第21話 剥奪

「そうだ、心を歌で満たすんだ。音は勝手に出てくるからな」


 こくりと頷きながらリーゲルトはつたなくも歌い始める。

 詩なんてものは教えられることなく育った彼が口にするのは、ただのうめきにも似ていて。でもそれは赤子が喃語を話し始めたようでもあり、オリヴィアでさえ心の内で激励を送ってしまう。


「な、なんだこれ、光って、まとわりついてくる?」

「そいつらが精霊だよ。怖がらなくていい」

「う、うん。でも、くすぐったい」

「がまんしろ。お前がどんなやつか知りたがってるんだ」


 うん、と頷いてリーゲルトは再び声を発する。

 精霊たちがリーゲルトの歌声にも呼応するように輝き、踊り始める。

 いい傾向だ。

 オリヴィアはふいに、自分が精霊たちと歌えるようになったときを思い出す。

 あれは学舎院に入る直前の立春祭。夜間に行われる神楽があると聞いたオリヴィアはこっそり孤児院を抜け出し、こっそりと鑑賞したことがある。

 そこで奉納された神楽では、お遊戯にも使われている曲も使用されていた。子供っぽいからと心底厭々覚えた曲なのに、神楽宮の大人たちが歌うとあんなにも美しくかっこよくなっていた。

 興奮して気がつけば幼い自分も声に出して歌っていた。

 それにつられた精霊たちとも共に歌い、大人たちに見つかり、こっぴどく怒られた。

 そんな小っ恥ずかしいことを思い出して感傷に浸っている場合ではないが、いまのリーゲルトを見ているとどうしても。

 まあいい。

 あとはあのくそ莫迦に任せておけばいい。

 ここまでは作戦通り。


「問題は、ヒヒじじいの方ね」


 くるりと振り返り、大木と化したエルガートを見やる。これで諦めるとは思えない。

 森の精霊たちは大半がリーゲルトに興味を向けていて、エルガートの現状を調べてもらおうとしてもうまくいかない。


「仕方ないわね」


 精霊たちの気まぐれさにいまさら腹を立てるほど、オリヴィアは精霊たちとの付き合いは短くない。

 ともあれ現状をしっかり把握しておかなければ。

 エルガートはおそらく、直接的な打撃はできない。出自が精霊であるからが故だろう。

 ならば精霊術はどうだろう。

 彼が起点となって、彼単独で行使する可能性はじゅうぶんある。

 ディルマュラたち三人へ目配せするのと、樹木と化したエルガートが口を開くのは同じタイミングだった。


「もうよい、もうよい。その小僧の興味は失せた」

「どういう意味でしょう」

 

 怪訝に眉根を寄せながらディルマュラが問いかける。


「精霊と歌えるようになってしまったのなら、もうわしが妊ませる意味はなくなった、ということじゃ」

「……では、拳を収めて頂けるのですね?」

「どうとでも取るがよい。それよりもこの拘束を解かぬか。息苦しくてかなわん」

「……」


 問答をするディルマュラも、その背後のユーコとシーナもミューナも、だれひとりエルガートの言葉を信用していない。


「ならば力尽くで、」

「わかりました。ミューナ。もう歌を止めていい」

 

