猿人、大地に立つ6
そしてとうとう臨界点。暴動。起こるべくして起きる。
「もう我慢ならんみゃあ!」
アミークスの叫びがこだまし、同時に鮮血の花が咲いていた。横たわるはアミストラルピテクスとアミークスの裂死体。そこに立つは一匹のアミークス。以前、姿を消したアミークスと共にいた個体である。こいつが起こしたのだ。とうとうやったのだ。叛逆を、戦いを!
事の発端こうである。アミークスの個体が一匹で雪掻きをしていたのだが、そこにアミストラルピテクスが通り掛かり進捗の遅さを責めた。それだけならまだよかったのだが、本来二匹一組で作業に当たるところなぜ一匹しかいないのかと、帯同していた知的階級のアミークスが咎めたのである。
「おみゃあさん。なんで単独でやっとりゃーせる。整備業はバディ制だみゃ」
「……分かりゃーせん」
「分かりゃん? なんで分かりゃん。おみゃあさんのバディの事が何で分からんちゃ」
「……」
「……何とか言いさらせ!」
暴力。手にした杖での殴打。誇りも矜恃も忘れた、道具を用いての攻撃。その光景は既に日常になっていた。アミークスの精神は、ほぼアミストラルピテクスの手中にあったのだ。
「まぁまぁ。待ったらんかいな」
そのアミストラルピテクスが割って入る。しかしそれは、当然善意からではない。
「おらんなったもんはしゃあない。分からんいうんもまぁええやろ。けどな。ルールはルールや。それを破れば、ルールによって罰せられなあかん。それは分かるか?」
「……」
「何ぞ言わんかいワレェ!」
恫喝。恐怖を背景にした一方的な関係。両者の関係を鏡写しにしたような、歪な繋がり。
「存じてりゃーす……」
アミークスは屈し、口を開いた。そうせざるを得なかったのだ。この個体には、番と子がいるのだから。
「分かるか。なら、ええんや」
アミストラルピテクスはニコリと笑ってアミークスの肩を叩く。
「で、肝心なのはルールを破った者が半分おらんという点や。あんさんと、それから何処ぞへ消えたアホタレ。両方罰せな不完全。ルールが守られへん。これじゃ、真面目にやっとる他の者に示しがつかん」
「……」
「本来なら逃げた奴の嫁はんと
「……何を仰りてぇーんす?」
「消えた奴の罰。おどれの家族に背負ってもらうで」
口角が上がった。先までの作り笑顔ではない。獲物を狩る時に見せる、動物的表情である。
「そんな! ちょっと待ってちょーよ! 家族は関係ないでみゃーか! やるならワシだけにしてちょーよ!」
「何を抜かしとんじゃ。まったく頭悪いのぉ……言うたやろ。おどれだけじゃ罰の数が浮つく。ええか? 雨の数だけ池ができるんじゃ。それを覆すのは曲がりならん。キッチリと精算してもらう。それがルールやさかいにな」
まるで借金取りの文句である。絶望に染まるアミークスの顔とは対照的に、アミストラルピテクスと知的階級は嘲笑。集まる同情の視線。しかし助ける者はいない。心まで支配されてしまった動物が主人を吠え立てるなどできるはずがないのだ。まさに腑抜け。家畜と化した獣である。
だが忘れてはならない。狂犬は存在する。縛れない自由意思を持つ個体が、いざとなれば手どころか喉元を食いちぎるのもわけはないのない捕縛不可能な獣が、絶対にいるのだ。
「やってやるっちゃ!」
一瞬だった。されど、間合いを詰め、相手のの肩から腹までを切り裂くまでには、瞬き程の余裕があれば十分であった。アミークスの獣が、アミストラルピテクスを捉えたのだ。
「……!」
鮮血。絶叫。悲鳴。スプラッタを構成する要素がここに混ざり、完成。変哲のない差別社会に一線の亀裂が走った。
「おみゃ……何やっとんだぎゃあ!」
知的階級のアミークスが叫んだ。それは怒りというより、恐怖に染まった声であった。
「うるさいたーけ! もう知りゃん! おみゃも殺したる!」
窮鼠猫を噛むというが、追い詰められた猛獣の場合、果たして噛むだけで済むのだろうか。
否。
済むはずがない。済ますはずがない。
「もう知りゃん! もう知りゃんっちゃ! 全部もう知りゃん! 知りゃん知りゃん! 許せん!」
「ま、待っちゃ! 話しゃ、話しゃ分かるっちゃ!」
「知りゃん知りゃん知りゃん知りゃん知りゃん! 知りゃんっちゃ! 知りゃんっちゃ!」
斬!
斬!
斬!
斬!
斬!
五爪一閃! 空間さえ引き裂くような烈斬! 断ち切られた両体から血の雨が噴き出す! まさに惨劇! 凶行! しかし! これは……!
「……!」
獣の咆哮がこだまする。血の雨は上がり、地獄の虹がかかる頃、周囲で凄んでいたアミークス達は皆吠え、目の色を変えた。
狼煙が上がったのだ。
支配されていた、差別されていた、抑圧されていた者どもの、戦いの狼煙が!
「えらい事になりましたねぇ。これはもう、ないですね。戦争しか。いやぁ、石田さんの言う通りになりました。さすがですなぁ」
軽薄な声が頭痛に響いた。対岸の火事を愉しめる者はまったく幸せである。
「うるさい。こんな結果は望んじゃいなかったんだ。俺はあくまで平和的な解決をしてほしかった。話し合いなりストライキなりでさぁ」
「石田さん。そんなものは欺瞞。まやかしです。動物なんてのはね。血が争いを求めているんですよ。争って争って、争い尽して、初めて残るべく種が残る。生物はそれを望んでいるんです。種族なんて関係なく、皆欲しているんです。強い、滅びる事のない生物を。新たなるステージに到達する生物を」
「……超人論か。そんなものは、狂人の世迷言だ」
「なるほどそういう捉え方もある。しかし、どうでしょうねぇ。ま、事の是非は程なく分かるでしょう」
「二種間での戦いでか?」
俺がそう聞くと、バウバウは「いえいえ」とかぶりを振って、笑顔を見せた。
「この星が、死ぬ頃。ですかね」
「……」
途方もない話であったが、何故だか俺はバウバウの言葉が正しいような気がしてしまった。アミークスとアミストラルピテクス。いずれも望んで争っているはずがないのに、何故だろうか、俺は、二種が戦うのは、運命であるように思えたのだ。
何故かは分からない。それこそ、血の意思なのかもしれない。俺の身体に流れる、生物の血の……
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