第20話 精霊たちの赦し

 きみは生まれが特殊だから、エルガートさまと直接接触するのは避けたほうがいいかもしれない。


 ラグリォスの集落からリーゲルトの幽閉されている小屋までの道中、ディルマュラはミューナにそう告げた。

 ミューナは「壁」向こうの世界からの亡命者。「壁」向こうの世界で精霊は観測されてない。そのため、こちらに来たばかりの──ちょうどライカと初めて顔を合わせた──頃は精霊たちとの対話に手間取っていた。


 だからもしエルガートさまと対峙することがあったら、きみは可能な限り援護を頼みたい。きみの歌なら、どんな困難にも打ち克てるだろうからね。

 ミューナはこくりと頷き、ディルマュラは破顔してこたえた。

 それがミューナがこの場にいない理由だった。


「ふっ!」


 色事に心を奪われていたから、では済まされないほどに鮮やかに、空中からのミューナの蹴りがエルガートの頬に命中した。

 

「がっ?!」


 混乱の色強く吹き飛ぶエルガートはそのまま丸太の壁にぶち当たり、ずるりと床に崩れ落ちる。


「ミューナ?!」


 驚いたのはディルマュラたちも同じ。


「援護。歌うよりはやいと思って」

「そうかも知れないけど、……でも、いまは礼を言っておこう。ありがとう」

「うん。もう隠れても意味ないから、ここで歌う」


 言い終えるが早いか、ミューナは独唱交響曲ソリス・シンフォニアを歌う。


「仕方ない。シーナ、ユーコ、覚悟を決めるんだ」


 ユーコはわずかに震えながら、シーナは決然と頷く。

 ありがとう、と返してディルマュラは一歩前へ。


「度重なる狼藉、エイヌの王女として、なにより腕輪を預かるものとして看過できません。故にエルガートさま。お覚悟を、なさいませ!」



 

 単純な戦闘能力の差だけ言えば、ユーコもシーナもミューナに劣る。これはふたりも認めているし、その差を少しでも埋めようと日々修練を重ねている。

 なのにミューナが後衛に回る理由は一点。ディルマュラたちがチームだからだ。

 

「せえっ!」


 シーナのハイキックがエルガートの顔面へ迫る。と同時にディルマュラがかかとを払う水面蹴りを打つ。速度も重さも十分に乗った頭部と足下への挟撃。それをエルガートは、事もなげに払いのけ、踏みつけた。


「せあああっ!」


 直上。

 後詰めのユーコが回転をたっぷり加えたかかと落としをエルガートの脳天へ叩き込む。

 しかし、ユーコのかかとが頭頂部に触れた刹那、エルガートは首を前に振る。直後、ユーコのからだは吹き飛んでいった。

 え、とふたりが驚いた直後、ふたりのからだが左右に吹き飛ぶ。


「っ?!」


 痛みは薄く驚きがつよいまま三人は吹き飛び、すぐさまからだを捻って体勢を戻して着地。吹き飛ばされたエネルギーをそのまま加速力へ反転してエルガートに飛びかかる。


「ぬるいぬるい」


 うっすら笑みを浮かべながら、エルガートは三方から迫る拳を蹴りを最小限の動きで躱し、直後に三人を吹き飛ばしていく。

 まただ。

 単純なパワー以外のもので自分たちは吹き飛ばされている。

 なにより、ラグリォスたちがやるような、発動までの時間を省略したような精霊術とは違う。


「ふたりとも! 合気道です!」


 叫んだのはシーナ。

 幼いころから、ディルマュラの護衛としても育てられてきた彼女は、祖先が残してきたあらゆる武術に精通している。それでも二度目まで判断が遅れたのは精霊術を行使している可能性を棄てきれなかったから。


「わかった。なら、やれることはひとつだ。ミューナ、頼む」


 うん、と頷いてミューナは交響曲シンフォニアから夜想曲ノクトゥルノへシフトする。

 交響曲が全体的な強化をもたらす歌なら、夜想曲は術の強化をメインとした歌。


「ほ、精霊の王たるワシに術で挑むか」

「いいえ。人はいつの時代も、智恵と勇気で困難を乗り越えてきました。なので今回も、そうします」

「ほほ、やってみるがよい!」


 ええ、と微笑んで、


「まずは、──バク!」


 ぼこり、とエルガートの周囲の地面が盛り上がり、縄のように形取りながらエルガートへ幾重にも絡みつき、地面へと固定する。


「土の術か。見習いがよくやるの」

「ええ。今回は討伐が目的ではありませんから」

「じゃが、この程度では」


 ふううっ、と息を吐くと、土の縄はぼろぼろと崩れ、土塊へと姿を戻していく。


「はあああっ!」


 むしろそれを待っていたかのように、シーナが巨木を頭上に掲げながら迫る。大人が三人手を繋いでもまだあまりそうなほどに幹は太く、枝振りも見事な巨木を、風の術を使って頭上に浮かせながら、エルガートへ突進してくる。

