラスになる行動をすれば、国に取ってのプラス分が分配される。
この仕組みによって、国全体の生産力を最大にしようというのが、AI生産主義という最近できた社会制度である。
今の世では、そうしてAIによって分配されたPPによって商品の取引がされるので、人はより多くのPPの獲得に日夜励む。
それまでは日本国内での取引でも基軸通貨である円が使われていたのだが、制度が浸透していくにあたって置き換わるようにAIが分配するPPでの取引が主になっていった。
一応法律の上では、円とPPどちらで商売を行っても良いはずであるのだが、今現在の日本国内で日本人向けのサービスを受けるためには、PPでないと支払いができない場合が多い。
加えて、PPから円への交換には多大な税金が取られるために、PPのままサービス利用をするのが当然の流れであった。
なので優正は男が、あまり聞かなくなった円なんていう単位を口に出したことを不思議に思ったのだ。
「いいえ、円ですよ。円じゃないとカジノができないじゃないですか。なので、いただいたPPを交換した際の円はどれくらいだったかなと思いまして」
男は何を不思議なことを言うのかとばかりに、口元に笑みを浮かべて答える。
「あー、記念に1回行ってみたいってことか?」
「? ボクは割と頻繁に足を運んでいますよ。結構、面白い場所ですよ。あなたも一緒にどうですか?」
「……いや、遠慮しておく」
「そうですか。それは残念です」
なるほど、この男はヤバいやつだ。と優正は理解を深めた。
今の世の中、ギャンブルは非常に日本人には手を出しづらい娯楽なので、相当な富裕層しか手を出さないのだ。
2030年代に入ってから開業した日本のカジノは基本的にバカンスに来た外国人に外貨を落としてもらうための施設である。なので、円だけでしか遊べないようになっている。
PPから円に替えるだけで殆どが税金として持っていかれた上で、期待値が大きくマイナスのカジノにお金を突っ込んで所持金をプラスにするなんていうのは、登山中に沈没船の財宝を探し当てるくらいの奇跡だと周知されている。
当然、そんなこと起こり得るわけがない。
だからこそ、習慣的にカジノに手を出す日本人なんていうのは、それだけでかなり頭をやっちゃっているやつ扱いを受ける。
「カジノに行きたいのなら、こんな金にならない仕事はやめて、創作で一発当てる努力でもしてみたらどうだ?」
「いやぁ、それもしてるんですが、どうにも鳴かず飛ばずで。とにかく少しでも稼ぐためにと、今日はここで」
「って言っても、昔と比べて農業じゃ稼げないだろ? システム全体の管理者でもない限り」
「そうですね。まあ、これでも最近は実入りにならなすぎるからと全員やめちゃったおかげで、最低値からは相当上がった方なんですがね」
「そうなのか……」
その辺の事情については、優正は5年前で常識が止まっている。
とりあえず勝手が分かりそうな働き口として、農場に来てみたのだが5年前の半分くらいしかPPがもらえないことになっていて愕然とした。のだが、これでも最低からは持ち直した値らしい。
まあ、実際に作業を行ってみると、著しく獲得PPが下がったことにも頷けるものだったが。
現在、男と優正は作業をしている。……とは言っても、全く何もしていないに等しい。
目の前に広がる広大な畑は、耕され、種が植えられ、肥料がまかれ、水がまかれ、虫が駆除され、収穫がなされている。
ただし、人間の手によってではない。全てロボットによるものだ。
5年前もロボットでの農作ではあったが、命令を出すのは人間だった。
今は、もう完全に人の手を離れて自動で農作が行われている。故障の判定までも自動で行われているので、本当に人間がすることはない。
では、男と優正の作業が何なのかというと、故障判定まですり抜けて起こる不具合が生じないかの監視だった。
万に一つ、億に一つ、システムに予期せぬ不具合が起きた際の損失が大きいために、100年に1回生じるかもしれない問題を監視して、そんな歴史的瞬間に遭遇した際にいち早く報告を行うという役目であった。
発生した際の損失が大きいために、ある程度の生産性は生じているけれど、そんなことそうそう起きることではないから別に誰もやらなくてもいいよくらいにAIに判定されているがゆえの低賃金なのだろう。
明日からは、なにか別の労働方法を考えようと優正は、その時点で心に決めていた。
「あんたは明日もやるつもりなのか?」
「そうですね。気楽ではありますからね」
「まあ確かに。ぼーっと過ごしながら、金を貰えるって考えると、そう悪くはないかもだな」
それを最後に、男と優正は互いに干渉することをやめる。
そういえば、最初の何円貰えるかという問いかけには答えられていないなと思いつつも、特に気にしてなさそうな男の顔をチラと見た後、すぐに意識からも追いやって忘れる。
畑でせっせか動くロボット達の様子を、ぼーっと眺めながら優正は思いを馳せる。
ここで作られた作物は、主に全国の配給食に使われるものである。
度重なる品種改良の結果、よく育ち、よく栄養を蓄え、そして絶妙に美味しくない。もっと美味しくすることもできるそうだが、そうすると国全体としての生産性が落ちてしまうとAIは判断しているのだ。だから、拒絶するほどではないそこはかとない不味さを残したままになっている。
要するに、もう少し美味しいものを食べたければ国の生産に貢献しろということなのだろう。
全員に美味しいものを食べられる幸せな状態よりも、多少格差があって、美味しいものを食べるためというモチベーションをもたせた方が全体的にはプラスになるのだと、AIの計算結果ではそうなっているらしい。
そうやって食の改善をモチベーションに働くものがいる一方で、不味い配給食自体の需要も大きいということを、地平線まで続く畑の広大さが伝えている。
それは、そもそも美味しいものを食べられるほどの金も持ち合わせていない優正のような人間や、金は持っていても服や住居、趣味といった別の面での生活改善を優先して食の改善を後回しにするものも多いということらしい。
約30%――3000万人弱――の食を妥協した日本人の生活が、この広大な畑から採れる農作物に支えられている。
例えば優正に魔が差して、畑に使う水に猛毒を混入させたとしたら、かなり多くの人が後遺症に悩まされるような被害が出るのだろうか。
もしくは、出荷される前に発見されて、全ての農作物が廃棄されるような大損害が出るのだろうか。
どちらにしても、その後は優正に対して、天文学的な額のマイナス生産得点が与えられるのだろう。
そして、今度は生きている間は到底出られないくらいの年数、強制生産施設行きになるのだろう。
そんな考えが頭をよぎった後に、やっぱりと否定をする。
「いや、そもそもそんな程度のことへの対策は、もうすっかりなされているか」
結局、その日1日優正が働いて得ることができたのは、強制生産施設で1ヶ月に1度好きに使って良いと配られる微々たるポイントとほぼ同額だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます