ツィタ文明

 ところでホルストから脱したのはテーケーの率いる犯罪者集団ばかりではない。彼らが落ち延び独自開拓を開くうちに、実に数多くの市民が脱ホルと洒落込むようになっていった。


 ホルストの道徳から逸脱した階級主義はますますと横暴となり市民の反発も見られるようになったのだが、当然のように反徒は容赦なく断罪され惨たらしい死に様を晒される。が、それが反逆の魂を磨く事となり、暴力組織と成り下がった国家に見切りをつけた市民達は戦いは継続と数だよと一斉に暴動を起こしたり政府批判を論じたりして収拾が不能の事態に発展。美しく青きホルストはアナーキリズムが横行するカオスの都と相成ったのである。

 しかしそうなったらなったでやはり弱者が割を食うようにできているのが世の不条理。暴徒と化した市民は女子供や障害者などを暴力により支配するという愚劣に手を染めるのであった。右も左も地獄と化した社会に対し、「どうせ死ぬなら」と自爆覚悟で反抗する者もいれば、逐電に出る者もいる。だが、いずれを選んだとしても、残念ながらとっ捕まってブチ殺しに遭うか、途中見つかりその場で殺されたり送還され惨い仕打ちを受けたりのたれ死んだりとか、悲惨極まりない末路を辿る者が多数であった。中にはテーケー達の村に逃げ延びたり、自分達で自給自足に成功した集団もない事はないが稀である。また、そのテーケー達であるが、無論彼らを迎え入れるも一つの懸念を抱かざるを得なかった。「やって来るのが、脱走者ばかりならいいのだが」と。

 その懸念は近い将来において現実として頭を悩ませる事となるが、これは後に記す。


 さて。脱走者の大半は中級、下級国民であったが(低奴は自立できない者や身体を制限された者が多くそれほど数はいなかった)、ホルストに対して謀反を抱くのは彼らばかりではなかった。極少数ではあるが、賢士の中にも傍若たる制度を嫌悪する人間もいたのである。ドーシックはその内の一人であり、被差別国民や脱走希望者を導いた存在である。


 ドーシックは賢士として生まれたが肩身の狭い思いをしていた。というのも、彼は賢士の中でもハト派の民主的平和主義者であり、体制派と真逆の主張を叫んでいたからである。平民庶民への差別を咎め、低奴制の撤廃を求め日夜活動していた。

 ドーシックが多数に与せず賛同者皆無であっても民主運動を行なったのは、彼の家系に起因する。彼の父もその父も、そのまた父もその父も代々と平等主義を訴えていたのだが、その血の逆行により辿り着く先には、なんとあのミキノスがいるのであった。


 シャーグウが陥落した日。ミキノスはアミークスの集落にて今後の展望を考えていた。

 アミークスが勝つにしろアミストラルピテクスが勝つにしろ、その先にある終戦の算段を立てねばならなかった。アミークスが勝てばアミストラルピテクスの処遇をどうするか。彼らがアミークスにしてきたように尊厳を奪い使役するなどあってはならない事。しかし、遺恨なしとして放っても置けないし、そもそもカイウスをはじめとしたアミークスが納得しない。落とし所を明確にする必要がある。逆にアミークスが負けた場合、速やかに撤退し再起を図らねばならない。逃走の経路と準備はできていたが、血に酔ったアミークスに戦略的撤退の意義と意味を説かねばならず、これもまた骨の折れる仕事であった。


「幾らか考えたかて、一個のアクシデントでご破算になってまうんやけどなぁ」


 中々煮詰まらぬ案を自棄的に笑うミキノスであったが、悲しいかなその通りとなってしまう。部屋で一匹思案していると、妙に静かな事に気付き外を見る。目に映るのは住処のみとなった集落。影も形もすっかりと、アミークスの姿が、生きていたという痕跡が、まるごと消えてしまっていたのだ。


