素晴らしき異星に祝福を12

 ミツを教祖としたガーデニティの噂は風となってたちまちに広がりを見せリャンバ周辺の集落や国に大きな影響を与えた。

 自由を信条とするリャンバは難民や独立勢力を懐深く受け入れた上に多大な支援も行っていた(市場の拡大と労働力の確保を狙った側面もあるが双方の益になるため殊更悪いものでもない)。

 しかし人間とは贅沢なもので、物質的な充足を得ると精神的な幸福を欲するようにできている。考え方を変えれば本質的な幸福とは物質に起因しない、本人の心の在り方に依存するのかもしれないが、まぁどちらでもいいだろう。重要なのはそうした真実の追求ではなく、現実だ。


 リャンバ周辺に生きる人間達は小さな集落でも不自由なく生きる事ができた。

 科学の恩恵の差こそあれど、少し足を延ばせばそれなりの都市があり欲しいものは揃う。大陸の内戦を経て得る事のできたこの平和は当初こそ彼らを感動させ満足せしめる効果があったが、それも次第に慣れてしまい、多くの者が満たされない何かを求めるようになっていった。

 一部の人間はホルストへ渡り、或いは戻りユピトリウス教徒となり、また一部の者は酒におぼれ、ごく少数の者は倒錯した趣味に走るようになっていき、何においても解消できない人間は、どこか心にモヤとした影を感じながらもぼんやりとして生きてくしかないのだった。


 そこにやってきたのがケオス菌とミツである。

 満ち足りない人間は差し迫る死に対して虚無からの離脱を望みながら生への執着を抱く。相反する生理的な欲求と心理的な欲求は苦悩と同時に自身の生を鑑みる作用を持ち、狂気的な渇望が自我に食い込むようになる。奇跡とか神代とか呼ばれるものを、人々は欲したのだ。 


 その欲求は死の臭いが強く、近くになるにつれ強大になっていく。劇的な何かが自身の身に起きないかと絶えず妄想し、なんともならない人生に絶望し、絶対的な存在に救済を求める。その症状はケオス病の罹患者よりも看病に回る親族などの方が如実に表れていた。病に苦しみ、今にも死にそうな父や母。あるいは兄弟、我が子を見る内に、精神的な支柱や依存先のない心は壊れていってしまう。これまで労なく生きてきた過去がまるで夢幻のように儚く薄れていき、苦悩しかない現在が蝕んでいくのだ。人は死ぬ。苦しむ。不幸がある。それを体系だって学べなかった人間というのは往々にしてこうなる。仏教でいうところの四苦八苦という絶対的な苦に苛まれ、堪えられなくなっていく。リャンバはまさにそんな状態であった。あと一歩。ほんの一押しで崩れてしまうような危険性を孕んでいた。そこにやって来たのがミツであった。

 突如現れ、神の遣いを名乗り次々と病人を治療してくミツの姿まさに彼らの望んだ劇的な奇跡そのものであった。その存在は虚無が支配していた心にするりと入り込み、神への信仰を受肉させ幸福を与えたのだ。ミツは行く先々で神の代行者、奇跡の人と持てはやされ、ガーデニティの信者は増えていった。


 こうした布教をミツは快くおもっていなかった。確かに神の啓示により人を救ったのは事実であるが、神の教というのは奇跡といったようなパフォーマンスを望むものではない。与えられた命に対して向き合い、正しい事、善き事を学び実行せんとするのがミツの求める信仰と宗教である。大雑把にいえば、彼にとって救いというのは生き永らえる事ではなく一切の負い目と後ろめたさの排斥にあり、例え今この場で死のうとも満足できる状態を維持するというものであった。


 それ故にミツは放浪の旅に疑問を抱く。自分がやっている事は誤った教を広めるばかりで、偉大なる主への背信行為なのではないかと疑ってしまったのだ。

 


 主は私に啓示をくださった。しかし、それだけだ。正しい道は依然、霧に包まれている。私はどうすればいいのか。人々に何を説けばいいのか。何も分からない未熟な自分が、大変心苦しい。


 ミツがボロ紙に残した言葉である。

 この独白は自身の手により灰となったため誰の目に触れる事もなかったが、日に日に深くなる悩みが彼を疲弊させ、痩せさせていった。彼は彼の求める神の教を実行できていなかった。どこで死のうとも満足できる状態ではなかった。探求と自己否定。祈り、問うても信じる神は答えてくれない。こうなると彼の中で己を信奉する弟子たちも重りとなっていき、心胆を深く沈めていく。


 自分などについてくる事はなかった。彼らにそうさせてしまったのは外ならぬ自分だ。では救わぬ方がよかったのか。彼らが虐げられ、苦しむ様をただ見ているだけでよかったのか。そんなはずはない。神はきっと、彼らを救ったことをお咎めにはなるまい。しかし、今の私については、彼らを導けぬ私については、きっと神は……


 神を疑う事なかれ。

 聖書に記されている一節である。


 ミツはこの時、神の慈悲を疑った。


「神よ……」


 嘆くミツに、やはり神は答えない。答える資格はない。俺は、何もできない。やろうともしないのだから。



 リャンバのパイルスがやって来たのは、ミツが落胆し絶望しているその時であった。

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