戦禍、再び……5

 バグが目的地へと到着したのは朝陽が上がり切る前である。そこは半壊の家屋や整備されていない道が敷かれた荒廃した集落で、辺りからは腐臭が漂い、小型の害獣や害虫が至る所に住みついている衛生観念などまるでない病魔の巣窟のような場所だった。


 バグ達はその魔境をさらに進み、最奥にある(まだまともな)建物に入ると、「今戻った」と、誰かに言うのであった。




「お待ちしておりました」



 現れたのはバグと同じく、齢五十代近くと思われる男である。

 彼は腰が大きく曲がり足も引きずっている。袖やら裾の間からから見える痛ましい傷跡が見え、障害が先天的なものではないという事が窺える。



「住民は全員集落へと渡った。改めて礼を言う」


「お気になさらず。次は、こちらの無理を聞いていただく番でございますから」


「……そうだな。だが、俺とてホルストの暴虐は許せん。此度の戦いは、こちらの意思でもあるという事を伝えておこう」


「左様でございますか。いや、万事にあって公平を良しとする管理官様らしいですな」


「その肩書は二十年以上前に捨てている」


「そうでしたな。失礼いたしました」




 二人は互いに顔を知っているようで、どのような仲なのか気になった俺はジョンに頼んで過去の映像を確認する事にした。





 バグがこの男と知り合ったのは、彼がまだホルストにいた頃である。


 当時、一部の領土と農漁業を管理していたバグの元に一人の下級民がやってきたこう言った。


「近日中、私と私に賛同するものが脱します故、どうかお力添えをお願いできませんでしょうか」


 明け透けにものを言う人間にバグは内心仰天した。脱走企てなど拷問確実であるし、下手をすれば話を聞かされたバグまで罪に問われかねない事案である。


「……賢士である俺に大胆な発言を臆面もなく向けるその度胸は認めてやる。だが、もう少し先の事態を予想するために頭を回すべきだな。俺がはいそうですかと協力すると思うか?」


 この時バグはホルスト脱出を控えていたため目立つ行動は控えたかったし、また、何者かが自分を陥れるために遣わした人間とも考えられるため、迂闊な受け答えは避けるべきだと考えていた。

 しかしそんな思惑など関係ないとばかりに下級民は続ける。


「私は思います。公明正大な管理官様が人を見捨てるばかりか、弱者を挫くような真似はすまいと考えます」


「何を根拠にそう述べる。周りからどのように見られているか知らんが、俺はホルストを第一に考えている。裏切りや脱走など見逃せぬし、許す事などできぬな」


 バグがそう拒絶すると下級民は一枚の犢皮紙ベラムを取り出して渡した。


「これは?」


 訝しみバグがベラムを紐解くと、そこにはホルストに住む人間の名が連ねられている。


「脱走者のリストです。どうか、ご確認ください」


「……」


「この者達は皆下級民であり、賢士や上級民に命じられ過酷な労働を強いられております。聡明な管理官様ならばご存知とは思いますが、低奴と呼ばれる階層が人の目を曇らせ、本来であれば湧き立つ、我々に対する不当な扱いへの怒りが抑え込まれてしまっております。私達はその怒りが暴発し、無益な血が流れる前にホルストを離れたいのです」


 バグは下級民の言を聞くと少し考え込み、改めてベラムを見返してから目を閉じた。記された名の中には彼も知る者が、搾取され、使役されている者がおり、思うところあったのだろう。



「……貴様、よもや俺を謀る奸者ではあるまいな?」


「管理官様を慕う者は多勢おります。貴方様を蔑めたとあっては、それらが全て敵となる。我が身が持ちません。特にもう一人の管理官様であるチェーン賢士が恐ろしゅうございます。下克上を望むにしても、もう少し安泰な道を選びましょう」


「それもそうだ。俺などはともかく、奴を敵に回せば容赦がないからな」


 ここにきてバグはようやく微笑を見せると下級民に着席をすすめ話を伺う事にした。



 下級民はカシオンといって普段は皮や骨の加工を行なっている職人であった。日に幾許かの小銭を稼ぎなんとか生きている有様で貧しい生活を余儀なくされていたが、生まれつきの善性から窮している人間を見捨てる事ができず、自らの生活を犠牲にしてでも貧者に施しを与える人間であった。

 それでも彼に不満はなかった。産まれた以上は程度の理不尽を受けるのも仕方なく、自然の摂理であると考えていた。それは彼が動物の死体を用いて道具を作るという、死と生に極めて近い仕事に身を置いていたためかもしれない。


 しかしある日その価値観に疑問が浮かぶようになる。

 彼は見たのだ。自分が施した相手が、いとも簡単に殺されていく現実を。



「道で寝ていたところを斬られてしまいました。賢士様が通られるのを阻んだためと後に聞いておりますが、何のことはない。ただのお戯れでしょう。その時の様子はまるで、子供がおもちゃで遊ぶように、楽しそうであらせられましたから」



 それ以来、カシオンは考えるようになる。確かに理不尽こそが世の理であろうが、それを常理としているホルストは何なのか。超自然的に発する蓋然性により死すのであればまだ納得はできる。しかし、強者として支配する存在というだけで人の命を思うがままにできるというのであればそれは傲慢なだけであり、わざわざ自分達が付き合ってやる必要はないのではないかと、そう巡らせるようになったのだ。



「それで、脱走を企てていると」



「左様でございます。声を掛けた下級民は皆口の固い物達でございますから、ご安心していただきたく存じます」


 真っ直ぐに相手を見据える両者の間には既に盟友ともいえるような空気が漂っていた。陰気陽気の違いこそあれ彼らの気質と気概には似た部分があり、それが融解して互いの気心を融和させたように思う。そして、バグもカシオンもそれとなく、心許せる存在となったのを察したような風であった。



「なるほど。貴様の言い分は分かった。いいだろう。助けよう。実のところ、俺はこの国を出るつもりだ。そこに同行するというのはどうだ」


 バグの申し出に対し、カシオンは感謝しながらもかぶりを振った。


「それでは管理官様にご迷惑をおかけします。我々は、我々だけの生活ができれば良いのです。故に、どうか脱走を見逃していただければと。更に欲をいうなら、幾らかの農具を持っていく事を許していただきたく……」


「……分かった。認めよう。好きにするがいい」


「大変寛大な御処置、ありがたく存じます……」



 こうしてカシオンとその一同は首尾よくホルストを脱しバグはそれを黙認したのであったが、問題ないその後であった。何をとち狂ったのか、カシオン一人だけがホルストに舞い戻って来たのである。


「私は脱走しましたが、生きていけませんでした。どうか、ご慈悲を賜りたく……」


 カシオンは皆で逃げ出したが自分以外は皆何かしらの理由で死んでしまったとわざわざ遺骨まで持って説明したのだが、これは虚偽であり、仲間を捜索させないための芝居であった。

 普段より加工業を営んでいたカシオンにかかれば獣の骨を人骨風に細工するなどわけない事であり、見る者のめを見事に欺いたのであった。結果、彼の言葉は真であるとされ、戻ってきた事で死刑は免れたが酷い責め苦に遭い、後天的な障害を残したのである。後にそれをしったバグは一人涙を流しながらカシオンに対して報いてやりたいと思っていたが、ホルスト脱出間際であったため断念せざるを得なかった。


 


 出会いは以上である。


 では、そのカシオンがなぜ劣悪な環境の集落にいるのか。それは、バグが先遣隊として上陸した時間まで遡る。

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