戦禍、再び……2

 チェーンとムカームの会談から一ヶ月。二国の同盟は正式に締結され交易が行われるようになった。

 ホルストの艦船が頻繁に入港するようになるとドーガの人心は乱れ不満が溜まっていた。元より逃走者の集まりなのだから当然ではあるが、なによりチェーンがホルストとの国交を良しとした事に疑念を持つ人間が多く見られた。

 彼らの大半はチェーンの傲慢ともいえる果断な為人に惹かれて今日まで従ってきたわけであるが、ホルストへ降るかのような決断をしたとあっては竜頭蛇尾も甚だしいと嘆く者も少なくなかった。また、共に船を駆った者達ばかりでなくその下の世代にまで不信感は蔓延し、落胆、憤怒、悲観の情が入り乱れ、混沌の様相を見せていたのであった。

 チェーンの判断そのものについては情勢を鑑みれば無理のない事であるとの理解もあり、彼自身の優れた統治能力もあって急激に信頼が損なわれるといった事はなかったのだが、チェーンの求心力は確実に失われつつあるのは明らかであった。しばし時間を要するが、その軋轢が表面化する時、ドーガのあり方は大きく変わる事となる。






「それでは、ロングアイランドとタフマン。并びに軍船12隻とその船員。確かにお貸しいたします」


 ムカームは約款の書かれた皮をチェーンに渡してそう述べた。この時代、未だ紙は発明されておらず、文書はパーチメントにて作成される。


「結構。それでは、一か月後のこの時間、本格的に賊の住処探索を開始する。それまでは貴公らにも訓練にも付き合ってもらうぞ」


 チェーンが一か月の間を置いたのは大陸から運輸されるホルスト艦隊用の物資補充や実戦を想定した訓練による連携強化を図りたかった他、ムカームの本心をある程度掴んでおきたかったからである。

 先に行われたロングアイランドでの会談においてチェーンはムカームに直感めいた疑義を抱いていた。あまりに都合のいい内容と、重なる無礼に対し咎める事もせず話を進めていった事が彼には不可解であり、次のような事を考えさせていたのだ。


 もしホルストが本当に争いを好まず進出のみを目的としているのであれば、わざわざ軍艦など貸さずとも金や食料。鉱物資源などの貿易で交渉してくるはずではないか。如何に強力とはいえ、一度戦闘となれば轟沈する危険があるにも関わらず、虎の子の最新鋭艦を貸すなど正気の沙汰ではない。よしんば貸したとして、その代償が中継地点の間借りなどでは釣り合いがとれん。ムカームの奴はさも対等のように話をしたが、軍事機密の塊のような物を他国に渡すなどまずありえない話だ。それにあの正体不明の敵が、大陸に進出してこないとも限らない。負ける事はないとはいえ、確実に被害は出る。それも大規模なものだ。そのリスクを考えると、無益な戦闘を避けたいというムカームの言葉には矛盾が生じる。もしかしたらその矛盾こそに、奴の真意が隠されているのではないか。それはつまり、ムカームがこちらとあの敵との戦争に乗じ、こちらを策に嵌めようとしているのではないか。



 また、チェーンが抱いたその疑念は、ムカーム自身が語った言葉からも大きく膨らむ事となる。


「本国では所属不明艦の本拠地を突き止めて強硬手段に出た方が早いという暴論が出ていましてね。それを宥めるのに苦労しましたよ」


「……」


 チェーンはその言葉を聞いた瞬間押し黙り考えを巡らせる。



 そうだ。その方が早いし実入りが多い。なぜそうしないのか。何より、なぜ他国へ艦隊を貸し与えるのか。奴らが自分達で戦う事と如何なる違いがある。確かに同盟を組めば一艦隊温存できるだろうが、むしろ、相手があのレベルの艦であれば助力などなく、こちらに貸し出す一艦隊のみで殲滅できるのではあるまいか。敵の数も戦術も未だ藪の中ではあるが、それはわざわざ俺達と手を組むにしたって同じ事。いや、そうとも言い切れんか。ムカームは奴らが逃げていった方角を見ているはずなのだから、あの高速艦を使って探索すればいいだけの話だ。補給線は伸びるが、時期さえ誤らなければ進行は可能だろう。そこから敵の本土さえ捕捉してしまえば、後は包囲殲滅なり投降勧告なりして領土を手中に収めればいい。それをしないとなると、奴らの狙いは……




 その閃きが決して杞憂ではない事を彼は分かっていた。しかし今更どうする事もできなかったし、強大な戦力を用いることで実行可能な短期決戦の誘惑を捨てきれなかった。

 主戦を唱える多数のドーガ国民の感情は激流のように留めどなく狂気の手前まで達しており、もはや引き返す事などできない段階にまできてしまっていた。この状態が長引けば治安維持は勿論、国営そのものが立ち行かなくなる可能性も大いにあり、チェーンは早急に対処を行いたかったのである。




 あるいは暴発でもさせて、止む無くという体で鎮圧し独裁を敷くのも手か……




 チェーンの思想はある意味合理的ではあったが、それは彼の主義や矜恃に反する姑息な、というより陰険なものであり、瞬間的に自己嫌悪と自嘲とが入り混じったニヒルな嗤音を鳴らしたのだった。




「……いかんな」


「いかがなさいましたか?」


「気にせんでくれ。ただの気の迷いだ」


「……」



 ムカームは少し考えるような素振りを見せたが、彼の部下に呼ばれたため結局何も語らずチェーンと別れた。一人となったチェーンは港に浮かぶロングアイランドを見上げ、ドーガと自分の行く末を夢想するのであったが、その瞳に映る未来は決して、輝かしい栄華ではなかったであろう。

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