第19話 貶められた神

「ぼくたちがやれるのは精霊たちに、リーゲルトくんと仲良くしてほしい、と願うことだけ。彼が精霊たちから拒絶する理由は、彼の両親が行ってきた非道が原因。だからその誤解を解けばあるいは、ということさ」


 協力は無理でも妨害はされないと踏んでディルマュラはアデルペに今回の目的を伝えた。

 場所は建物の中。案内された小屋は実は厩舎で、六人が通されたのは四阿あずまやと呼んだほうが差し支えない場所。

 ラグリォスの集落にある建物はみなこの形状で、雪も雨も風すら防げないこんなところで生活している彼女たちをすごいとユーコは思った。

 こんな生活をしていても、客に茶をふるまう風習は残っているのか、アデルペは質素な陶磁の湯飲みに緑茶を淹れ、六人はそれぞれに喉を潤した。


「……確実性は、どこにもないのだな」

「ああ。でもぼくたちはリーゲルトくんを助けたい」

「なぜそこまでするんだ」


 決まっているさ、とディルマュラは微笑む。


「リーゲルトくんには、まだ人としての愛を教えていない。それだけさ」


 人として、か。とアデルペはつぶやく。


「……我らの半身は精霊だ。だから我が主のなさることに叛意を示すことも、意見を具申することすらもできない。

 精霊の身としては、主のなさることに不満もない。が、人の身が反撥するのだ。人の血を入れてはいけないと。まして彼の者は精霊に嫌われた一族。そのような者とまぐわった時に、主がどうなってしまうのか、そもそもなぜ……、いや、いまは止めるほうが先だな」


 こくりと頷くディルマュラ。


「我らは協力はせぬ。が、妨害もせぬ。約束しよう」

「それでじゅうぶんだよ。きみたちを相手にするには、ぼくたち全員のノドを潰してもまだ足りないからね」

「こんどは、おまえたちとただ歌い踊るのも悪くない。……そう思えてしまうぐらいには、おまえたちのことは、気に入った」


 ふふ、と微笑んでディルマュラは、


「エイヌの王女としては、きみたちともっと親睦を深めたいと常々思っているよ。日頃からの理解がなければ人は、いつでも争って解決しようとしてしまうからね」

「……そうだな。それを嫌悪して先祖は、精霊たちを身に宿すようになったというのに、いまだ我らは人の呪縛から解かれていないのだろう」


 そうかも知れないね、とディルマュラは立ち上がる。


「これでぼくの役目の半分は終わった。あとはきみ次第だよ、オリヴィア」


 わかってるわよ、と鼻息荒くオリヴィアは答えた。


     *     *     *


「エルガートさま、エイヌ王女ディルマュラ・エイヌ・リュクス・アリュハ・サキアにございます。此度は求婚のお誘いを受け、参上仕りましてございます」


 アデルペはリーゲルトが軟禁されている小屋へは直接案内できないと、ライカたちが腕輪に契約している精霊たちに場所を教え、彼らに案内させることにした。

 精霊たちが案内した場所は、元は立派な大木だっただろう丸太が縦に並べられただけの、屋根の無い小屋だった。

 精霊術を使えば楽に突破できるだろうが、リーゲルトや精霊術を苦手とする者には絶望的な高さだ。


「小屋っていうか、ていの良い牢屋じゃねぇか」


 小屋をひと目見てライカは吐き捨て、他の四人も一様に表情をしかめた。


 丸太の向こうからはドタバタと部屋の中を走り回る音と、ゆったりと、だが威圧感を込められた足音、そしてリーゲルトの「あっち行け」「こっち来るな」と悲鳴混じりの怒声が鳴り響いている。


