丘へ3
苦節あったがリャンバとその周辺地域に蔓延していたケオス病はほぼ淘汰された。
未だ復興途中ではあったが治療薬とワクチンは安定的に生産され、市民は再び安心と安全を手に入れたのだったが、ケオス流行依然と異なるのはガーデニティの信者が爆発的に増えた事である。リャンバの市民は皆、ミツの奇跡を目の当たりにし、彼を聖人とか神の化身とかいって崇め祈りを捧げた。だが、それはミツが危惧していたような自身の神格化に他ならない。人々は神ではなく、ミツを信仰し、なる庭の子を名乗ったのである。これにおいては(分かってはいたとはいえ)ミツも大いに嘆いた。
そんなミツに気を使って弟子たちは休むよう進言していただのが、一人だけ、そうでない者がいた。
「まだ、発ちませんか」
ミツにそう促すのはシュードであった。彼は丘の上で共に太陽を見て以来、何かにつけてミツにリャンバからの出立の時期を伺うようになっていた。また、この頃は他の弟子達とも疎遠となっており、ミツがいない時はいつも一人で本を読んだり何かを書いて過ごしていた。
彼は元来偏屈な人間であるが、以前にも増して偏執的で偏狂となっていた。彼の心を動かすものはもはや、神とミツのみである。
「確かに、そろそろ潮時かもしれません。今度、キシトア様に伺ってみましょう」
「本当ですか?」
「私がかつて、嘘を言ったことがありましたか?」
「いいえ……いいえありません! では、出立の日が決まりましたら是非お聞かせください!」
「あぁ……必ず」
この時交わした二人の誓いは守られる事はなかった。それは決してミツが不義理を働いたわけではなかったが、シェードにしてみれば、同じである。
シェードは辛抱強くミツがキシトアと話す日を待ったが、一向にそんな日は訪れなかった。というのも、リャンバの復興作業に追われるキシトアには休む暇も話す暇もなく、各地を転々と周り政務を全うしていたのである。その様子を知っているミツが易々と話をしに行くわけがなかったし、例え知らなかったとしても会談の機会は設けられなかったであろう。それだけキシトアは多忙であったのだ。
シェードとてそれは承知のはずであった。しかし、感情とは往々にして理知を超え、理屈の合わない筋書きを紡ぐ。
シェードにとってミツは偉大であり尊敬の対象であったが、自身が求める理想の教祖の姿から乖離したとき、あるいは、そう思った時、彼の胸の内に湧き上がるパトスは筆舌に尽くし難い、実に難儀なものであると想像できる。彼はミツに裏切られたと思ったに違いない。そして裏切りとは最も忌むべき悪徳の一つとして、ミツ自身が彼に説いたものであった。
「お弟子さんミツ様はずっとリャンバにいてくれるのかね」
ある時、シェードにそう話しかける者がいた。小さな体躯通りの、卑屈な感じのする人物であった。
「……私は知らない。だが、いつかきっと出ていかれるだろう。神の教を説くのが、先生と私達の使命だ」
「そうかい。でも、リャンバに残った方がミツ様も幸せだろう。なんたって奇跡の人。神のお遣いだ。金も酒も女も、自由にできますぜ」
「貴様! 先生を侮辱する気か!」
シェードは読んでいた本を投げ捨て叫んだが、睨みつけられた男は飄々として視線を合わせるのだった。
「そんな気はないさ。悪かった。謝ろう。けどね。あんただって、ミツ様の事を全部知っているわけじゃないんだろう? 聖人と言われているが、本当のところはどうか分からない」
「まだ言うか!」
「だってそうだろう? もし本当に神の教を説くつもりなら、とっくの昔にリャンバから出て行っているはずじゃないか。なぜそうしない」
「それは先生にお考えが……」
「へぇ。そいつはいったい、どういう考えかね」
「……私如きが先生の御心を推し量るなど、できるわけがない」
「……違うなぁ。そういつは違うぜお弟子さん」
「何が違う」
「あんたが先生先生って言ってるミツ様は、きっとあんたらに隠し事をしていらっしゃるのさ。だから分からない。知らない。何をしたいのか、どうしたいのか、これから先どこへ行くのか、何一つ」
「馬鹿な……そんな事……」
「現に、あんたはミツ様の事を知らないんだろう? 推し量れないなんてのは勝手にそう思いたいだけだ。ミツ様だって、本当は神様なんか信じてないかもしれないぜ? 奇跡だってペテンかもしれない」
「……取り消せ! 先生への侮辱は許さん!」
「いいさ。取り消そう。だが、あんたが心に抱いている不信感は、そう簡単には消えないぜ?」
「不信感? 私が? いったい何に」
「ミツ様にだよ。あんた思ってるだろう。本当にこの人についていっていいのかって」
「……」
シェードは答えられず、卑屈な笑みを浮かべた。
「よし。それなら、俺が協力してやろう。あんたが、もう一度ミツ様を信じられるように」
「……協力?」
「そうとも。あんたは人気のない場所にミツ様を呼び出してこう言うんだ。どうぞ私を信じてついてきてください。ってね。そうすれば、俺が馬車を引いて出てくるから、それに乗ってくれ」
「……それで、馬車へ乗って何処へ行くのだ」
「なに、近くさ」
「……」
シェードは男の言葉に静かに頷いた。
この時代、未だ馬車を引いているのは、ユピトリウス教だけである。
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