ヨッパライの帰還2

 執務室に到着したキシトアは早々に用意された酒を煽りソファに深く腰掛けると大きな溜息を一つ吐いた。これまで飄々とした態度を崩さなかったが彼とて疲労は蓄積していたのだろう。緊張の糸が解け、ようやく気を緩める事ができたようである。


 しかし、パイルスはそれを許さなかった。


「休んでいる暇はございませよキシトア様。明日は投票結果の日です。スピーチの準備をしておいてください」


「スピーチ? 何の? 後夜祭のか?」


「大統領就任の宣誓文です」


 投票結果とは無論大統領選挙の事である。彼は、キシトアが得票数が過半数を上回るといっているのだ。


「馬鹿め。俺に票が入っている保証はないのだろう。だいたい俺はいつだって現場即応だ。仮に選ばれたとしてもその場で対応してやる。元より俺に準備など不要だという事を忘れたのか」


 キシトアは文句を言いながら二杯目を注ごうとしたが、パイルスに制された。


「存じておりますとも。ですが、今回ばかりは入念に準備をせねばなりません。リャンバ始まって以来の、いえ、恐らくこの世界初の、名実を伴った人民による国の代表選出が行われたのです。それを勢いだけでどうにかしようなど傲慢にも程がある。原稿を用意し、しっかりとした心構えで挑んでください」


「だから、俺が選出されるとは限らんだろう」


「いいえ。リャンバの人間は間違いなく貴方を選びます」


「……貴様、何かしたのか?」


 その核心に満ちた言葉がキシトアに疑念を抱かせたが、パイルスは一向に臆することなく言葉を返す。


「まさか。投票は完全に市民の自由意思により行われ、投票現場においても不正がないよう厳重に警戒しておりました。開票作業も三重のチェックがなされておりますし、結果も選挙管理院長と市民会代表。それと秘書室長のスェオしか知りません。策謀が入り込む余地など何処にありましょうか」


「では何故俺が票を獲得していると分かる。貴様の言っている事は無茶苦茶だぞ」


「この国が何を求めているのか理解していれば、自ずと誰に票が集まるか見当がつきます」


「……」


 パイルスは実直な男である。これまでいたって真面目に職務を遂行し、どれだけ無理難題を押し付けられても決して投げ出さず最後までやり通してきた事から周囲からの信頼も厚く、また、彼自身もその信頼に応えんとしてきた。彼にとって国政とは人生そのものであり、また、代えがたい使命でもある。そのパイルスをして、次期国主だと断言されれば如何にキシトアと言えども反を用いる事は容易ではない。それにパイルスはキシトアが最も信頼を寄せる人間の一人なのだ。一種の期待とも言えるその言葉を無碍に扱う事はできなかった。




「……いいだろう。此度ばかりは貴様の言う通りにしてやる」


「そうしていただけると」


 折れるキシトア。彼が誰かの言う通りにするなどそうそう見られる光景ではなく、それだけで大きな事態であるのだが、パイルスは更にもう一つ要望を突き付けた。


「それと、国名はどういたしますか?」


「国名?」


「はい。せっかく政治が一新され新たな門出を迎えるのです。いつまでもホルストの命によって変えた名を用いるのはよろしくないでしょう」


「別に俺はかまわんのだが……まぁせっかくだ。一考しよう。そうだな……トゥーラでいいんじゃないか? 首都と同じだし、元の名を復活させれば箔も付こう」


「駄目です」


「何故だ」


「新しい国の幕開けに古の名称は相応しくありません。我が国はこれから革新的かつ精鋭的な発展を遂げていくのです。それ相応の国名でなくては民の納得が得られません」


「面倒な事を言う奴だな……分かった。名はしばし置く。しっかりと考えておくから、先に宣誓文の筆を進ませよう」


「お願いいたします。それと、明日まで酒は控えていただきますので、そのつもりで」


「……冗談だろう?」


「私がこれまで政治の話題の中で冗談を言った事がございますか?」


「……貴様はもう少し軽率さと気楽さを持つべきだ」


「明日以降に善処いたしましょう」


「……」



 パイルスの監視の中、明日行われる大統領就任式の宣誓がツラツラと記載されていった。途中、キシトアはこっそりと、また大胆に酒を飲もうとしたり、文章にどうにもおかしな一文を差し込んだりして中断する場面が多々あったが、日付が変わる頃には無事声明文が完成し、疲労が極まったような呻き声を発した途端に寝入ったのだった。それを確認したパイルスはソファに寝かして毛布を掛け部屋を出ていった。その際に酒類を全て回収していったため、夜中に起きたキシトアが歯ぎしりをしたと後世に伝えられているがそれは誤りである。正しくは、外側から鍵をかけられた結果、怒りと絶望の歌を三時間程歌い、疲れ果てて寝てしまったというよりエキセントリックな内容である。その様子は宿直していた人間がしっかりと記録していたのだが、後のリャンバ市民に誤解が広がるとしてマイルドな表現に抑えられたのだった。歴史とは大なり小なり、捏造と政治的判断が加味されるものである。


 かくして朝を迎え、リャンバにおける大統領選挙結果発表の日がやってきたのだった。

 リャンバ領三点にて東京結果を知る人間が赴き、夕方と夜の間に同時発表される算段。キシトア不在の会場では、彼が夜通し書いた宣誓文の複写が渡され代理の者が読む手筈となっている。


 各会場では早くも到着しているリャンバの市民達がいた。彼らは皆、いや、彼ら以外も、次世代のリーダーを、国の新たな門出に期待をしていた。その希望が託された人間は果たして誰であるのか。ついに、明かされる日がやってくる。

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