インデペンデンス・ナウ1

 パイルスの乱が終るとトゥトゥーラ市民は再びにキシトアを非難するようになる。

 他国の干渉の他、反キシトア派やら政権奪取を目論むガーデニティティ(この当時、政治的な力を得んと画策していたのだが当然これは教義違反である)やらが挙って声を挙げ、メディアもその世論に乗る事となった。というよりメディアが焚きつけた部分も少なくはなく、伝聞の他、あらゆる媒体によりキシトア解任の要望が数珠繋ぎに連なり、国家の総意ともいえる程の拡散を見せたのだった。SNSもない時代によくもこれだけ広がるものかと思ったが考えてみれば逆で、情報取得の手段が限られているからこそ偏向的な内容が容易に信じられていくのである。市民は、新聞が、ラジオが、雑誌が、本が報じるのだから間違っていないと安易に信じ、それをまた話の種として不特定多数と共有していく。一部の識者や学者がそれは間違っていると言っても聞きやしない。彼らの中には既に真実ができ上がっており、それに沿わない情報は全て偽物なのだ。人を信じさせるのにはその人にとって都合のいい事ばかりを並べてやればいいといったのは何処の誰だったか忘れたが、トゥトゥーラはその時、市民にとって都合のいい、信じたい事が見事に出回っており、集団ヒステリーのような反政府運動が連日起こっていたのであった。絶対的な悪と正義があり、市民こそが正義であるというルサンチマンめいた欺瞞である。


 俺は常々、人は自由によってのみその生を謳歌できると考えている。それは所謂生存権とか自然権とか呼ばれているような、もっと端的な言葉で表すと人権、尊厳といったものの尊重は何物にも代えがたいというような理念であるように思う(思うとした理由は自分でも自信がないからである。学がないため、自身の考えがどういうものか分からないのだ)。しかしそれはあくまで自身で考えて初めて得られるものであり、右に倣えと思考停止し他者の意見に流される者や、憎しみから盲目となり他者を排斥しようとするような者達には、新の自由がないような気がしてならない。彼らは自らが利用されているとも気付かず、壊れたスピーカーのように扇動者の言葉を繰り返し物を語る。それが用意された台本とも知らず、自らの意思と信念に基づいた言葉であるかのように勘違いし、いや、勘違いさせられて、声高に正義の旗を掲げて他を悪と断罪するのだ。それは自由ではない。束縛であり、搾取であり、使役だ。こんなものはいわばロボット。思想の機械化である。

 こうした事が何故起きるかと考えると、人は誰かの言う事を聞いていた方が楽だからという結論に達する。自身で調べて検証するという行動は大変骨が折れるし、思っていた結論と異なる結果が出るかもしれない。であれば、自身ではない何者かに全てを任せてしまった方が気楽でいい。どこに運ばれるか知らなくとも、正しいと思う道へ導いてくれる人間が市民には必要なのだ。人は往々にして、自分以外の存在に人生を委ねる。そいう意味ではトゥトゥーラの人間に罪はなかった。彼は無知ゆえに、いや、知を知る事を放棄した故に踊らされる哀れな木偶に過ぎないのだ。


 この状況を見て黙っていなかったのはハンナであった。彼女はキシトアから何が起こったかを聞き、まずは頭を下げる。自身の軽率な行動がキシトアの覇気と共に、かけがえのない忠臣を失わせてしまったと大いに悔いた。しかし同時に激しい叱責を彼に送る。国を治めるものがその為体では治安が乱れて当然。貴方にはこの騒動を鎮める義務があると。そして、自分を大いに使ってくれてかまわないとも。


 この言葉にキシトアは奮起した。パイルスが死んでから心を入れ替えてはいたが、それまでは最悪辞任でもなんでもすればいいやという甘い考えがどこかにあったかもしれない。しかしハンナから檄を飛ばされ、心の奥にあった不覚後はどこかへ消え去ってしまったようだった。それからというもの、キシトアは徹底的に自信を貶める言論に対して反論し勝利。俗的な表現をすれば論破していく。これと同時にハンナ率いる政府広報部隊が巧みな文言で民衆に問いかけを行っていった。それは決して攻撃的なものではなかったが、彼らの自尊心を撫でるような、あるいは甘噛みするような、知的領域に官能的な訴えを起こすような挑戦的な内容であった。それを受けた大衆は徐々に既存政権への支持に傾き、一年が経つ事には完全に形成が逆転。キシトアが大統領に就任した時と同等の支持率にまで回復するまでそう時間はかからなかった(ちなみにこれは歴史の裏側的な話となるが、ハンナは広報活動以外にも敵対政治家のリストを作成し粛清などを提言していた。が、キシトアはそれを拒み、リストに記載された人間一人一人と話を交わす事を選択し、多くの人間を味方に引き込んでいった)。

 そしてキシトアは大統領の任期制を施行。四年に一度選挙を行い、二度以上の選出は認められないと定めると、その翌年に大統領選を行い見事二期連続の就任となった。その四年後は制度に従って一時退くものの、次の大統領選でまた当選。最終的に計五回大統領の椅子に座る事となったキシトアは、トゥトゥーラ歴代最多数の大統領歴任者となる。その間に問題がないとはいえなかったが、都度解決に向けて尽力する姿は人々の心を打ち、信を集めていった。それはハンナの政治戦略の効果も勿論発揮されていたが、一番はキシトアの心の内にある民と国を想う気持ちによるものが大きかったと、俺は信じたい。


 民主政治をいち早く形にしたトゥトゥーラは、良くも悪くも市民が力を持った国となり、滅ぶまで民主主権を手放す事はなかった。遠い未来、その礎には多くの犠牲があった事を人々は知識として知っていたが、いまひとつピンとこない様子でとぼけた顔をしている。しかし、平和とはそういうものだと思う。少なくとも、何者かによって支配されているよりははるかに善い世界ではないか。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る