第34話 あと三分
ミューナとの激闘も束の間。一般部門のトーナメント優勝者への表彰式もつつがなく終わり、この年の立秋祭は閉幕した。
「あーーーー、やっっっっと終わったああああ」
大きく伸びをしながら、野獣の咆哮さながらにライカは叫ぶ。目の前には控え室という名のテント。テントとライカの間にはタオルを差し出すリーゲルトがいる。
「お、おかえりなさい。おつかれ、さま」
タオルを受け取って首にかけてライカはリーゲルトの頭を撫でる。
「ん。ありがとな。お前もただ見てるだけで疲れただろ」
「うん。ちょっと、ねむい」
へへ、と笑いながらながら目を擦るリーゲルトはいまにも倒れ込みそうにふらふらと揺れ、しょうがねーな、と背を向けてしゃがむ。恥ずかしさよりも眠気が勝ったリーゲルトは倒れ込むようにライカの背中にからだをあずけ、そのまますやすやと寝息をたててしまった。
「さ、て。帰って寝るか。腹は減ってるけど起きてからでいいか」
ひとまず寮へ帰ろうと決めたライカに、遠くからふたつの人影が近づいてくる。
「ライカさーん、お疲れ様ですー」
満面の笑みで手を振っているのがユーコ。その隣をシーナが穏やかな表情で歩み寄ってくる。
「どした。ふたりとも」
ライカの問いにふたりは目を合わせ、ややあってユーコが切り出した。
「ええと、そのまま言いますね。オリヴィアさんが、「どうせあいつ寝てるだろうから、簀巻きにでもなんでもして寮に引きずり戻しておいて」と」
たぶん、あいつ呼びじゃなくてくそ莫迦って呼んだんだろうな、と予想してライカは小さく笑い、こう返した。
「そのオリヴィアはどうしたよ」
う、とユーコはうめき、今度はシーナが言う。
「あいつのお守りはもうたくさん。あたしは街で宿取るけど、あたしのベッド使ったらぶん殴るから、と閉会式の最中にいなくなった」
今度こそ声を出して笑うライカ。実にあいつらしくて、その様がありありと目に浮かんで。だから殊更腹立たしく思うこともなく、リーゲルトを起こさないように空を見上げた。
「怒らないのか?」
「お前たちふたりを寄越しただけでもあいつなりの優しさだよ。でも、口にするのも、そういう雰囲気出しただけでも絶対ぶん殴ってくるからな」
冗談めかしてはいるが、言葉自体に偽りはないと感じたシーナは思わず吹き出してしまう。
「確かにそうだな。オリヴィアは猫のような優しさが根底にあると感じるよ」
だろ? と苦笑するライカに、ユーコが問いかける。
「ライカさんとオリヴィアさんて仲良さそうに見えますけど、幼なじみとかなんですか?」
んな? と変な声が出た。
オリヴィアと自分がそんな風に見えているのか、と思うのと同時に、自分とあいつの関係がひどく言葉にし辛いものだとも。
──あんのくそ莫迦はただのルームメイト。それだけ。
あいつならきっとそう言うだろうな、と結論づけてユーコの問いに答える。
「んにゃ。ちゃんと喋ったのは同じ班になってからだよ。学舎院で同期だったらしいけど、あたしは覚えてない」
「なのにそんなに……」
「一年半も一緒に暮らしてるんだ。お前だってオヒメサマやシーナのこと、わかるだろ?」
え、とシーナに視線をやる。うん、と微笑み返すシーナにユーコは満面の笑みを浮かべる。
「はい。分からないことや知らないこともたくさんありますけど、でも、なんとなくは、分かります」
な? と乱暴に笑ってライカは寮へと足を向ける。
「あ、わたしのベッド使ってください。荷物とかはわたしとシーナさんで運びますから」
「ん、悪い、助かる。荷物は頼む。正直きょうだけはベッドで寝たかったからな」
照れくさそうに笑うライカをふたりは静かに見送った。
* * *
通過儀礼、というものはとても大事なものだ。
入殿時点で卒業できるほどの実力があったライカたちでさえ、二年の修練を経てきょうの卒業試練を受けさせるほどに。
約束を果たすために試練を受けるディルマュラは別として、他の五人を含めたほぼ全ての修練生が、立秋祭の時点で卒業試練を免除できるレベルには達していた。
「ま、あんたたちぐらいの子ならいままでそれなりに居たし、あたしたちから見たら五十歩百歩なのよ」
オリヴィアを除く全ての修練生がこのクレアの言葉を聞いて発憤し、さらなる修練に身を費やし、きょうこの日を迎えた。
卒業試練は立秋祭同様、観客を入れて行う。
『きょうこの日を無事に迎えられたこと。なにより二年前に入殿した百二名の誰一人欠けることなく修了を迎えられたことにまず、深く深く感謝いたします』
立秋祭で使われたリングの中央でクレアはマイク片手に聴衆へ向けて言う。
『今期の修練生は、長い風の神殿の歴史の中でもはじめてのことばかりなんです。修練生の誰一人も欠けることがなかったこと、立秋祭のトーナメントをふたつに分けて、そのどちらもハイレベルな内容で大盛況に終わったこと』
ライカたちの試合は、確かに派手で見応えがあった。
しかし、並行して行われたトーナメントもまた見劣りするものではなかったと、一定の評価を得ている。
『ほんとうに滅多にないんです。脱落した子がひとりも出なかったのって』
嬉しそうに語るクレアだが、修練生たちの進路はそれぞれだ。
