猿人、大地に立つ8

 しかし長の言うアミストラルピテクスの武器に対抗する手段のアテとは如何なるものか。それは、彼が招かれた長の部屋にて判明する。


「……個室とは、進んどりゃーせる」


「まぁにゃ」


 アミークスは群れで生活するため単独行動するのは珍しい。個室など本来は存在しない文化であり、アミストラルピテクスの伝来によりようやく知識階級の個体が採用するくらいであった。したがって、アミストラルピテクスが未だ足を伸ばしていないこの集落ではそうした文化があるのは不自然である。


「しかし、なんでわざわざ部屋に入れてくだすったんで? 話ならどこでもできましょーに」


 やや訝しむ節が見えるのは、この逸れアミークスがその不自然さ、異様さに気付いたからであろう。何かあると、そう読んでいるように思える。


「よろし。そんじゃ、本題に入ろみゃーか。さっき話した、向こうさんの武器に対抗する策についてだみゃあ」


 そう言うと長は二度、両手を打ち鳴らすと、部屋の入り口から一つの影が現れた。それは体毛薄く中肉質の体躯を持った二足歩行の生物。アミークスと似ているようで非なる姿。何者であるから明らか。アミストラルピテクスである。


「な、なんみゃあ! これはどういうこっちゃ!」


 驚く逸れアミークス。無理もない。復讐すべき種がそこにいるのだ。彼の血が一挙に熱を持ち始めたのが分かる。臨戦体制が秒で整ったのだ。


「落ち着きんさい。確かにこいつはおみぁさんの集落を滅ぼしたやつらの仲間かも知れんが、ここにやって来たんのはもっと前だでよ。関係はないっちゃ」


「ない事ないっちゃ! こいつらはワシらを虐げとったんだで! 長! 殺させてくれ!」


「ちょ、待ってちょーよ。そんないきなり……」


「いいや待てんぎゃあ! ワシャは一匹たりとも残さず殺すと誓ったんだて!」


「何を言いらっせる。ここでこいつ殺したら、あんたの仇取れんようになってまうがね」


「……どういう事みぁあ!?」


「ワシが言った、奴らに対抗できるアテというのはこいつのこっちゃ。ワシらと違い、頭が回って器用だでよ。きっと何か対策を思いつくと思ったんだみゃあ。それを殺すとなりゃ、お前さんが言うとらせった問題が解決できみゃー」


「し、しかし……」


 荒れる場。それを見て、アミストラルピテクスは静かに口を開いた。


「すまん。確かに、あんたらには辛い思いをさせた。全てワイらの責任やさかい。せやけど、殺すのはちょっと待ってくれへんやろか」


 殊勝な言葉に思わずたじろぐ逸れアミークス。それを見たアミストラルピテクスは、「話だけでも聞いてほしい」と、自身の身の上を話すのだった。



 このアミークスがムリランドよりやって来たのは一番最後であった。

 彼は保守的であり島に残ろうかと最後まで悩んでいたが、崩れゆく自然の予兆を察して脱出を決意。駆け込みで船に乗り込んだという(正直に話せば大陸に夢中でムリランドの古代自然の管理を怠っていた)。

 そして到着早々目にしたのがアミストラルピテクス達の支配である。歪な階級社会と虐げられるアミークス達を見て失望と怒りを覚え、個体の一匹に詰め寄ったとの事だった。


「なんやこの有り様は! なんで原住民を虐げんねん!」


「そらお前、あいつらがアホやからや」


「そんな言い方あるかい! あいつらかて生きとんのやぞ!」


「なんやおどれ。甘っちょろい事言いよるなぁ。世の中勝つか負けるか。奪うか奪われるかや。平和ボケなんぞしとれるかい。だいたいなぁ。そないな事言うたら、ワイらかて生きとるんやで。生きるためにやっとる事や」


「アホな! そないな事せぇへんでも十分やってけるやろ!」


「いいやでけへん。この世界はな。やるかやられるかなんや。ワイらかてそや。勝ったからこそ今があるんや。あの島でもせやったやろ。ジジババ世代が何とかして猿を殺したからこそ、こうしてお天とさんを見る事ができるんやで」


