ヨッパライの帰還3

 キシトアは会場の一つであるトゥーラの市民広場に待機していた。しかしながら檀上に椅子が用意されているわけでもなく、また身を寄せる別室などもない。ただ一般市民に紛れて立っているだけである。

 大統領選挙は出馬した人間に投票するのではなくリャンバ市民の中から自由に名を書き、得票数の多い人間が選出されるようになっている。結果が出るまでは現政権に携わる者以外は全員一般人であり、特別扱いはない。


 選ばれさえすれば誰でも国を支配する事ができるこの制度、当然姦計策略を練り水面下で動く者もいる。リャンバは自由の精神が根幹にあり、だからこそ実力主義が広く浸透していたのだが、時代の流れと共にそうではない人間も少なからず出てきていた。豪商、ハボウもその一人である。



 ハボウは大統領選の告知がなされるといち早く自身が品を卸している商店やマトゥーム関係者に袖の下から山吹色の菓子を送り一言含ませていた。賄賂である。

 それまでハボウ本人は取り立てて悪人というわけでもなく評判もいたって普通な男であったため周囲はこのあからさまな工作に驚くのだったが、しばらくすると動機がはっきりとしてくる。親しい人間が不審に思い彼の妻に伺ってみたところ、どうもこのハボウ、少し前にドーガと取引するようになって妙に自由主義に対し懐疑的な思想を持つようになり、ドーガの独裁政権を称賛するようになったとの事であった。そこに来てこの選挙。ハボウは居てもたってもいられず、自らが望む政治体制を敷かんと動き出したというわけである。


 外でそのような素振りを少しも見せていなかったハボウであるだが、それも何者かの意図があるように思えてしまうのは決して穿ち過ぎではないだろう。恐らく工作の一環である。もっともハボウがドーガと取引するようになったのは選挙の公布前であるわけであるから、彼が大統領を目指すようになったのは自身の考えであろうし、もしそれを見越して誘導していたとしても、もっとまともな知恵を授けるに違いない。彼は金をばら巻き、一部商業関係者らにその後得られる利権についても臭わせていたのだが、聞かされた人間は一様に怪訝な顔をしていた。それは品性の問題も多分にあるのだが、何よりリャンバの思想原理に反すると皆判断したのだろう。競争と協力による調和が国を潤す。商人。職人。農人。立場に関係なく、リャンバ市民の多くがその理念に基づいていた。ハボウに与するのはやはり同じようにドーガ的な考えに同調する者達ばかりであり、多数は未だ建国以来から根付いているリャンバの精神を持っているのだった。求められるのは金や力ではない。それらを内包した、屈強たる独立と融和の心を必要としているのだ。



「長らくお待たせいたしました。これより、我がリャンバにおける第一回大統領選挙の結果を公表いたします」


 壇上に上がったパイルスがそう述べると大きな歓声が巻き起こった。中には「早くしろと」と野次を投げる声もある。待ちに待ったといった様子か。

 そんな騒音の中でパイルスは動じる事なくただ一点を見つめている。その視線の先はキシトアがいる。パイルスはキシトアを見据えながら、言葉を紡ぐ。


「短い期間ではございましたが、今日の公表をもちまして代理である私の務めは終了でございます。万が一、私が大統領に選出されたとしても、きっと辞退するしょう。国の代表など私には過ぎた肩書。器ではございません。分不相応の地位を賜っても全うなどできるはずがない。国民の先頭に立つ人間とは、それに相応しい器がなくてはなりません。私心ではございますが、そうした方にリャンバを統治していただける事を望みます」


 何を以てして国民の先頭に立つに相応しい器を有しているといえるのか俺には分からないし、識者であっても答えは容易に出せないだろう。人は多く、また、その数だけ思想、思考、感性、感情がある。多数派であっても一枚岩という事はないし、少数派といえども弱いわけではない。万人いれば万人の価値観があり、また、全て尊く、重んじられなければならないのである。多数を取り少数を捨てる非情さか、少数を救済し多数に苦を強いる慈悲か、何を基準に器と評するのかは、立場や考えによって大きく異なる。全ての人間を救えるのであればそれに越した事はないが現実問題として不可能であり、何かを切り捨てなければ国は立ち行かない。器とは絶対的な物差しで測れるものではないだろう。


 だが、リャンバにおいては明確な指標が一つだけ存在している。

 強者も弱者も、多数も少数も共通して持つある価値観。ハボウすら根底にあるエートス。古くから住む者も新たに訪れた者も有している魂の性質。それは、人間として如何に生きるかという、生物の遺伝子に含まれる原始的情念を超越した高次元の哲学である。単純であり基本でもあるそのイデアこそが、リャンバの市民達が求めるものであった。



「それでは、投票結果御を発表いたします。この度の選挙で、最も多くその名を記された人物。それは……」



 パイルスが秘書室長のスェオから渡された紙を読み上げる最中、先までの騒音は静まり、息を呑む音や鼓動の高鳴りさえ聞こえる。国民が見つめ、耳を立てる。パイルスは、一呼吸を置き、名を発した。


「前リャンバ国主! キシトア様でございます!」



 静寂から、熱狂に至る。その結果はリャンバのあるべき姿であり、また、望むべき姿でもあった。

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