このままクレアが長を務める維穏院に配属されるもの。腕輪を外し、ただの事務方や裏方として神殿に従事するもの。
そして、神殿の一切から身を引き、王家などの家業を継ぐもの。
『これは身びいきだと言われるでしょうが、私の娘ミューナと、昨年の立秋祭でがんばってくれたライカ。そして私の婚約者のディルマュラ殿下の三人が中心となって他の子たちを発憤してくれたからだと思います』
こんな風に名指しで、しかも聴衆の前で褒めるなんて、クレアがどれだけ興奮しているのかが修練生たちにも伝わっていた。
『もっとも、本人たちは懸命に修練に励んでいただけでしょうけども』
くす、と笑ってみせると、『さあ!』とひと声いれて表情を引き締める。
『思い出話しはここまでです。私自身、百二名との組み手なんて初めてなので少し緊張しています。いちおう途中途中で休憩は挟むつもりですが、長丁場になることはご承知おきくださいませ』
言って深く深くお辞儀をするクレア。観客達からは暖かい拍手が送られると、ややからだを震わせながら唇を引き締め、鼻で息を吸い込む。
『じゃああんたたちさっさとやるわよ!』
ばっ、と右手を伸ばした先には花道と、そこに続く控え室がある。さすがに百二人全員を詰め込むわけにもいかず、東西それぞれに十人ずつが入って待機。あとは事前に決めた順番通りに控え室に入って試練を行う手はずだ。
ちなみに、せっかくだからと神殿への参道には屋台を並べており、小屋の順番待ちの、あるいは試練の終わった修練生たちが店番を行っている。
『一番手! ユカリ・セル・シャイナ!』
半ばやけくそのように名を呼ばれはしたが、ルイマ村のユカリは花道を軽やかに走り抜け、リングに入るや否やジャンプ。マイクを袂にしまったばかりのクレアめがけて稲妻のような蹴りを見舞った。
「おぉ。やるじゃない。奇襲もまた戦法。あの実直なあんたが、よくもまぁ」
ユカリからすればふいをついたつもりだった。
が、そんなものはクレアからすれば児戯にひとしく、軽々とユカリの右足首を掴んで阻止してしまう。
当然、ユカリに驚きは見られず、左足で掴んでいる手を蹴り飛ばして拘束から脱出。間合いを離して着地した。
「あたしだって、強くなる理由、たっぷりありますから!」
ユカリはこの卒業試練が終われば、念願叶ってルイマ村枝部への配属が決まった。
今後ライカたち、そして彼女と同じ班の者たちと会うことは、おそらく生涯、ない。
別れならもうとっくに済ませましたから、とユカリは晴れ晴れとした表情で拳を振るう。
彼女もまた、精霊たちと歩んでいく。
* * *
卒業試練、と銘打たれているものの、明確な合格基準は告知されていない。
通説には「一歩も動かずにいる試験官を半歩以上動かす」とされているが、それがどれだけ困難なことかは修練を一年も終えれば誰もが気付く。
それでも心折れずもう一年の修練を積み重ねられるのは、各々に譲れない目標があるから。先のユカリがそうであるように、神殿に入るということは己の願いを叶えることでもあるのだ。
『……はい、えー、いまので、えー……と、五十三人目、です。さすがに、疲れました』
へへへ、とだらしなく笑いながら、マイクを握るクレアはその場で大の字にぶっ倒れてしまう。
『えー、神殿長のイルミナが代わってお伝えします。ご覧の通りクレア・ロックミスト維穏院長が倒れてしまいましたので、回復も兼ねてここで十分間の休憩とさせていただきます。お手洗いなどはいつもどおり大量に用意してありますからご安心ください』
マイクを切るのと同時にイルミナはクレアに「療」の術を施す。
立秋祭と違って解説の役目のないイルミナは、こういった時のために花道脇の小屋に控えている。言うまでも無くライカが入る東側の小屋に、だ。
「いやもうなにも言わねぇけどよ」
「だ、だってどこにいたってマイクの音は拾えるわけですし? クレアがギブアップしたらわたしが試験官をやる手はずになってますし? だったらここにいても、」
いいよもう、とライカは手を振る。
小屋の入り口を覆う布を少しずらし、リングを見やる。
ようやく起き上がったクレアは、差し入れられた水をがぶ飲みして汗をタオルで拭っていた。
「ほんっとあのひとのスタミナすげぇな。あたしでも五人でやっとだったのに」
「術で底上げはしていますが、クレアは毎日の走り込みは絶対に欠かしていませんから」
「あんたは、少したるんでるんじゃないのか?」
いいつつ、むに、とイルミナの腹の肉をつまむライカ。
「ひゃんっ! なんでそんなこと!」
「あんたも神殿長なら、もう少し鍛錬しとけよ?」
「ライカに言われるまでもありません! わたしだってできる限りのことは!」
はいはい、と手を振って入り口の布をくぐる。
「あ、もう。まだ休憩時間は」
「準備運動だよ。あんたが見てるとやりづらいからな」
もう、とイルミナは手をかけていた布から離れ、袂から懐中時計を取り出し、休憩時間を確認する。
あと三分。
どうか、無事に終わりますように。
イルミナは願うことしかできなかった。
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