龍虎挨拶6
リャンバとドーガの会談は表面的には成功したといっていいだろう。
リャンバの一分の隙も無い接待はムカームをはじめとしたドーガの首脳陣を終始満足させ、会談も会食も殊更問題なく終えたのだった。港でムカームを送るキシトアは腹の中で舌を出していただろうが、ひとまずは一段落を終えて肩の荷が一つ下りた事だろう。
だが、国主であるキシトアにはまだまだやらねばならない事が多くある。休んでいる場合などなく、判断の迫られる場面が続く。
「キシトア様。バーツィットの木材商人がお話をしたいと」
「……通せ」
ドーガ一団と入れ替わるようにして訪れた客人。
キシトアは木材商人を名乗る男を部屋に入れると、パイルスを払い二人きりとなる。
「どうも」
「よく来た。首尾はどうだ」
「よくぞ聞いてくれました。キシトア様が懸念していた通り、ミツは処刑されました」
「知っている」
「え?」
「知っていると言っているのだ。他の情報を寄越せ」
「で、では、とっておきを……実は、ユピトリウスのヨハネ法王が正気を失いつつ……」
「それも知っている」
「え?」
「知っているというのだ。貴様が先に述べた情報はどちらもドーガのムカームが丁寧に教えてくれたぞ」
「……それはそれは。さすがというべきでしょうか、それとも、おのれと言うべきでしょうか」
「どちらも不適切だな。というより、言葉を送る相手からして既に間違っている」
「と、申しますと?」
「貴様に対して、間抜けと評するのが一番適切だ」
「……これは手厳しい」
「厳しいものか。俺がいったいなんのために貴様をホルスト、ならびにバーツィットへ忍ばせていると思っているのだ。諜報員が何もかも後手後手に回るとはとんだお笑い草だな。いっそ本当に木材商人にでもなるか?」
「返す言葉もございませんなぁ」
「当然だ。反論など許すわけもなかろう。汚名は結果で返上してもらう。できなければ貴様はお払い箱だ」
「分かりました。では、もう一つ。とっておきの情報を」
「言ってみろ」
「先ほど、ヨハネ法王の正気が薄れていると申し上げましたが、正確にはもう手遅れでございます。完全に常軌を逸し、狂っておられます」
「ほぉ。その根拠は?」
「この一か月でホルストとバーツィットの子供の数が急激に減少しております。国籍の登録を問わずに、表からも裏からも子供が消えているのです」
「それが、ヨハネの狂気と関連していると」
「はい。
「その証拠は?」
「ユピトリウス本山の聖堂に、法王しか入れない部屋がございます。私がそこへ侵入したところ、少年少女の凄惨な姿が確認できました。手間はかかりますが、事を公にする事も可能でございます。そうすればユピトリウスの弱体化は必至であり、上手くすれば離れた人心をリャンバで救い上げ、自国の強化と敵国の弱体化を同時に行えるでしょうが……」
「捉えられたヨハネが何を話すか分からん。か」
「その通りで」
狂気に触れたヨハネの猟奇が公となれば間違いなくユピトリウスの信用は地に失する。しかし、その際にヨハネがミツの事を話すのは間違いないだろう。そうすれば国民に隠し通す事などできるはずなく、リャンバは国として黙っているわけにはいかなくなる。遺憾の意では済まない処置が求められるし、実行しなければならない。謝罪と賠償を訴えなければ国民が納得しないのである。
しかしホルストがそれに応じるとは思えない。彼らには彼らで異端者の処刑という建前が存在する。ユピトリウスの教義に反したにも関わらず、神の代行者を名乗る(という事になっている)ミツを許す道義を持たないのだ。是非はともかく、ユピトリウスにはユピトリウスの正義が確かに存在し、それを侵略する事はできないのである。
異なる二つの正義の間で話が通じなければあとはもう争いしかないのだが、それはキシトアが最も避けたい最低の外交手段である事は今更語るべくもない。今、ホルストと戦争になれば間違いなくドーガに漁夫の利を取られてしまうわけであり、それは絶対に避けなくてはならない。かといってこの情報を遊ばせておくというのもあり得ない話だ。ムカームの後塵を拝してばかりいる現状では、どの道リャンバはドーガに呑まれてしまうであろう。早めに手を打たなければ取り返しのつかない事になる。その打開策と成り得るのが開発中の飛行機と、今諜報員が持ってきたヨハネの狂気なのだ。キシトアはソファに深く腰掛け、難く腕を組みながら小さく、また、大きく唸った。
「よし」
策が閃いたのか、キシトアはいくらか芝居がかったように頷くと、男に向かって言うのだった。
「貴様、ホルストとバーツィットの市中にヨハネが狂った旨を振れまわってこい。なるべく詳細かつ、信憑性があるようにな」
「はぁ……それはかまいませんが、それでは……」
「何も言うな。貴様は黙って俺の言う通りにしろ。考えを話してやってもいいが、それだと余計な思案までしそうだからな。今回はなるべくシンプルに事を運びたい」
「……かしこまりました。それでは、早速取り掛かります」
「あぁ。頼むぞ」
男が部屋から出ると、パイルスが入室しキシトアに酒を渡した。
キシトアは「分かっているじゃないか」とそれを受け取り一杯飲むと、大きな溜息を吐く。
ようやく訪れた、束の間の小休止であった。
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