あー🥺3

 冗長であるが決して読みにくくはない報告を読み終えたムカームはそのまま書状を海に投げ舌打ちを鳴らした。


「世の中、中々どうして計画通りにいかぬものだ」


「……」


 そう吐き捨てた言葉に副官は返事をするかどうか悩んでいる様子であった。独り言のつもりであれば下手に相槌を打つのは無礼だし、返事を求めているのに無視を決め込むのであればなお悪い。良くて制裁。悪くて銃殺である。命がけの選択肢が彼の前に立ちはだかっているのだから、悩まないわけがない。

この場合ムカームが理不尽という事ではなく、軍隊という組織がそういうものなのであると断りを入れておく。軍の強さとは強力な個の力でも最新鋭の兵器でもない。命令系統の絶対順守と上官への服従から作られる鉄の組織力による暴力にあるのだ。

 各々が命令された職務を全うする統率の取れた集団であれば、蟻でも恐竜を打倒する事ができる。いや、打倒するために作られた組織が軍隊なのだ。然るに、この場において最良の選択を出せぬようでは副官として勤めるに値しない。副官とは長官の意思を汲み取り兵に伝令を出す役職だからである。

 副官の選択のミスは基本許されない。当然、洞察に優れ言葉外の意思を見抜かなければならない立場。ご機嫌伺いや進言、諫言も副官の務めであり、言葉選びやタイミングなど、瞬時に熟考し即断しなければならないという矛盾めいた責務を全うしなければならないのである。それこそが副官という職務。そして、役職を全うできない人間は組織には不要である。


「……」


「……」


 沈黙が流れる。彼はムカームが独り言を述べたとしたのだ。

 潮風と波と、ハイドジョイの駆動音が静かに、けたたましく流れていく。


「……司教様のところへ行ってくる。ここはしばし貴様に任せるが、何かあれば呼べ」


「は!」


 読みは当たった。ムカームは返答など求めていなかったのだ。

 無論、事前に答えなど分かるはずはない。副官もエスパーではないのだ。相手の思考の底を読むなどできるはずもない。だが、それでも求められる仕事をするのがプロフェッショナルであるし、プロフェッショナルであれば当然、できなければならない。自らの職務を見事遂行した副官は、食後に葉巻を燻らせるが如く涼し気な顔をしてムカームを見送った。





 

「ご機嫌いかがですかジョージ司教様」


 船内の最奥にある扉をノックして開け、ムカームはそう声をかける。


「……酷く悪い。最低だ」


 神聖ユピトリウスを名目上治めているジョージ司教は暗い船室の一角で丸まっていた。体中から大量の汗が吹き出し震える様子が尋常ではない事を物語っている。


「そうですか……ところで、予定が変わりました。リビリとやらに、神聖ユピトリウスの教を広めるのは諦める事とします」


「……」


 ジョージ司教は項垂れて何やら唸り、頭を抱えて、震えている。


「……発作が出てますね。どうぞ。これを」


 そういってムカームが差し出したのは丸い飴のようなものだった。俺はそれを見て、酔い止めの薬かなにかだろうかと純真な疑問を抱いたのであるが、少し考えればそんなわけがない事が分かる。そう。それは……


「あぁ……あぁ……!」


 よろよろと立ち上がった司教は、ムカームの手からその飴のような物体を奪い取り、火気の厳禁であるはずの船内で火をつけると、傍らに転がっている筒のようなものでその煙を吸い始めた。


「……! ……! ……!」


 息継ぎでもするかのように必死に煙を吸い込む司教は、程なくして惚けた、人前で晒す事のできない恍惚とした表情を浮かべ、床に転がるようにして寝そべった。この異様が、この依存が、この執着が、この様相が、果たして何を意味しているのか分からない程俺は純粋ではなかったが心の整理がつかず、傍らに転がるモイに尋ねる。