「そんなもん……極論やないか!」


「極論で結構。ええかぁおどれよ。生きるゆうんはなぁ。たらればはないねん。常に結果だけが残るんや。情に絆され、恩をかけて寝首をかかれるなんて事もあるかも知れへん。例えなかったとしても、それを測定して生きていかんと話にならん。得体の知れんもんに頼ったり信じたりして、結果死にましたなんてのはオチとしちゃ最低。そうならんよう、極限まで考えにゃ、しようないんや。な? 分かるやろ? おどれもワイらの仲間なんやから」






 その言葉に返す意気を彼は持っていなかった。内心、ギクリとした思ったとさえ口にした。



「そんでなぁ。またその後に言われた事が心に刺さってなぁ。"おどれかて、あいつらを下に見とるから同情なんぞしよるんや。ベクトルこそ違えど、元は一緒。同じ穴のむじなやさかい。ええかっこするもんやないで"ってなぁ。正直、何も言い返せへんかった。そんな事ない。ワイは本気でアカンと思っとる。そう考えとるはずなのに、喉から言葉が出てこぉへん。それが悔しゅうて悔しゅうてのぉ。ともかく、いてもたってもいられず逃げ出した結果、ここに辿り着いて養ってもらっとるちゅうこっちゃ」


「……」


「信じてくれとは言わん。せやけど、ワイはあんたらの力になりたいんや。その後やったらどうなってもかめへん。煮るなり焼くなり好きにしてくれてええ。だから……」


「だから、あちらさんを殺す手伝いをしてくれるんでみゃあか?」


「……!」


「なるほど分かった。確かにおみゃあさんは甘い。助けたい助けたい言っとりゃあせるけんども。そりゃあ自分が気持ちよーなりたいだけじゃありゃせんかね」


「そ、そんな事は……」


「そんな事ないっちゅうじゃ、どうしてその場で助けようとしてくれんかっちゃ? おみゃあさんが一言でも声をかけてくれたら、あちらさんに意見してくれたら、もちっと都合よぉなっとたよ」


「……」


「……すまん」


「おみゃあさんに謝ってもらっても仕方ないっちゃ」


 アミストラルピテクスは心痛な面持ちでアミークスを見る。それに対して、逸れアミークはこう言った。


「ただ、殺す気は失せた」


 まるで諦観したような、くうを見るような目をしていた。この時彼が何を考え何を思ったのかは定かではない。しかし、その心中には複雑な、絡まった糸のような逡巡があったのは確かであろう。


「……そんじゃあ」


「頼むでよ。そん変わり、きっちりやらんかったら許さんでよ」


「……おおきに」


 アミストラルピテクスは頭を垂れて謝意を述べた。その言葉、姿勢には偽りなく、彼の真心が、心の底に垣間見える魂の揺らめきが溢れ出しているような気がした。


「そんじゃ、ワシはおいとまさせてもらうでみゃあ」


「……待ってくれんか」


「……まだ用があるみゃあ?」


「名前……」


「名前?」


「せや。ワシに、あんたの名前を付けさせてくれんか?」


 アミークには名前をつける文化はなかった。アミストラルピテクスの伝来により概念は知っていたが、彼らは個体を識別する事に意味を見出していなかったため定着はしなかった。


「……好きにするっちゃ」


「ほんまか!? あんがとさん! せやな……ラインハルトは……仰々しいし……ウルリッヒは歳不相応……ジークフリードは……うぅむ…………! カイウス……カイウス。カイウス! よっしゃ! カイウス! カイウスなんてどや!?」


「何でもいいっちゃ。好きに呼んでちょーだい」


「ならお前さんは今日からカイウスや! 万歳! カイウス万歳! 万歳!」


 こうしてカイウスと名付けられた逸れアミークとその他面々は、打倒アミストラルピテクスのために動くのであった。

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