第16話 契

「……はい。あくまで精霊たちへの儀礼的なものです。なので、」

『ええ、こちらは問題ありません。それよりもあなたの精神的負担のほうが心配です』

「ご心配ありがとうございます。こちらはつつがなく行うので、お気遣いなどは結構ですから」


 ひどい言い方をしていると思う。

 でも、こういう言い方以外の、どんな方法があるというのか。


『はい。わたくしも、これ以上踏み込むつもりはありません。どうぞ健やかに。あなたによい風が吹きますように』


 はい、と返し、こちらもなにか言わなければ、と思っている間に通話は切れてしまった。

 

 しばし、端末を見つめて、ため息をついて。


「……もう、いいか。二度と会うことは、…………」


 ない、とは言えなかった。

 言ってはいけないと、思ってしまったから。


「おわりおわり。会ったら会った時よ」


 首を振って余計な思考を追い払い、ベッドに大の字になる。

 こんな時間だというのに、誰ひとり部屋に戻ってこない。

 こういうときに気を利かせてくれるあいつらが、ありがたくもあり鬱陶しくもあり。

 約一年の間、ずっと重っ苦しく考えていたことを済ませた安堵感が、いままで根性でせき止めていた疲労を決壊させ、オリヴィアは数秒とかからずに眠ってしまった。


 困ったのはライカたち五人。

 気を利かせたのはいいが、そのまま眠ってしまうとは想定していなかった。普段の彼女ならば電話を終えたあと、「入っていいから」ぐらいは言う。五人ともがそう考え、部屋の入り口で待機していた。

 そして五人は知っている。

 オリヴィアの眠りの浅さを。そして無理矢理起こされた時の不機嫌さを熟知している五人は仕方なく街に出て宿をとることにした。


 なのに、特にディルマュラたち三人はオリヴィアと距離が少し縮まったと感じていた。


     *     *     *


「……なんかごめん」


 翌朝、朝食のため部屋に戻ってきた五人を前にオリヴィアは恥ずかしそうに言った。


「いや、いいさ。みんな疲れている。とくにきみは一番気を張っていた。……そのきっかけを作ったのは半ばぼくのようなもの。謝るべきはこちらだよ」

「そういうのいいから」

「うん。これで手打ちとしよう」


 ぱん、と軽く手を叩いて、ディルマュラは微笑む。

 オリヴィアは視線を外し、小さく頷いた。


「さて本題だ。リーゲルトを精霊まみれにしてエルガートさまから興味を奪うこと。これが救出作戦の概要だ」


 ああ、とライカが頷く。


「確かにあの子は精霊たちと対話することも、そもそも精霊たちの存在すら知らない様子でした。……でも、ほんとうにそんなことがあるのかなっていまでも信じられません」


 ユーコが眉根を寄せながら言うと、シーナも頷いて同意する。


「ぼくは彼と拳を合わせていないから半信半疑だけど、クレア先生からもらった資料や、ぼくなりに調べたことを見る限りイーゲルト家は精霊たちを嫌悪していた。だから子供にも、というのは筋は通っている。けれど、精霊たちは空気と同じくどこにでも存在しているからね」


 腕を組むディルマュラに、ミューナが手を挙げる。


「精霊たちは、こわいことが嫌いだから、だと思う」


 今日もミューナが手を挙げて発言するものだから、五人はそれぞれに驚いた。昨日のことといい、なにか心境の変化でもあったのだろうか。


「……なに、みんな」

「んにゃ。お前がこういう場所で喋ってるのってひさしぶりに聞いたなって思ってな」

「そう? じゃあこんどからもう少し喋る」


 むふん、と鼻息をあげる姿がかわいい。

 ん、とライカが頷くのを見て、ディルマュラは続ける。


「精霊たちはこわいことが嫌い。うんそれが一番得心がいくね。だからこそ、エウェーレル家の赦しが必要なんだろう」


 集まる視線に、オリヴィアは「ちゃんとやるから」と、おざなりに手を振って返す。


「でも、問題はどうやって近づくか」


 ミューナの言葉にディルマュラが頷く。


「ぼくたちとエルガートさまの間にはラグリォスの方々がいる。そして方々はぼくを狙っている。でも方々がぼくを狙う真意はリーゲルトにある。……ぼくはそこに活路があると思っているんだ」


     *     *     *


「お、お前の子を? なにを言ってるんだ」


 天井からリーゲルトをのぞき込んでいた山猫は、しゅるしゅるとからだを縮ませ、大人の人間ほどのサイズになる。


「そなたのように精霊のまとわりついておらぬ者は珍しくての」


 しかし外見は大きく違う。

 纏うローブから伸びる腕も脚も、長さや関節の位置は人と同じなのに、キジトラ色の毛に覆われ、手足は人のそれではなくネコ科の手足がそのまま人間サイズになっている。なのに右手には節くれ立った杖が握られていて、ひどくアンバランスだ。


「さ、どうした。契ろうぞ」


 そして、手足が猫なら頭部も猫。瞳は大きく虹彩は縦に入り、口と鼻は前に伸びた姿。頬髭もぴんと伸び、頭頂部には大きな三角形の耳が忙しなく動いている。

 

 そんな存在、見たことも聞いたこともない。


「わ、わああああっ!」


 こちらを丸呑みできそうな巨大な山猫が、急に人間みたいな姿になってこちらに迫ってくる。

 こんなもの、十歳の少年からすれば恐怖でしかない。


「くるな、くるなぁっ!」


 丸太を並べただけの壁にすがりつくようにからだを押し当て、視線を逸らすこともできにわめき散らしてしまう。

 

 おまえはエウェーレル家を滅ぼすために産まれたのです。


 いまから思えば、あの女は母親という存在なのだろう。

 そういう存在から何度も何度も聞かされてきた言葉が過り、おそらくは父親と呼ばれる存在からあれだけ厳しく叩き込まれた体術も、恐怖の前ではなんの役にも立たなかった。


 でも、あいつは。

 あいつなら。


「……ライカ、助けて……っ!」


 押し殺すように、助けを求めた。

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