素晴らしき異星に祝福を8
ある晩、ミツの教会は暴徒に取り囲まれ一触即発の事態となった。彼らはフェース人の引き渡しと、ミツの退去を要求し、呑まなければ教会を破壊しその場にいる人間全員の罪を払うなどと脅迫し迫っていた。
罪を払うというのは当然皆殺しの意である。暴徒達は神を畏れ、ヨハネに怯えた。恐怖から逃れるために、ミツとその周りの人間を排斥しようとしたのだ。
「分かりました」
ミツが静かに答えると、暴徒達の中にも安堵の表情を浮かべる者がいた。徒党を組んだといえ彼らとて一枚岩ではない。中には過激なユピトリウス本部のやり方を承服できない人間もいる。大きな騒ぎとならず解決できるのであればそれに越したことないという思想は分からなくもない。よく言えば和を尊ぶ、悪く言えば日和見主義である。
だが、ミツは黙って従う事をしなかった。
「私はこの場を去ります。ただ、私と共に往きたいと望む者については、同行の許しをお願いしたい」
暴徒達は迷った。ヨハネからはフェース人をより迫害しろと、個人の尊厳を踏みにじり、奴隷として休みなく働かせ、暴力を持って従わせろと言われている。それを破り、みすみす一同を見過ごすというのは神の御心に背く行為ではないかと不安に思っているのだ。
「それはできん。悪いが司祭様。見逃すのはあんただけだ。フェース人にはここに残って奴隷となってもらう。それが、そいつらにとっての救済だ」
一人の男がそう述べると、他の人間も一斉に騒ぎ出し、声を荒らげる。ポピュリズムにより発生した集団ヒステリーの見本のような場面であるが、彼らを攻める事はできない。彼らもまた恐ろしく、何かにすがるしかない人間だからである。そうした観点からすれば彼らもミツの下に集うフェース人と変わらない。寄りかかる木が違うだけで、結局のところ皆弱者なのだ。衆愚と評するのは簡単だが、民衆とはそういうものであろう。違いがあるとすれば、血を流す者と流させる者のという一点に尽きる。その違いこそが、明確な相違なのであるが。
だがそれは、哀れであったが悲劇ではない。この
「救済。救済はとはなんですか兄弟」
ミツは優しく、一人の男にそう問うた。
「罪深きフェース人に然るべき罰を与える事だ」
「罪深きフェース人。なぜ、フェース人の罪が深いか、考えた事はありますか?」
「神がそう言っている」
「では、神とは誰ですか?」
「神は神だ! 我らを創造し、守ってくださる偉大なる存在だ!」
「違うでしょう。貴方が崇めるのは神ではない。ヨハネ法王だ。法王様の言葉を神の言葉と思い違いをしている。法王様の命により、フェース人を不当に扱っているのです」
「神の代行者たる法王様が神の御言葉であると仰られているのではないか!」
「では、貴方は自らの行いに対して、良心の呵責に悩まされることはありませんか? 心を痛める事はございませんか?」
「それは……」
「そんなものが本当に神の声でしょうか、神の望むものでしょうか。神は私たちに試練を与えます。しかし苦しみを与えるものではありません。私はそう思いますが、貴方は、いかがですか?」
男は黙った。何度か声を発しようとしたが、魂のない言葉をミツに浴びせる事ができなかったのだろう。彼は答えを出せぬまま、無言で立ち尽くすのみであった。
その様子を見たミツは静かに周りを見渡し、若く未発達な、細く薄い身体の底から、決して大きくないが染み渡るような声を出し、全員に福音を授ける。
この時の詳細な声明は実のところ歴史書には残されておらず、俺も語る気はない。なぜなら、ミツ以外が言葉にすれば実に安直で陳腐な内容となり、宿る力が失われてしまうからである。何を言ったかではなく誰が言ったかという安い格言があるが言い得て妙であり、俺は遺憾ながらその意味を認めざるを得なかった。ミツの言葉は月並みでありきたりな説法めいたものであったが、その時その場にいた人間は例外なく心に神の息吹を感じ、争う気を削がれてしまった。いや、神という表現は間違いであるような気もする。なにせ神である俺はミツよりも俗的であり、人に敬意を表されるような資格を有していない。ここでいう神とはやはり彼らが作り出した共通の完全正義たる概念なのであるが、まぁ、その辺りは触れないでおく事にする。
なお、一応、一字一句が正しいわけではない概ねこういうような内容を述べたという事を確認のために記録しておく。
「兄弟。私は、神を信じています。平等と自由を、平和と安泰を心より望んでいます。だからこそこのような事態となってしまったのは酷く悲しく、私自身の無力感を痛感しています。兄弟達の恐れを、悲しみを、孤独を知らず、私一人が満足し決断を見送った事、大変申し訳なく、また、悔しく思っています。それぞれがそれぞれ、辛苦と苦悩に打ちひしがれた事でしょう。しかしそれはフェースの人間も同じです。彼らもまた、等しく辛苦と苦悩に満ちた生活をこれまで送ってきました。生まれた地が、環境が、彼らに謂れのない罪を与え、不当に罰せられてきたのです。そして今、更なる不幸を与えられんとしている。兄弟。それは本当に善行でしょうか。神の望まれる行いでしょうか。その答えは、兄弟たちが持つ心が導き出してくれると、私は信じています」
暴徒の憎悪が静まり、風が吹くと、ミツと、彼の下に集った者達は教会を後にした。
「司祭様、どちらへ」
付き従う人間の一人からの問いに、ミツは答える。
「東へ」
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