「なんやこれ……」


 しばし呆然としていたミキノスは混乱するだけ混乱すると狂ったように笑い、全てを諦めた風に、ノコノコと何食わぬ顔をしてアミストラルピテクスの集落へと帰参したのであった。

 それから彼は能力の高さから事後処理に必要であったため行方を眩ませた件は不問となりそれなりの地位にも就いたのだが、周囲からの目は冷ややかで、晩年はとうとう自殺するまで追い込まれてしまった。一応の断りをいれるが、それは絶望からではなく政治的な判断によるものであった事を述べておく。


 ミキノスの博愛主義は死ぬまで潰えず、自分の子供達にこう言って聞かせるのだった。


「犠牲の名のもとに得られる幸福なんざニセモンや。弱い者ら、虐げられとる者らが不孝になったらアカン。そんでそれを見とるだけなのもアカン。理不尽に対しては声を出し、行動で示さな自分もニセモンになってまう」


 カイウスに言われた言葉が余程その身と心を縛ったのか、ミキノスは最後の最後まで弱者救済のために奔走した。その姿を見た子供らもそれを正義と信じ、父と同じように平和活動に殉じ、その子も、また次の子も同じように狂信と生涯をともにし、死を飾ったのであった。そしてドーシックの代となりとうとう本格的な民衆扇動が行われ、ついには市民を連れて逃亡を図るまでに至ったというわけである。


 俺がどうして扇動などと口を悪くするのかといえば、そうしたものについていく民衆など揃いも揃ってろくでもないし、そのろくでなしを率いる人間はもっとろくでもないからに他ならない。考えなしに甘言に踊らされ絵空事ばかりを夢見るような奴は己の腹さえ満たせればそれで満足するような輩であり、満たせねば文句ばかりを言って他を責める。そのくせ自分達は何もしようとせずに求めるばかりなのだから救いようがない。さらにそいつらを煽って成り上がる奴は目も当てられない愚物に他ならないのである。初めはその行動も真に弱者救済を思っての事かもしれない。しかし、先に述べたような、口を開けば飯と水が入ってくると思っているような連中の社会構成に秩序と統率を施こうと思うと確実に抑制、抑圧が必要となる。もし最初の人間があらゆる問題を排斥し奇跡的な統治を見せ諭してもその次の代では必ず綻びが生まれ、十も代を数えぬうちに滅びるか独裁が完成するのだ。それを計算に入れぬ平和や平等など欺瞞以外の何者でもない。ただの偽善である。


 ドーシックが弱者ばかりを逃すのであればまだ手はあったかもしれないが、彼はホルストで国難で立場を追われた上級国民も相当数逃避に参加させた。つまり、先に述べたようなろくでなしがわんさかと存在していたのだ。彼らは口ではドーシックの思想に賛同すると述べていたが、それがメッキである事は明らかである。ドーシックの方でもそんな事は分かってはいるが、それでも彼らを連れて行ったのはホルストからの追手があった際の迎撃要員と、落ち延びた先での人手を欲したからで、つまるところ、自分一人では弱者を守れぬと判断し、軋轢覚悟で迎え入れたにすぎなかった。その結果が未来にどのような影を落とすか考えもせず。



 ドーシック達はウピロダ川を背に山と谷を超え道なき道を進んだ。あえて困難な道程を選んだのは追撃隊から身を躱しやすくするためと、正面きっての戦闘を地の利を生かして可能な限り回避するためであった。結果その策が功を奏し衝突は避けられたのだが、元上級国民は疲れただの足が痛いだのと不満たらたらであった。


 ともあれホルストの追撃を免れ犠牲者もなく逃走に成功したドーシック一同はとある山岳地帯に居住する。これまで超えてきた山谷が天然の要塞となり、また高所からの監視も行き届くため、隠れ住むには都合がよかった。


 ドーシックはそこをバーツィットと名付けた。テーケーが見つけた古代遺跡には、ツィタと記された土地である。

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