 でも、と視線で抗議するミューナに、オリヴィアが「いいから」と返す。

 それでようやく、渋々とだが歌を止めるミューナ。

 同時にエルガートを覆っていた樹木の破片がばらばらと剥がれ、見る間に姿を現す。

 ばっ、と手を挙げると彼を中心に風が巻き起こり、衣服や髪、肌に付いていた木片は吹き飛んでいく。


「それでよい。まったく、不遜にもほどがある」


 ぐるり、とリーゲルトを含めた七人全員を睥睨し、ミューナで視線を止めた。


「そち、名は?」

「あなたこそ、誰」


 ふと目を離せば「刃」で首を切り落としていそうな、冷淡な殺意も露わにミューナが睨む。

 それほどの殺意を浴びてなお、エルガートは飄々とした態度を崩さなかった。


「わしはエルガート。この山脈のヌシじゃよ」


 先ほどまでのヒヒジジイではなく、孫の面倒を見る好々爺のように。


「わたしの名前を知ってどうするの」

「気に入ったからじゃよ。油断しておったとはいえ、わしに一撃喰らわせた褒美に、の」

「そんなのいらない」


 あくまで冷淡に返すミューナに、エルガートはからからと笑う。


「ならば、こんなものはどうじゃ?」


 すい、となにもない空間を払うように、エルガートは右手を動かす。

 なにを、と怪訝に眉をひそめるミューナ。違和感を感じ取ったのは、オリヴィアだった。


「ミューナ、あんた、精霊が」


 え、と左腕の腕輪に視線をやれば、木製の腕輪はぼろぼろと崩れ落ちていく。


「たしか、そちたちは見習いのときは精霊たちとは仮契約じゃったの。そしてそちはこちらの生まれではない。血に精霊が刻まれていないそちと、精霊たちとの繋がりは浅いのじゃよ」


 かかか、と高笑いするエルガートにオリヴィアたちが戦慄する。

 ミューナは世界を分断する「壁」の向こう側の世界から、六歳の頃に亡命してきた。

 約二百年前にこちら側の世界に降り立った者たちは、この星の環境に適応するため、なにより精霊たちと深く繋がるため、遺伝子に手を加えている。

 元々、種の保存のために両性を作り出して星の海を渡ってきた彼女たちにすれば、その程度の人体改造など議論する価値すらなかったことだ。


「そうか。ぼくたちはまだ仮契約。こちらの生まれではないミューナと精霊たちの繋がりは歌と踊りだけ。エルガートさまは腕輪を破壊することで一時的に繋がりを吹き飛ばしたんだ」


 ディルマュラの独白に、シーナが「そんなこと言ってる場合じゃ!」と飛び出す。すでにユーコはエルガートの真上、オリヴィアは同じく足下へ詰めていた。


「学ばぬの」


 ユーコのかかと落としを、オリヴィアの水面蹴りをエルガートは嘆息混じりに払い吹き飛ばしてしまう。

 刹那、


「──バク!」


 空気を圧縮して相手の行動を封じる術がシーナによって放たれる。

 足首を地面に、両手を広げた姿で固定できたのは、ディルマュラが唄う交響曲のおかげだが、それも事もなげに振りほどかれてしまう。


「わしに術で挑むのはさらに愚行だと、何度も言わせるでない」


 嘆息混じりに言い、そのままミューナへ歩き出す。当のミューナはどうにか精霊たちを呼び戻せないかとステップを踏んだり歌声をあげたりしているが、精霊たちは応えようとしない。

 新しく形成しようとする繋がりまで遮断していることにオリヴィアは戦慄しつつ、他にやれることがない以上、走りながら叫んだ。


「莫迦、逃げるわよ!」

「う、うんっ」


 叱責され、ようやく精霊たちを諦めてきびすを返す。同時に術で追いついたオリヴィアに小脇を抱えられて森へ向かっていた。

 オリヴィアも逃げられるとは思っていない。

 ただ、ラグリォスでもエイヌ枝部の大人たちでもいいから助けを求めるための一手だ。


「舌噛むんじゃないわよ」


 うん、と頷いたミューナの視線の先に、エルガートがいた。


「まったく。手間を取らせるでない」


 唇を強く噛みしめたのも束の間、オリヴィアは術のようななにかによってミューナから引き剥がされ、追いかけてきていたディルマュラへ投げつけられていた。


「……や、やだ……っ!」


 逃げる、という当たり前の行為を、聡明なミューナが行動に移せなかった。

 こちらに来てからずっと、当たり前にいた精霊たちとの繋がりを剥奪され、自分がただの無力な十七歳の女でしかないと、いまになって思い知らされて、それがすべての行動を縛り付けているのだ。

 ふふ、と狡猾に口角をあげ、エルガートはゆっくりと歩み寄る。


「抵抗せずともよい。痛みも感じるいとまも与えぬ。ただじっと……っ?」


 一瞬、エルガートを含めた全員が悪寒に身を震わせた。


「おい」


 地鳴りだと誰もが思った。


「おまえ、なにをしようとしている?」


 それがヒトの口から発せられた問いかけだとは誰も思わなかった。


「こたえろ。そいつになにをするつもりだ」


 それは、ライカの姿をした、なにかだった。

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