猿人、大地に立つ5
問題が起こったのはアミストラルピテクスの先陣上陸から三つ目の冬が訪れた頃だった。
「やってりゃーせん! 割りに合わんがね!」
そう叫ぶアミークスの一匹は雪かき道具を放り出して地団駄を踏んだ。
「そんな事言ってもよぉ。働かんと米石(流通している硬貨の単位である)貰われへんし、しょーないに」
「それよ。ワシら別に、そんなもんなしにずっと生活できとったのによぉ。けったいな事になってしもうたみゃー。だいたいあいつはが来てからおかしゅうなったんがね。仲間の中では妙な音出したり土やら壁に色つけたり掘ったりする輩も出てくるしよ。それをあいつら褒めとりゃーせる。たわけでねーか。ほんで一番納得いかんのが肉の事よ。なんでワシらが獲ってきたんにあいつらが全部管理しとるんちゃ。ほいでそれを食べる為には米石払わないかん。おまけに管理費言うて、肉預けるのにも米石をわたしゃーならん。ワシらの肉なのにおかしいっちゃ。だいたい、獲物が減ってきたのもあいつらが来てから急にだで。なんぞやらかしとるんじゃみゃーか?」
労働階級者の不満である。
彼が言うように、狩りしかできないアミークスはもっぱら肉体労働を強制させられていた。当初こそ互いに汗を流し新たな文化を育んでいた両者であったが時の経過とともに徐々に序列と優劣がつくようになった。アミストラルピテクスを頂点に、知恵のある個体。絵、音楽を創れる個体。農業を行う個体。製造技術のある個体。狩りを行う個体の順に位が高くなり、最底辺の狩りを行う個体は暇な時間に肉体労働的雑務や清掃などをやらされるようになった。それを取り決めたのは無論、アミストラルピテクスである。
これがまったく下心なければ渋々ながらもアミークスは従ったであろう。が、アミストラルピテクス達は実のところ欲の皮が突っ張り始めていたのだった。これも、始めは助けられたという意識が強く相互助力となるよう整備していたのだが、知能の低いアミークスと自分達を比較し傲るようになり、「これは騙くらかせるんちゃうか」との邪が働いて、悪知恵を働かせ策謀に勤しみ、あれよあれよと自らを特権階級に置いたのだった。アミストラルピテクスは基本的にアミークス達を単なる労働力として見るようになり、殊更何も生み出す事のできない狩猟特化型の個体を蔑むようになった。
アミストラルピテクスの狡猾な点はアミークス内においても明確な順序を確立したところであろう。士農工商から商を狩に変えたような順位づけは優越感や安心感を満たすのに大変有効である。特に、士に当たる個体に対しては
「やめた! やっとりゃーせん!」
文句を垂れる個体は雪かき道具をほっぽり出して地面に座り込んだ。雪がまだ積もっている大地に腰を下ろすとは、中々大胆である。
「とはいえ、このままじゃどうしようもないがね。獲物はおらんし、飯はあいつらに握られとる。おまけに他の奴らはワシらの味方なんぞしやーせん。どうにもならんみゃー」
一方の個体が諭すようにそう言うが、これは諦観であり本心ではない。この個体もまた、不満を持っているのは明らかで、声色に鬱屈とし燻った精神の淀みが含まれていた。
「……とろくさい!」
それを悟ったのか、座ったアミークスは激昂して立ち上がりどこぞへ去ってしまった。残された個体は溜息を吐き雪かきを続けながらも、納得いかぬという顔つきを崩さなかった。
「何やら不穏になってきましたねぇ」
そう言ってバウバウは俺にエナジードリンクを差し出してきた。相変わらず不思議な味で、舌に絡みつくような感じがした。
「うむ。これはまずい気がするな」
エナジードリンクを飲みながら頭を悩ます。嫌な予感を報せる虫の声がまったく鳴り止まないのだ。差別が始まってしまうなどまったくの予想外であり、どうしたものかと考えあぐねるも休むに似たり。打開する術思い付かず。俺はアミストラルピテクスとアミークスを見比べ唸り声を上げるばかりである。
「いっそどちらかを滅ぼしますか? そしたら悩みなく集中できますよ」
「馬鹿を言え。そんな事、できるものか」
バウバウの悪魔の囁きを倫理的判断で断ずるも、やや心動く。このまま不和が続けばきっと争いになる。互いが憎しみいつまで遺恨を残す事となるだろう。いや、もしかしたら、最後の一匹まで根絶やし種を絶滅させてしまうかも知れない。現にアミストラルピテクスはムリラを滅ぼしているのだ。大陸において、同じ事をやらないとする保証はない。
また、タイミングの悪い事にアミストラルピテクス達の第二陣が続々と大陸へと到着し始めたのであった。
先に居を構えていた先人のうち4匹は既に多夫にして子を産んでいたためあまり表立った動きはできなかったが、数が揃えば強行も可能である。腕力。筋力。歯牙において劣るアミストラルピテクスであったが、やはり知恵と工夫がある分アミークスよりも生物としての生存能力は一歩、二歩上であるし、何より戦略面では圧倒的な差がある。支配するのは、大変に容易なのだ。
「あいつらアホやで」
そんな中傷が当たり前のように飛び交う。
アミークスを軽視する風潮が蔓延するのに時間はかからなかった。
徒党を組んだアミストラルピテクス達は知識層以下のアミークス達を容赦なく虐げ使役した。それまで見せていた友好的な面が幻だったかのように非道に、邪悪に、アミークスを奴隷として利用したのだ。
この事態に際してアミークス側から反撥が出るのは当然である。皆口々に文句を述べ、アミストラルピテクス達に対して臆面もなく悪態をついた。が、しかし、それだけ。叛逆や謀反といった実力行使は皆無。誰一人として玉砕覚悟で戦うものはいない。これはやらないのではない。できないのである。
先述した通り、アミストラルピテクスはアミークスの中でも頭脳の発達した個体を上位に据えたのだが、この者達に恩恵として特別報酬を与え甘い汁を飲ませていた。大した労働もせず飯にありつけるとなればこれを手放す者はまずいない。知識階層の連中は今の地位を守ろうと必死となりアミストラルピテクスに従った。反体制派に対して、密告。暗殺。拷問。私刑。あらゆる手を用いて締め上げ、反抗の芽を摘んだのである。おまけに番と子供が強制的に御殿に詰められるという始末で、徹頭徹尾に自由と尊厳を奪われてしまったていた。まったく、醜悪な封建社会ではないか。
「いやぁ。実に愚か。実に人間らしい発展を遂げましたなぁ。素晴らしい。最高の見世物でございます」
バウバウはもはやその露悪さを隠そうともせずに嬉々として笑った。嫌な奴だ。絶対に友達にはなりたくない。
「しかし、こんなものは長くは続かんだろ。いずれ綻びが出る。絶対反旗を翻されこの圧政は打倒されるだろう。これは絶対だ。歴史が証明している」
俺は異星の善性を信じたかった。影すら掴めぬ正義という概念が、理不尽を圧倒すると疑わなかった。しかしそれが妄想の域を出ないという事実もまた疑いようがなかった。
「アステカは略奪の果てに滅亡しましたが」
「……確かにコンキスタドールじみてはいるな……」
そう。歴史とは残酷なものである。如何に道理が通らなくとも、滅ぶものは滅ぶのである。
「いずれにせよ、どちらかが絶滅するのは確定でしょうな」
「……救い難い」
なんとかせねばと思いはするが、どうしたものかと肩を落とす。答えは見えず、異星は未だ、混迷。
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