どうだ明るくなったろう2
悲観ばかり先行しているがそれはあくまで俺の心情ばかりであり、ホルスト国民や比較的裕福な集落。そしてドーガなどは基本的に幸福度の高い生活をしているのであった。死んでいったバグや奴隷として従じているフェース人にとっては悪夢のような現実だろうが、その反対側にいる人間にとってはまさにこの世の春ともいえる時代なのである。その生活を破壊して弱者救済を謳い手前勝手な独善を推し進めるのは、やはり憚られる。
戦後の泰平は文化レベルを飛躍的に高め人々の知的、教養水準の上昇を促していった。戦後五年には新聞(いつの間にか紙が発明されていた)。その翌年には飲食店や小話などが掲載された雑誌。そのさらに翌々年には創作小説が発表され、演劇、歌謡の舞台も始まった。その他、絵画や彫刻、貴金属、宝石の加工なども盛んとなり、人々は芸術と美麗に酔いしれるのである。この時代は後に黄金のホルストと呼ばれ、文化躍進の始発点として歴史に刻まれる事となる。
またそれだけではない。ホルストは文化面での発展を進める一方、化学においても恐るべき進歩を遂げていた。占領したトゥーラの平原から石油が噴出したのである。
「石油って死んだ動植物の油じゃないの?」
「所説あります」
「なるほど」
リアルタイムではモイとそんな会話をしたくらいで軽く流したのが、この石油がホルストへもたらした恩恵は計り知れなかった。燃料効率の飛躍的上昇による工業力の増強。石油商品による生活水準の向上。労働需要の拡大といった様々なボーナスが付与され、戦勝により潤っていたホルストはさらなる豊かさを手にし、その栄華を極めたのである。
このように先進し、市中の賑わいが常となったホルストにおいて、表では食事や宝飾、服飾品店が、裏では酒場、賭場、娼館が、栄え、善も悪も清も濁も等しく活気づき、狂気ともいえる悦楽に耽る人間も珍しくはなかったが、そんな中で、唯一と言っていいほど世を俯瞰し、厭世観に自虐するような気障な人種が存在していた。小説家である。
この世界の小説は雑誌の空いたページを埋めるために書かれたのが初めである。当初は馬鹿な物を書くものだと軽蔑さえされていたが一年も経つと人々に受け入れられるようになり、じきに小説専門誌が発行され市民権を得る。その後、取り分け人気の高かった作品の演劇が行われるようになるとこれが爆発的な人気を獲得し原作を手にする人間が増えていった。そうしていくうちに短篇ばかりが掲載された小説雑誌なかりではなく、中、長編が書かれた個人の本が発売されていったのである。
しかし、それでも虚像。虚業。虚構と作家を蔑む人間も少なくなく、殊更妻がドはまりした夫が目の敵にして叩くといったような事がままあった(ちなみにホルストの識字率は驚異の九割である)。故に作家は作家とは滅多に名乗れず、外に出るのも人目を気にしなければならないという有様であった。こうした背景があり、この頃の作品は陰気な私小説が多く書かれている。殊、エルフレッド・コーコンサス、本名、ミザイマ・ユサムキ(戦後、人員整理のためホルスト国民には名字が与えられた)が綴った
「面白いなこの小説。とても文明化過渡期の作品とは思えん」
俺は街灯を読み読みながら気まぐれにそんな事を口走った。
「過渡期だからこそです。人間とは混沌の中でその溢れる想像力を発揮するものです。秩序の中では創作は生まれません。濁流に呑まれてこそ、真の作品が完成するのです」
急に早口となったモイを見て、なにやら語るものだと思った。争いを好む奴が文化を嗜むものだろうかと疑問を持ったが、妙に熱の籠った口調が不思議と俺を引き付け、口は挟むことを許さず耳を傾けさせるのだった。
「そもそも、作品とは画一的なものではありません。それぞれの個性が、心が、魂が物語を紡ぎ、受け手の感情を揺さぶるのです。そのために書き手には人並み以上の経験と想像力が求められます。格式張った生活の中でそうした能力が果たして培われるというのか。否。そんなわけがありません。時に破滅ともいえるような破綻した行動と思考が、芸術ともいえる名文を重ね一節の文章となるのです。その完成形が即ち作品。文学といわれる小説と成り得るのです。小説とはつまり人生の縮図。いかにして生きて、そして死ぬかを象った玉条の真言なのです。お分かりですか石田さん?」
「知らんな。読んで面白ければいいだろう」
「……」
閉口したモイはまったく呆れたといったような顔をして(マシンにしているので実際表情は分からないのだが)一息をついた。いい気味だと思った。
面白い論舌であったが、独りよがりの価値観を共有されても共感などできるわけがない。そもそも読み手に寄り添っての作品ではないか。それを心だの、魂だのと、なんとも身勝手なものだ。個人の思いの丈をそのまま書いた文章など三文小説もいいところである。チラシの裏にでも書いていればいい。
……もしかして、俺もその身勝手により、この星を変えてしまうのではないだろうか。
ふと、そんな考えが浮かび、恐ろしくなった。
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