救命阿3

 ムカームの覇道にも一理あるかもしれないが、現在日本の倫理観に照らし合わせるとやはり納得できないし、共感も得られないものであるように思える。一部の経営者やら資本家は「確かに」と頷くかもしれないが、弱者の使役など社会福祉の観点から見て到底許されるものではない。支配者のために国が建っているなどという思想は、傲り以外の何物でもないだろう。


 しかしそうした傲慢不遜こそが強力なリーダーシップを発揮し、ドーガに住まう人間達に求められているというのが皮肉な話しではあるが、ドーガにおけるムカームの支持が絶大で、軍人からパン屋のせがれまで例外なく強力な指導者を仰ぎ見ているのは経済や生活が上手く回っているからであり、一旦綻びが生じれば足元からの瓦解はまず不可避である。ムカームを支えていた民草は挙って彼を「独裁者」と呼び、自らが上げた神輿から引きずり下ろすに違いない。強者の圧政も悲惨であるが、衆愚の暴動も醜悪極まりなく、共に負の歴史として後世に語られるのであろう。そして、人類というのは一度ならず二度三度、何度も何度も同じ過ちを引き起こすのだから始末が悪い。人は歴史から何も学ばない事を学ぶとはよく言ったものだ。


 だが、過去の歴史を実際に紐解けるのはある程度の慰めになるかもしれない。人は二度死ぬとは松田優作の言葉らしいが、これは国においても当てはまるものだろう。そこで生きていた人間達の営みが、吹いていた風が、敷かれた大地が、築かれていた建物が、命の輝きが、歴史の中からすっかりと消え、ページが抜け落ち目次からも抹消されてしまった一章となったのであればそれは、国が真の意味で息絶えたといっても過言ではないのだろうか。






「それでは、良き返答をお待ちしております……」


「うむ。近日中に遣いを出してやろう」


 ムカームの元から足早に去っていったのはリビリ人であったが大陸の言葉を使っていた。交易が行われるようになりドーガには少ないながらリビリ、コニコの人間の姿が見られるようになってはいたし、当然ムカームも会議などに参加する事などはあったのだが、この時の様子は少し違った。


「……如何いたしますか?」


 リビリ人が部屋を出ていった後、副官がムカームにそう問うた。


「向こうが条件を呑むと言っているのだ。色よく返してやるのが筋だろう」


「では、早速手配いたします」


「あぁ。頼んだぞ」


「は」


 副官が退室すると、部屋にはムカーム一人となり静寂が訪れたがそれも束の間。入れ違いのようにノックが一つ。


「ワザッタ・ローシン二等兵、到着いたしました」


「入れ」


「は!」


「ご苦労。早速だが、貴様には次の任務に就いてもらう」


「は。謹んで、お受けいたします」


「結構。近く、リビリの皇帝をドーガに招く事になった。接待役を任せる」


「は! しかし、佐官、将官などではなく私でよろしいのでしょうか」


「皇帝は貴様がお気に入りのようだ。せいぜい楽しんでもらえ」


「了解いたしました!」


「よろしい」


「……」


「……」


 敬礼の後、ワザッタは固まる。退室の許可が出ない以上、彼はこの場に留まっていなければならない。


「……他、ご用向きございますでしょうか」


 本来であればワザッタからこうして口を聞くのは不作法である。しかし、いつまでも無言で立ち、互いに時間を消費するというのも益のない事。ムカームが黙っている以上、ワザッタが口火を切らねば仕様のない場面であった。しかし。


「……」


「……」


 依然、無言。聞こえていないとか無視しているとかそういうものでもない。ムカームは確かにワザッタの方を向き、圧をかけているのである。


「……っ」


 ワザッタはその重苦しい空気に汗を流しながら必死に堪えているという様子。これだけで寿命が一、二年縮まりそうである。


「……」


「……」


「……」


「……」


「……」


「……」


 キュウという音がワザッタから聞こえた。腹の虫ではない。過度なストレスに晒され、炎症、出血が発生した音である。


「……」


「……」


「……二等兵」


「は、は!」


 ようやくムカームが口を開くと、吐血するのではないかというような声でワザッタが相打つ。


「実は、先ほどリビリの人間が来たのだがな。どんな奴だと思う?」


「は。国使でございますか?」


「エシファンの者だ」


「それは珍しい。私も訪れた事はないのですが、エシファンはドゥマンより距離があると聞きます。遠路遥々。ご苦労ですな」


「……気にならんか。どうしてそんな遠方からわざわざここに来たのか」


「それはまぁ……」


「奴らな。是非ともドゥマンを滅ぼし、後の首都をエシファンに制定してほしいと言ってきたのだ」


「それは……なんと物騒な……」


「まったくだ。そもそもどうして我が国が友好国を滅ぼす必要があると言ったんだがな。何故か奴ら、こちらの動向や狙いを知っていたのだ」


「わ、私は喋っておりません!」


「そうだろうな。貴様にそんな真似はできんだろう」


「……」


「まぁ、おおよそコニコの連中と繋がっているといったところか。奴らとてリビリは驚異だろうからな」


「……それで、如何なさるのですか?」


「別にどうでもいいのだが。ただ、無条件というのも舐められるだけだ。そこで、こちらかの要望に答えるならと考えてやると伝えた」


「要望、でございますか?」


「そうだ。一つは現ドゥマンの支配権をコニコに任せるという事。二つ目は、今後、何があろうと我らに協力するという事。するとだな。向こうは二つ返事で承服してきた。ただ……」


「ただ……?」


「最後にこう述べてきた。ドゥマンという都市が、リビリという国があった記憶の抹消を許可していただければ、喜んで。と」


「……」



 エシファンからしてみればドゥマンは簒奪者であり、リビリという国名は屈辱の証に他ならない。それを晴らすためなら、彼らはあらゆる手段を用いて事に及ぶのであろう。時代を超えて抱き続ける復讐心が、怨嗟が、一つの国を殺さんと今、動き出したのである。

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