 にんまりと口角をあげるエルガート。笑顔を無視して根っこにこびり付いた土もそのままに、乱雑に投げつける。


「なにを使おうと同じことじゃて」


 す、と手を掲げて受け流そうとするエルガートの眼前で、大木が爆ぜた。


「ほう?」


 爆ぜた大木の破片は意志を持つかのようにエルガートに張り付き、彼のからだの自由を奪う。


「む、これは……っ」


 先ほどのように息を吹きかけ木片へ戻しても、別の破片が次々と張り付き、人型の樹木へと姿を変えていく。


「呼吸できるだけの隙間は用意してあります。いまはしばらくそのままでお待ちくださいませ」


 優雅にお辞儀してみせるディルマュラだが、これで終わりでない予想ぐらいは当然ついている。

 いまは一刻も早く精霊たちの赦しを得られるよう願うばかりだ。


     *     *     *


 精霊たちからの返答はまだない。


 なにか話し合っているような雰囲気は感じるが、それよりも、後ろから聞こえる交響曲や小夜曲に気を取られているものたちの方が多い。

 とはいえ、うるさいからよそでやれ、などと言えるはずもなく、オリヴィアは精霊たちからの回答をただ待つことしかできない。


「……移動するわよ。ここじゃミューナの歌で精霊たちの気が散ってる」


 ああ、と頷いて立ち上がろうとするライカの袖口を、リーゲルトはゆっくりと引く。


「もう、いい。いいんだ」

「なにがいいって言うの」


 若干の苛立ちを滲ませながらオリヴィアが促す。


「いままで、積極的におれに関わろうとしなかったお前が、赦しを願うなんてよほどのことなんだろ。でも精霊たちが即決しないだけでも、俺の家がお前になにをしたのかの想像ぐらいはできる。

 だから、もういいんだ」


 自分たちがここまで来るまでにどれほど恐い思いをしたのだろう、とかの憐憫は一切沸かなかった。

 オリヴィアの心中にあるのはただひとつ。

 さっさと終わらせてさっさと帰って読みかけの小説の続きが読みたい。

 むしろ、それが彼女の原動力になっていると言っていい。

 だからここで見捨てることだって選択肢にはあった。


 深く長く息を吐いて、オリヴィアは言う。


「だめよ。人の味を覚えた獣がどうなるか、あんたは知らないのよ」


 オリヴィアの声が届いたのか、樹木へ埋め込まれた状態のエルガートが唸るように言う。


「獣と言うか。仮にも神に貶めた相手に対して」

「あんたを神にしたのはご先祖がやったこと。いまのあんたは肉欲にまみれた獣よ」

「懼れを知らぬとは、それもまた人の業か」


 うるさい黙ってて、と言い捨ててリーゲルトに向き直る。

 変わらずの諦めきった顔に、いい加減腹が立つ。

 あのね、と説得しようとするオリヴィアを、ライカが先んじる。


「オリヴィア、わかった。精霊たちに赦すとか赦さないとかの概念はない。ただ一緒に踊り歌う相手こそがいればいいんだ」


 こいつの言うことに頷くのは心の底から癪にさわるが、一理あると思う。

 超常的なちからを行使できる彼らだが、個体それぞれの思考能力はよくて五才児程度だとオリヴィアは体感している。


「だからリーゲルト、おまえも歌え」

「え、う、歌う? なんだ、それ」

「あそこで金髪の美人がやってるだろ。それマネしろ。あたしがリードしてやるから」


 言いながらライカはオリヴィアに視線を送る。

 まだヘタレるか、とミューナへアイコンタクトを送る。

 オリヴィアの視線を受けてミューナは頷いて独唱から合唱へと切り替える。


「──響陣、合唱小夜曲」


 豊かで暖かみのあるメロディが場を包む。

 気がつけばディルマュラたちも歌の輪の中にいた。


 歌の輪が広がったことで、エルガートへの拘束も強まる。

 この拘束をどうにかしようと、小夜曲の中心をエルガートは樹木に封じられながら探る。


 ──ふむ。ああいう存在も、あるのじゃな。


 歌の中心にいる、ミューナ・の存在に、エルガートが気付いてしまった。

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