神は言っていない1
ドーガにおいて一つの命が誰にも知られず処理された。
それはフェース人の若い奴隷であり、彼は表向きには脱走扱いとなって連帯的に数人の奴隷が殺された。また、その日からドーガに赴任していた司教が奴隷を人ではなく家畜と同等であるとの宣言を行い、教徒にもその思想を強要したのであった。以下、その司教が教会で語った内容(一部抜粋)である。
「普段より善良なる心持ちで過ごす貴方達には少しばかり苦しい話をしなければなりません。私はこれまで、フェースの血が流れる者達を我らと等しく人間であると思いながら神の教を説き、人智とはなにか、人道とは如何なるものかを話してきました。しかし、彼らはそれを解さないばかりか、神への冒涜的な言葉の数々で私を攻め立て、あろうことか平和と自由の精神を汚したのです。これも神の与し忍ぶ試練であるとずっと堪えてきましたが、それは大きな過ちであったと私は気がつきました。いえ、試練であることに変わりはありません。ですが、この試練は血を厭わない信仰心を、神への忠誠をお試しになられているのであると悟ったのです。知性なく、血と暴力を好むフェース人は我々が飼いならし、時には神の代行者となり裁きを行わなければなりません。それこそが神の子である我らユピトリウスの真の勤めであり、恒久的な平和な世界実現へと繋がるのです。これぞ神のご意思。選ばれし生物である我ら人間が生きる、真の目的なのです。さぁ。共に手を取りましょう。我らは正しきユピトリウスとして、悪魔であるフェース人を浄化するのです。さすれば、きっと自由と平等の世となるでしょう」
俺はこの話を聞いて教会を放火してやりたくなったがすんでのところで踏みとどまった。また変に介入すると余計面倒な事になりかねないし、そもそもこいつらを殺しても根本が解決しないのである。根本とは即ち人間の持つ欲求とエゴと差別意識の撤廃なわけであるが、それを排除してしまうともはや人間ではなく超人となってしまうわけで、そのステージに達するのは自らの足で進まなければ意味がない。だいたい神である俺自身が俗物的な意識に支配されているわけなのであるから彼らを非難する権利などあるはずがなく、また、生物としてのステップ(精神的な進化)を促す事などできるわけもなかった。もし彼らがその域に達してしまったのであれば、それはもはや神を超えた存在という事である。バリバリの旧人である俺がどうこうできるはずなどないのだ。神は神が持てない石を作り出すことができるのかという全能の逆説に似ている。あるいは、人類を神のステージまで引き上げる事が俺の使命であるかもしれないと一瞬迷ったが、さすがに身の丈が合わない事を理解し正気に戻った。この世界では確かに神ではあるが、本質的に俺は俺という単純なトートロジーに帰結し、人間的な、あまりに人間的な判断しかできないわけである。つまりは、俺はユピトリウスを断罪する権利もなければ否定する正当さもない罪深き一般人であり、どうしようもなく無力なのだ。なんとも責任逃れのような思考であるが、どうする事もできないわけであるから仕方がない。
だが。
だがである。
俺は異星で行われる非人道的行為を無条件で肯定するわけではない。それこそ人間的な感情と良心により嫌悪や憤怒が生じる事もあるわけだが、ドーガにおけるフェース人の扱いは、まさしくそんな人間的性質により激しい憤りを覚える所業であった。
上記した気の狂った宣誓の後、多少の抵抗はありつつもユピトリウス教徒は司教に従い奴隷への人権を求める活動を停止した。すると、今度は積極的に奴隷を虐げ、暴力の限りを尽くし、徹底的なサディズムを発揮するようになったのである。
生物は基本的に暴力的な欲求を持っているもので、倫理や道徳により抑え込まれてはいるが、究極、それも自分が被害者とならないように定められたルールに過ぎない。ドーガのユピトリウス教徒達は、そのルールが適用されない(と思っている)フェース人が現れた事により動物的な情念が発芽し、加虐心理に歯止めが効かなくなってしまったのであった。
こうしてドーガにおいてフェース人は徹底した迫害を受ける事となる。強制労働は勿論、折檻は過激化し不可逆の傷を付けられる者も少なくなく、また、意味もなく身体を刻まれ、潰され、削がれ、刳り貫かれ、果ては共に殺し合わせる。親子での性交を強要する。死んだ子供の肉を調理させ食べさせるという狂気にまで至るのであった。その恐ろしい暗黒の歴史は現代の異星において絶対のタブーとされ、表に出る事は少ない。
このようにある意味で暴力を容認するようになると、当然、本家ユピトリウスから弾圧を受ける事となる。ホルストへ帰国した人間がドーガの様子を伝えるとユピトリウス幹部は激怒し、司教に対して破門状を送りつけるのだった。
ドーガの司教はこれを受諾し、新たに聖ユピトリウスを名乗り真の神の従事者を自称するようになる。
それは異星において、初めて宗教派閥が生まれた瞬間であった。
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