丘へ4

 シュードはあの日、共に落陽を見送った丘へとミツを呼び出した。


 時間は夜。伝えなければならない事があると綴った走り書きを渡したが、その様子は明らかに異様であった。シェードの普段の言動を考えれば彼を怪しみ来ない事も十分考えられるが、ミツに限ってその心配は不要である。だが、シェード本人は星の流れを忙しなく追いかけては座ったり立ったりして落ち着きがなく、自身が指定した時間なが未だ訪れていないにも関わらず、ミツが約束を反故にするのではないかと疑心暗鬼に囚われているように見えた。

 シェードの挙動不審は彼自身の心の弱さに起因している。彼らはミツを信じ切る事ができず猜疑の念に囚われ右往左往しているのだ。直接シェードの心を覗いたわけではないが、そうであると俺は断言できる。俺と奴は同じだ。差し伸べられた手を取らないくせに救いを求め、結果、どうしようもならなくなるのである。そんな姿を見ていると、つい、昔を思い出してしまう。




 あれは中学の頃だ。俺がまだ真面目に勉強して、将来に対して何の憂いも持っていなかった頃。つまらないことで友人と喧嘩し絶縁状態となってしまった。それだけならよくある話と笑い話で済むのだが、そうはいかなかった。そいつは、俺を許さなかった。


 翌日からそいつは徒党を組み、俺を執拗に虐げ、痛めつけ、恥をかかし、屈辱に染めた。かつての友情など幻だったかのように、暴力と屈辱を俺に与えたのだ。


 それでも俺が学校に通っていたのは、意地もあったが親に何と言えばいいのか分からなかったからである。いじめられているから学校に行きたくないなど、いったいどの面下げて打ち明ければいいのか分からず、また、事が大きくなれば学校中の笑いものとなると考え、堪える道を選んだ。とっくに知られていると分かっているのにも関わらず、それを認めたくないという安いプライドが邪魔をして、俺は毎日、傷を負いながら学校へと通っていた。


 だが黙っていても親というのは気が付くものである。ある日母に詰め寄られ、「いじめられているの?」と聞かれた。

 この時素直に「はい」と答えていれば特に問題もなく解決したように思える。しかし、人生というものにたらればはなく、過ぎ去ってしまった事はどうしようもない。


 俺は母親に嘘を吐いた。それでも引き下がらない母親を殴り、部屋にこもった。

母親は何かにつけて俺を外に連れ出そうとしたが、その言葉一つ一つが信じられなかった。世間体が気になっているだけだ。自分の子供が落伍者だと信じたくないだけだと穿った見方をして、母を罵倒した。本当は母の言葉に縋っていたくせに、母の優しさに甘えていたくせに、俺は母を裏切り、そして、失った。



「お母さんがな。死んだよ。お前の誕生日ケーキを買って帰る途中でな」



 父から聞かされた事実に俺は言葉も出なかった。あれだけ酷い事を言っておきながら情けないものだと心の中で嘲笑しながら、ずっと下を見ていた。


 それから俺は、葬式が終わると父に全て話し転校する事となった。

 人生とは中々上手くいかないもので、転校先では横暴な教師に随分と嫌な目に遭わされ、心が死んでいく事が実感できた。勉学にも身が入らず、毎日ゲームで現実逃避する日々。何とか高校にこそ入ったが、卒業後は定職に就けずニート。そんな俺を家に置いてくれていた父には感謝と申し訳なさが両立し、しばらく会話はできていなかった。


 この異星の神になれと言われたのは、そんな折である。






「石田さん。星者をこのまま来させていいんです? 間違いなく死にますよ?」


「……」


 そう。確かにそうだ。このままでは間違いなくミツは死ぬ。そしてシェードは償いきれぬほどの罪を背負い、自責の念に圧し潰されていく事だろう。しかしそれを止める事をミツが望むだろうか。俺がここで手を出して万事円満に解決するのは簡単だ。だが、それではミツが救われない。彼の心に宿った自身への疑いが晴れないのだ。


 ミツの心理はいつも俺に届いていた。殊、苦しみ、悩むときは強く感じ取れた。そしてこの頃のミツはいつも苦悩に溢れていた。自身の行為は神への背徳ではないか。人を扇動し、意のままに操る邪悪なのではないか。今は違うとしても、この先ずっと、変わらぬままでいられるだろうか。


 その心の弱さは間違いなく俺から受け継がれたものである。この不安は生きている限り終始続くものであり、生涯解決する事のない不毛な問題で、真っ当な手段では取り除く事ができない。そしてそれは、他人が思うよりも強烈に、彼の心を蝕んでいた。救済の手立てはただ一つ。人を信じ、その結果として殉教するという道以外にない。信じるという事こそが、彼らの信じる神が人間に与えとされる、最大の美徳なのだから。


「モイ。俺は、ミツの最後を看取る」


 その言葉にモイは「そうですか」と軽く答えた。まるで俺がそう言うと知っているのかの様に、いとも容易く、あっさりと。




 異星では星が天球の最上に達していた。空の闇の輝きは絶望の淵にある希望か、それとも涙か。あるいは、いずれもか。


「シェード」


「先生」


 時間通りにやってきたミツを見てシェードの顔ははにかんだが、すぐに淀み、暗黒に交じる。星のない、夜空の様に。

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