ヨッパライの帰還1

 帰国したキシトアを迎えたのはパイルスであったが、その面持ちは歓迎というより憎しみに満ちていて、とても久方ぶりに再開する臣下の顔ではなかった。


「随分とお早いお帰りでございました。もう少し長く外遊していらっしゃったらよかったのに」


 毒々しく吐き出す言葉は完全に裏があるというか、毒を強くするために白々しく取り繕っているようだった。声に乗る燻った感情からは彼の持つ辛苦の念や煩悶が窺い知れる。キシトア不在の間、余程追い込まれていたのだろう。


「そうしてもよかったんだがな。やる事もやったので帰ってきた。ところで酒はあるか? 帰国祝いに一杯やりたいのだが」


 それでも尚そんな軽口を叩くキシトアはさすがというべきか、やはりというべきか。自由奔放で大胆不敵な彼の為人は長所でもあり短所でもあるのだが、一定の水準を超えると短所が長所へと変わってしまう事がままある。キシトアの性格はまさしくそれであり、彼の受け答えを前にしたパイルスは、先までの棘のある様相から、柔らかさのある苦笑へと変化したのであった。


「相変わらずでございますね。しかし、開口一番に酒とは。外海の国へ赴き、多少は己を律されるようになるかと思ったのですが」


「何をいうか。あるだけ酒を寄越せと言わぬ辺り、随分と律しているだろう」


 軽快な口調で交わす冗談が悪手の代わりを果たしていた。しばらく顔を見合わせなかった両者だがm信頼関係は依然健在のようである。



「どうせ一口お飲みになったらそう仰りますよ」


 その二人の横から口を挟んだのはエティスである。彼女はパイルスとは対照的に辟易としたような表情を浮かべタラップを降り、ひょいとジャンプをして陸地に立った。身軽そうには見えるが長い航海による疲労は蓄積しているようで、艶やかだった髪に傷みや枝分かれが生じているのが見て取れた。


「エティス。ご苦労だったな」


「苦労どころじゃございませんよ。外国を周れたのは楽しかったのですが、それにしても大変な重労働でした。次はパイルス様がご担当ください。キシトア様のお付きは心身に途方もない悪影響を及ぼします」


「言ってくれるではないかエティス。だがまぁ今回はそれなりに働いた事だし、許してやろう」


「それはどうもありがとうございます。もしお許しくださるのであれば、このまま直帰したく」


「かまわん。どうせ明日から働いてもらう事になるからな。今の内に休んでおけ」


「……え?」


「ムカーム将軍に約束しただろう。エシファンとコニコへ渡航するにあたって、飛行機の設計図を渡すと」


「……」


 キシトアの言葉に一瞬パイルスの顔が険しくなる。


「え、いや、そんなもの、原本を複写してご送付すればいいじゃないですか」


「駄目だ。俺は確かに飛行機の情報を提供するとはいったが、それはあくまで貴様の暗唱できる範囲。原本の複製などくれてやるわけにはいかん」


「でも、私が暗記したの、確か本一冊分くらいあるんですよ?」


「だから明日の朝一から録音開始だ。ついでに我が国が開発したオーディオも付けてドーガに送ってやるのだ。分かったらさっさと帰れ」


「せめてお昼から……」


「駄目だ」


 懇願も虚しく、エティスはまったく遠回しな暴言をキシトアに吐いて帰っていった。長く留守にしていた国に帰ってきたというのに休息も与えられないとは可哀想な事だが、それも彼女の有能さ所以のものである。致し方ないだろう。



「では、我々も行きましょう。車を用意しておりますので、そちらへ」


「あぁ」


 キシトアとパイルスは近くに停めてある例のキャンティへと乗り込む。向かう先はキャンバス。リャンバの政治的中枢である。


「……飛行機の機密をドーガに流すというのは、本当でございますか?」


 その間、パイルスが眉を潜めそう問うた。

 飛行機は対ドーガに向けた最新兵器。虎の子である。その情報を他国に、事もあろうにドーガへ渡すなど、パイルスには考えられる所業であっただろう。理由を尋ねるのも当然である。

 

「その通りだ」


 キシトアは表情一つ変えずに答えた。何時も通りの光景であるが、少しばかり不穏な空気が漂う。


「いったいなぜそのような事を。あれが、我が国にとってどれだけ重要か……」


「必要だったからそうしたまでだ」


「しかし」


「パイルス。戦いはあくまで手段だ。それも、取り分けリスクとコストが嵩む、できれば避けたい一手。言ってみれば悪手に近い。回避できるのであれば、それに越したことはないだろう。俺は戦争に勝つための策よりも、戦争をせずに勝つ可能性のある策を打ったまでだ」


「理屈は分かりますが……」


 そう。理屈は分かる。確かにキシトアの論は一面的に正しくはある。しかし、それは机上の空論とか絵に描いた餅とかといった皮算用的な側面が強いものであり、決して推奨されるものではない。そしてそれはパイルスにおいても同じような事を考えていただろう。キシトアを非難するのに十分な理由となる。


「……分かりました。貴方はそういう方でした」


 だが、パイルスは大きく肩を落とすだけに留めたのだった。


「そうとも。よく分かっているじゃないか」


 悪びれもせず不敵な微笑を浮かべるキシトアの何と楽しそうな事か。しかし、それを見ていると俺まで笑ってしまって、なんとも不思議な気持ちになった。これが彼の資質であり得なのかなと思うと、少しだけ羨ましく感じた。



 ※前回、前々回にリビリと記載した部分がございましたが、正しくはコニコでございます(修正済み)

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