「モイ……これは……」


「麻薬ですね。間違いない。ケシの果汁を乾燥させた古典的な製法のやつです。ざっくりといえば阿片です」


「……」


 遠慮のないストレートな事実報告に俺はたじろぐ。これまで戦争やら殺人やら権謀術数やらを数多に見てきたが、いずれの衝撃とも異なるダメージを心に負ったのである。もう五十を過ぎるような老人が、聖職者として人を導くべき立場の人間が、あのような顔をしてだらしなく、小汚く、威厳も尊厳もかなぐり捨てた醜態を晒す姿を見ると、これまでのどの悲劇や惨劇よりもおぞましい何を感じずにはいられず吐き気を催し、心底からの嫌悪感を抱いたのであった。


「いったい何がどうしてこうなったんだ……何が起きた」


「それはもう、明白でしょう。あのムカームという男が、薬を使って司教を操っているんですよ」


「いつの間にそんな事に……」


「少し前ですね。まぁ、ケシ自体は、今のツィカスがある辺りに昔から群生しておりまして、奴隷として働いていたホルストの人間がたまに嗜んでおりました。当時は使い方も確立していなかったので酩酊のような状態となるくらいだったのですが、丁度独立を宣言したあたりから麻薬精製の技術が定着いたしまして、今後、奴隷に代わる主力商品に考えられているとの事だそうです。それで、ついでに神聖ユピトリウスのトップであるジョージ司教を傀儡にすべく、薬漬けにしたわけです」


「……馬鹿な」


 他人事のように語るモイにも腹がったが、一番許しがたいのはムカームである。およそ人の持つ尊厳という尊厳を奪う悪魔の薬を商売に使うなど非道徳以前の所業。如何なる理由があろうとも肯定できるものではない。


「も、燃やす! あの船を燃やさなければ! 火を! 引火させるのだ! あの麻薬に着火したマッチで! そしてこの星から全ての麻薬を消し炭としてやる! 俺にはそれができる! そうだろう! いいか! 燃やすんだ!」


「まぁ落ち着いてください。石田さん」


「これが落ち着いていられるか! こんな事は許されてはいけない! 戦争の方が幾らかマシだ!」


「なるほど確かにそうかもしれません。しかし、だからといって人類から学習の機会を奪うのはいかがなものかと」


「……学習?」


「はい。麻薬や依存の恐怖や、薬用への転用に関する学習です」


「馬鹿な。そんなもの、なければ覚える必要のないものだ。馬鹿な年長者が、若いうちの苦労は買ってでもしろなどとほざくのと同じ理屈だ。要らぬ苦労などする必要はないのだ。薬効にしたって問題ない。デメリットのないものを俺が作り出してやる。なにせ神だからな。アスクレピオスの真似事とて可能なはずだ。それで万事収まるだろう」


「そうですね。麻薬に関してだけ述べれば、確かにその通りです。しかし、そう都合よく星を作られては、貴方が今まで尊重してきた人間の自由意思を否定する事になる。貴方はこの異星の人間に対して、自考し自立を求めていたのではなかったのですか? それを急に、極めて人間的なスケールの道徳で覆すというのであれば、貴方は何のために今まで争いや戦いを黙って見ていたのですか?」


「……」


「いいですか石田さん。これはこの星に住む人類にとって、またとないチャンスなのです。恐らくこれから先、取り返しのつかぬ事が起こるでしょう。しかし、だからこそ生物。だからこそ命なのです。生きているモノはいつだって自分たちの首を絞めながら必死にもがき、答えに到達せんとしているのです。そしていつか自分達種族の愚かさに気が付き、ようやく次のステップへと移行できるのです。そのためにこの過ちは絶対的に必要なのです」


「……それはエゴだ。詭弁だ。妄言だ。将来くるかも分からん可能性のために多くの人間の尊厳が足蹴にされるのを見逃すなど、到底人間のやる事では……」


 語るに落ちた。


「そう、神である貴方であれば、許されるのです」


 俺はその言葉に従うしかなかった。聞き入れるしかなかった。機械的に発せられるモイの言葉が心臓に響き、感情から思考まですべてを制御されているような気がした。しかし、それが一種の安堵を与えた事を否定はできない。あれだけ言ってなお俺は、心の底で自らが決定した神の特権を行使する事に、恐れを抱いていたのである。


 そうして俺はまた決断を下せず、異星の成り行きを見守るのだった。何が起こるのか、おおよその事を察しながらも。


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