「エルガートさま? いらっしゃるのでしょう?」


 あくまでも典雅にディルマュラは丸太をノックし、声をかける。


「……無粋であるぞ」


 重く腹に響く、声というよりは地鳴りのような音だった。


「エルガートさまがいまなさろうとしていることは、わたくしという婚約者がありながら、あまりにも無体な仕打ち。それを無粋と断ざれるならば、こちらにも考えがあります」

「考え、だと?」

「押し通ります」


 言い終えるがはやいか、ディルマュラは「ジン」の術を幾重にも同時展開し、丸太を粉砕。通り道を作った。


「……ライカ!」


 走り回って逃げ回っていたのが目に見えてわかるほど、リーゲルトは全身で呼吸をし、汗で全身を濡らしている。

 リーゲルトが連れ去られて約二日。その間ずっと逃げ回っていたのだとしたら、とライカの拳は強く握られる。


「返してもらうぞ」


 ひと言入れたのは、ライカなりのエルガートへの敬意だ。

 まばたきの時間ほどもなく、ライカはリーゲルトを腕に抱き、すぐ脇の丸太壁を蹴破って小屋から飛び出した。


「ふむ。まあよいわ。……で、なんの用向きじゃ。ワシの愉しみを邪魔するほどのものであろうな」

「ご用件は先ほど申し上げました。わたくしとの婚姻にございます」

「その程度のことで、か」

「はい。我が王家としては一大事故に」

「ワシはそのようなことを申しつけた覚えはない。此度のことは不問にしてやる。帰るがよい」


 投げやりに手を振られ、ディルマュラは内心拍子抜けしたが、それをおくびにも出さずに頭を下げる。


「はい。ではそのように」

「じゃが、その童はワシのものじゃ」

「申し訳ありませんが、彼は人の子。精霊たちに忌避された一族の子。エルガートさまには不釣り合いかと存じます」

「だからよいのではないか。たまには苦みを味わいたくなるのはその方とて同じであろう」

「ええ。ですが、彼にここまで拒絶されておいてなお欲するというのは、あまりにみっともないと。ラグリォスの方々も嘆いておられましたよ。我が主はなにをなさっておるのだと」


 この程度でこのヒヒジジイが諦めるとは無論思っていない。

 ディルマュラの目的は、オリヴィアの説得の時間を稼ぐこと。

 それが彼女の、今回の作戦におけるさいごの役目だ。

 



 赦す、って言われても。


 それはずっとオリヴィアの胸中にひっかかっていた。

 自分はずっと孤児だと思っていた。

 孤児院にいたからこそいま自分があるのだし、最初からいない親のことなんて考えたこともない。

 リーゲルトには同情する。

 でもそれだけだ。

 よほど幼くない限り、境遇なんて自分で変えられるものだ。

 十歳を超えて親や保護者に反抗心を抱いたことがないなんて、甘えだとすら思う。

 それで満足するのだから、さっさとヤられて妊んで子を産んだらさっさと逃げ出せばいい。

 それぐらいの罰は受けるべきだ。

 極論ではあると自覚しているが、そういうことを考えるぐらいは、自由なはずだ。


 でも、オヒメサマは言った。


 ──リーゲルトくんには、まだ人としての愛を教えていない


 普段のオリヴィアなら一笑に付しただろう。

 できなかった理由は、たぶん、嫉妬なのだろう。

 リーゲルトは、親からは生来愛されなかったが故に、いま他人から愛を受けている。

 なのに、自分は。

 自分が、そんな子供っぽい理由で、あんな子供に嫉妬して遠ざけていたのだと自覚すると、途端に莫迦らしくなったのだ。

 

 ──わかったわよ。上っ面を取り繕うことぐらい、やってやるわよ


「精霊たち、すこし話を聞いて」


 ライカが抱きかかえるリーゲルトを前に、オリヴィアは精霊たちに語りかける。


「あたしは、オリヴィア・ユカ・エウェーレル。そのくそどヘタレが抱えてる子の家がやったことで、孤児になってた。生まれた家はその子の親や親類がやったことでめちゃくちゃになったし、母親も死んだ。

 その子の家がなにもしなければきっと、あたしはここにはいない。

 でもいまここにいることに、いままで過ごしてきた日々のことに、……幸せかどうかはわからないけど、不満や不幸は感じてない。

 だからあたしは、……その子自身にはなにも悪い感情は持ってない。その子はまだあたしや世界に悪いことはしてないし、あたしもさせないようにする。だから、その子を嫌わないであげて。お願い」


 えらそうになにを。

 そうは思ったが、これがいまの自分に言える精一杯だ。


 ゆっくりと息を吐いて精霊たちの反応を待つ。

 その間、エルガートはゆっくりとこちらへ歩み寄ってくる。

 シーナとユーコが無言でその間に割り込み、直接手出しはしないものの、押しのけようとするエルガートに首を振って動こうとしない。

 

「ワシはそう遠くない時期に滅ぶ。その前に子を成したいと思うのは不条理だと申すのか?」


 問いかけるエルガートの表情には、普段のひょうひょうとした色合いは感じない。


「だからそれは、本人の了承を得ていないと申し上げています」

 

 シーナとユーコの後ろに立つディルマュラが冷淡さも込めて言う。


「ワシらを神へと貶めたのはそなたら人であろうに。勝手に来て勝手に崇めて、ワシらのチカラを使っておきながら、ワシの願いは聞き届けぬと言うか」

「そのための我がエイヌ王家です。人の血を欲するなら、我が家からお選びください」

「いやじゃ。あれがよい」


 す、と節くれ立った人差し指でリーゲルトを指す。


「なぜです。なぜそこまで彼にこだわるのです」

「契を交わしたのは、精霊にまみれていない、純粋な人じゃ。そなたらはもうラグリォス共と大差ない。

 崇めるばかりで刃向かうことも、軽口すらせぬおぬしらではないわ」


 指していた右手をゆっくりと握るエルガート。


「すこしはそなたらの模倣をしてみるのも、よいやもしれぬな」


 まずい、と三人に緊張が走る。


「押し通るぞ」


 低く、地鳴りのようにエルガートは宣言した。

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