逆襲のシシャ1

 キシトアの画策通りホルストとバーツィットにはヨハネ狂乱の噂が瞬く間に立ち上っていった。

 当初の予定より順調すぎる程上手く運んだのは諜報員の能力が高いという事もあるのだが、それよりも市民が既にヨハネを見限っており、「あいつらならばするだろう」「本当にやっていたら面白いのに」といった下世話かつ低俗な願望が強く根付いていたからで、さらにミツの劇的な最期が逸話として語られていたのも相まって加速度的に伝播拡散していったのである。この頃、ミツはホルストにおいても英雄視されていて、ヨハネは暗愚として蔑視されていた。相反する二つの存在が互いに干渉する事により、人々の噂の種は多大に分布していったというわけである。おまけに噂の中には悪魔と契約し(いつの間にそんな概念が生まれたのやら)人ならざるものへと変貌を遂げただとか、若返りのために子供の生き血を啜っているのだとか(どこにでも発生するなこの都市伝説)、妙にステレオタイプなオカルトが発生していて半ば集団ヒステリーのような状態になっていた。そしてどの話も内容の要点は事実であり不変だったのだから質が悪い。

 こうして少年少女を集め血みどろの狂宴を開いていたヨハネはとうとう隠蔽が難しくなり、ユピトリウスの秘密警団によって捕らえられたのだった。この秘密警団はミツを誘拐した組織でありヨハネ自身が設立した組織である。文字通り、自分の首を自分で絞める結果となったわけだ。とんだ皮肉ではないか。





 このヨハネ逮捕の情報を聞きつけたキシトアはすぐさまバーツィットへと赴き、招かれざる客としてユピトリウス聖堂に足を踏み入れたのだった。



「責任者を出せ」


「謁見でしたら申し訳ございません。生憎ですがヨハネ様は現在……」


 キシトアの顔を見て聖堂管理者が唖然とする。当然だ。一国の主が突然目の間に現れて混乱しない人間は少ないだろう。


「誰でも構わん。話の通じる奴を出せ。至急だ」


「あの、失礼ではございますが、リャンバのキシトア様でございますか?」


「そうだ。分かっているならばさっさとしろ。無礼だろう」


「いえ、あの、その、アポイントメントは……」


「貴様、俺がここに来ると誰かに聞かされていたのか?」


「……いいえ」


「ならば分かるだろう。そんなものはない」


「その、普通は予定を組まれるのが常識かと……」


「貴様のつまらん尺度で俺を図るな。大体この教会は門前に出入り自由。法王以下司教司祭への謁見お取次ぎいたしますと書いてあったではないか」


「それはあくまで一般教徒向きの文言でございまして、お立場のあられる方におきましては……」


「うるさい! なんだ貴様はさっきからグダグダグダグダと! 俺は暇ではないのだ! 早く誰か呼んで来い! それともその気がないのか? ならばこちらから出向いてくれるよう! 我の華麗なる進撃をとくと観よ! そして後世に語るのだ! リャンバ国王たる威風堂々たる立ち振る舞いを! その姿はまさしく王であったと! 我を称えながら!」


「あ、あの! わか、分かりました! 分かりましたから! 少し静かに! お静かにしてください!」


「誰ぞ呼んでくるのだな!?」


「呼んでまいります! 呼んでまいりますから!」


「今いる一番偉い奴だぞ!? 分かっているのか!?」


「分かっています! 分かっていますからどうぞお静かに!」


「ではさっさと呼んでまいれ! 十分経つ毎に一曲謳ってやるから拝聴したいのであれば遅れてきてもいいぞ!」


「す、すぐに準備いたします!」



 管理者が法王代理を連れて戻ってきたのは八分と少々経過した頃であった。余程焦ったのか、湯気が吹き出そうな程に顔が真っ赤になっていた。



「しばらくでございますキシトア様、私、法王代理のペテロでございます」


「おぉ、貴公には会った事があるぞ。確か交通関係の担当者であったな」


「はい。覚えていていただき光栄でございます……それで、本日はどのようなご用件で?」


「何。今留守にしているという法王について話があってな」


「法王様の?」


「まぁ、立ち話もなんだ。茶でも出してもらおうか」


「これは失礼いたしました。こちらへどうぞ。ご案内いたします」



 ペテロはキシトアを聖堂奥にある客室へ通し、不本意そうな顔をして隠していた秘蔵の高級茶葉を出すようお付きの教徒へ命じた。しばらくして茶が出されると、キシトアはそれを一気に飲み干し「まぁまぁだな」と言うものだから、ペテロは心底から憎々しく思った事だろう。



「それで、法王についてのお話というのは?」


 気を取り直してといった風に、ペテロはそう切り出す。


「うむ。捕らえられた法王を利用して、ホルストとより友好的な関係を築きたいと思ってな」


「……」


 明け透けな言葉にペテロは言葉を失った。凡そ察しはついていただろうが、ここまで率直に言われるとは思ってもいなかったであろう。


「何の事だか……法王は今、病床に伏せておられます」


「狂気が病気というのであればそれも本当だろう。ちゃんと教義に反しないよう言葉を選ぶのは大したものだ。欺瞞的だがな」


 ペテロの顔が引きつる。突如現れたキシトアに暴言に近い言葉を投げかけられたのだ。無理もないだろう。だがここで怒りを露わにし直情的に応戦するわけにはいかない。ペテロの器が、試されようとしている。

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