第33話 そしてこれからも

 思えば、最初にミューナのことを意識し始めたのは去年。クレアにやらされた組み手からだ。


 そのときはただの強い奴、だったのに。


 いつ恋心に代わったのだろう。

 

「ぬりゃああっ!」


 ライカの右拳がうなりをあげてミューナの端正な左頬へ向かう。ミューナはあえて拳を食らいながら、左腕でライカの右肘を極めながら絡め取る。右腕は肩から生えている一本の棒だと認識を切り替え、ライカはリングを蹴って前転。両足裏が星空を向いた瞬間、ミューナの顔の前に左掌を向け、


「──爆!」


 目くらまし程度の、光と破裂音を強めた爆発を起こす。

 この程度で手を離すとは思っていない。せめて拘束が少しでも緩めば、という期待を込めての術に、ミューナは猫のように驚いて手を離し、大きく距離を取った。


「え、あ、こらちょっ!」


 急に支えを失ったライカのからだは、当然顔面からリングに落下。ミューナが反撃に転じたときへの対処しか考えていなかったせいで受け身も取れなかった。


「へぶっ」


 無様な音を漏らすもライカはすぐに立ち上がって、すぐ目の前にあったミューナの右スネを無防備に喰らった。


「んごっ!」


 仰向けに、リングと水平に蹴り飛ばされるライカに影が落ちる。両手をひとつにして振りかぶり、しかし無表情なミューナだ。いやよくよく見れば、ほんのりとだが目元は緩み、口角がナノ単位であがっている。その表情を見れただけでもこの試合をやった甲斐があると思う。


「やあっ!」

「んのぉっ!」


 振り下ろされたミューナの両拳が、どうにか振り上げられたライカの右膝が互いに命中する。

 しかし互いに有効打にはならず、反動で弾けるように互いのからだは大きく離れた。ライカはリングを転がり、一瞬浮き上がったミューナは顔を上げ、もう一度上空へ。


「──轟!」


 突風というよりは押しつぶすような空気の固まりをぶつけられ、ライカは大の字にリングへ貼り付けられてしまう。


「こんの!」


 背中とリングの隙間に風を流し込んで滑るように横に逃げる。そこへ落雷。追撃が来ると予想済みだったライカは両手に溜め込んでいた精霊たちを術へ昇華。


「──雷!」


 目を灼く閃光。耳をつんざく雷鳴と激しい爆煙がリングを観客席までをも包み、遅れて発生した熱波が衝撃波をともなってそれらを吹き飛ばす。

 クレアを含めた観客全員がそちらに気を取られている間に、ふたりはリングの中央で拳を蹴りをぶつけあっていた。




「……まずいわね」


 実況席でマイクをオフにして、クレアはつぶやく。


「まずいってなにが?」


 イルミナもマイクをオフにして問いかける。しかし視線はライカに向けたままだ。


「ふたりが互角すぎて決着がつかないってこと」

「それは、困ったわね。もうこんな時間だし、表彰式もあるし、これ以上お客様を引き留めるのはちょっとよくないわね」


 名残惜しそうに返すとふたりはうなずき合い、クレアはマイクを握る。


『ふたりとも聞こえる? 聞こえて無くてもいいけど、あと五分で決着つけなさい。五分経ったら強制的に終わらせるからそのつもりで。はい、カウントスタート』


 いつも通りの淡々とした口調でリング上の告げ、次いで立ち上がって観客席へからだを向ける。


『えー、お客様にお伝えします。リングでは熱戦が続いていますが、いかんせん時間も時間です。なので誠に勝手ながら、この試合の残り時間をあと五分とさせていただきます。ご了承ください』


 言って頭を下げたが、観客席の誰もクレアに視線をやっていない。誰もがリング上のふたりに釘付けとなっている。


「あらあら。これじゃゴング鳴らしても誰にも聞こえないわね」


 苦笑するイルミナに、


「あーもう知らないからね。五分経ったら割り込んででも終わらせるんだから」


 半ば拗ねたようにクレアは実況席にふんぞり返った。


「もう好きにやりなさい。どっちにしても認めてあげるから」


 ふたりへの祝福は大歓声に呑まれて消えていった。

 唯一、あるいは耳ざとく耳にしたイルミナは、薄く笑むだけだった。




「ぬうりゃあああっ!」


 ライカが満面の笑みで拳を振るう。狙いは腹。渾身のレバーブローをミューナはライカの左頬を殴りつけることで中和しようと拳を放つ。相打ちではなく中和なのがこいつらしいとは思ったが、ライカは構わず拳を振り抜き、ミューナのフックを歯を食いしばって受ける。


「んぬぐっ!」


 奥歯が折れたのか噛み砕いたのかはわからないが、左奥歯がなくなった。だが構わない。ミューナはまだ拳の距離。膝が来た。右拳を握りなおし、膝頭へ放つ。砕けずとも弾いて防げればいい。


「せあああっ!」


 ミューナは膝蹴りを加速。弾かれたのはライカの拳。弾かれた勢いを使ってライカは大きく仰け反って膝蹴りを回避しつつ、振り抜かれたミューナの足に絡ませるように蹴りを放ち、振り上げる。


「んにゃっ?!」


 予想外の攻撃にミューナは驚き、対処が遅れ、背中からダウンしてしまう。


「せっ」


 蹴り上げた反動で一旦両手でリングに着地。ハンドスプリングでジャンプ。ようやく立ち上がったミューナへ、両足裏でのドロップキックへと移行、さらに、


「──巻!」


 足先から竜巻を発生させ、破壊力をあげる。

 ミューナは拳に雷を纏わせて竜巻の先端を殴りつける。


「ふううっ!」

「ふんんぬああああああっ!」


 竜巻に弾かれた雷のカケラがリングに飛び散り、剥がされていく竜巻が暴風を生み、観客席まで吹き荒れる。


「せありゃあっ!!」


 圧し勝ったのはライカ。ミューナの右腕を切り裂いて着地。まだ竜巻の残る右足でミューナの後頭部を狙った回し蹴りを放つ。右腕のダメージに反応が一瞬遅れたミューナは身構えることもできずに喰らい、吹き飛ぶ。


「っ!」


 リングの端ぎりぎりで手をつき、逆立ちしつつからだを捻って飛ばされた威力を相殺。その勢いで両足をリング端に立つ。


「──轟!」

「──雷!」


 先に術を放ったのはミューナ。突風でライカの接近を防ごうとしたが、ライカの雷は突風をかき分けるように進み、ミューナに直撃した。


「かはっ」


 全身を痙攣させ、漏らした吐息はうっすらと黒くなっている。

 たまらずクレアがマイクを握って叫ぶ。


『そこまで! 勝者、ライカ・アムトロン!』


 会場が大歓声に包まれ、崩れ落ちようとしたミューナのからだをライカは優しく抱き留め、「療」の術を展開。


「ありがとな。おまえじゃなかったらこんなチカラ出せなかった」

「さいごのライカ、ちょっと恐かった」

「クレアさまがあと五分とか言い出すからな」

「? そんなこと言ってたっけ?」

「なんだ。聞こえてなかったのか」


 自分でさえ聞こえたというのに。それだけ自分との試合に集中してくれたのだと思うと嬉しくなる。


「じゃあ、これからも、よろしくな」


 特に他意は無いのに耳元でささやくものだから、ミューナの顔は真っ赤にゆだってしまった。


「んだよ。もう」


 苦笑するしかなかった。

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