第15話 王家の血

「ねえ、ちょっといい?」


 その日の夕食を終え、大浴場で汗を流し終えたライカを、脱衣所の出口で待ち構えていたオリヴィアが呼び止めた。


「お、おう。どうした改まって」

「いいから。ミューナ、しばらくライカ借りるわよ」

「うん。いいよ」


 えへへ、と屈託なく笑ってぐい、とライカを差し出す。

 説明を受けている時には一度怒ったようにも見えたが、いまは元通りだと思う。

 どうせライカが危ない目にあったから、だろうけど、と思いながら軽く頭を撫でてやる。

 

「ありがと。じゃあ借りるね」


 ぐい、とライカの手を引っ張ってずんずん進む。その後ろでミューナはにこやかに手を振り、遅れて出てきたユーコたちと共に自室へ戻っていった。


     *     *     *


 六人が滞在しているのは枝部。だが六王家に名を連ねるエイヌの、それも王都に置かれたエイヌ枝部は予算も潤沢。なので風の神殿と同等、設備によっては上等のものを使っているのが現状だ。

 全面的な改装はしたいけれど、老朽化したところの補修で予算は手一杯なのです、と神殿長イルミナはよく零していたな、と手を引かれるライカはぼんやり思い出していた。


「なあ、どこまで行くんだよ」

「うるさい。とにかく人が来ないところよ」

「どうしても二人っきりじゃないとだめなのか?」


 そうよ、と乱暴に返した頃には枝部の外に出ていて、枝部も町並みも月明かりと街灯に彩られていた。

 枝部のつくりは風の神殿に似ているが、町並みはかなり違う。

 約二百年前、移民船団がこの星に辿り着いた時は農業船だったエイヌは、この地に根付いてからも土地を耕し、精霊と歌い、農作物や家畜を育ててきた。

 そのためいまでも国民よりも家畜の方が多いなどと揶揄されるが、事実なので気に病む者は少ない。

 街の外には若い苗が元気に育つ田園が広がり、張られた水が夜空を映してとてもきれいだ。げこげことカエルがうるさいが、人は来なさそうだから、と割り切って枝部の壁にもたれ掛かる。

 意を決して、いちど深呼吸をして。


「あのさ、あんた前に……」


 そこで言葉に詰まった。


「なんだよ。言っとくけどお前のものに手なんか付けてないからな」

「違うわよ。そういうのじゃなくって、その……」


 またも言葉に詰まるオリヴィアに、ライカはへの字口で返す。


「お前がどうしようとお前の勝手だけどな、リーゲルト助けるのをやりたくないって言うならぶん殴るからな」


 当たらずとも遠からずだった。


「……こういうことって、国王とか、少なくても国民がやることだと思う、の」

「そういうのは精霊たちに訊けよ。野良犬のあたしになんで答え求めたんだ」

「だけど、さ」

「知るかよ。長旅で疲れてるならちゃんと寝ろ。どうせお前のことだから、森から枝部に入るまで一睡もしなかったんだろ。そういう変な意地張るから、」

「うるさいわね。……ちがうごめん。疲れてるのは、あると思う」


 珍しくすぐに謝ったな、と思うが、これも疲労がそうさせたのだと思うことにした。


「でも、あたしが勝手に赦していいのかなっていうのは、どっかにあると思うから」

「だったら、連絡してみればいいじゃねぇか」

「そんな大事おおごとにできるわけないでしょ」

「大事だろうが。子供ひとり攫われて、その犯人がエルガートさまだぞ。エイヌは枝部も王家も動いてる。あたしら下っ端が関わってるほうがおかしいぐらいじゃねぇか」

「そうだけどさ……」


 煮え切らないオリヴィアに、ライカはしかし苛立つことはしない。

 一度鼻から息を長く吐いて、できるだけ平坦に言う。


「お前の素性がどうかはあたしには興味がない。でもな、お前があたしらに足引っ張られたくないのと同じぐらい、あたしもお前が抜けるのは困るんだよ」

「?」

「あたしはあの人のそばで働くんだ。それ以外に恩を返す方法はないって思うからな」


 そんなことしなくてもあんたは、と言いかけてやめた。

 こいつはコネでそういう立場に座れたとしても、絶対に拒否するし、姿を消す。猫のように突然に、そしてたぶん永遠に。

 それに気付いたから、


「あっそ。せいぜいがんばって」


 と軽く返した。


「だからお前に抜けられるとそれもできないんだよ」


 まっすぐに見つめられ、その瞳の力強さ、いや暑苦しさに根負けしてオリヴィアはうなだれる。


「……わかったわよ。一回、連絡してみる」

「そっか。ならいいけどよ」


 こんなときにそんな風に笑わないで欲しかった。


     *     *     *


「隠しておくことでもないから言っとく」


 オリヴィアがそう口にしたのは、王妃ルリに引き留められた直後。


「あたしはエウェーレル王の娘、らしいわ。あの国で内乱が起きるのと前後して風の神殿の孤児院にあずけた、って去年教えられた。まだ正式に裏を取ってないから、あたしも全部は信じてないけど」


 それを聞いて、ミューナはえへへと笑い、ユーコは目を丸くした。

 シーナの反応がないことに一瞬訝しんだが、向こうから目を伏せてぺこりと頭を下げたので納得した。


「間違いではありませんよ。若い頃のマツリさんによく似ていらっしゃいます」


 ルリの言葉に、そうですか、と返しつつ、マツリが偽名ではなかったことに驚きと、同時に呆れも感じた。


「で、あたしがやらなきゃいけないことってなんですか」

「リーゲルトさんを、イーゲルト家が起こした争乱を、王女オリヴィアの名において赦して欲しいのです」

「赦すもなにも、内乱に関しては裁判真っ最中です。いくらあたしが王家の血を引いてて、あの子の家が内乱をおこしたからって、そんなことしたって意味なんか」

「神殿に人の世界の理が通じないように、精霊たちは人の世界での裁判など意に介しません。精霊たちの前で、エウェーレル家とイーゲルト家が仲直りをした、と示すことが第一歩なのです」


 ルリの言葉に、オリヴィアは乱暴に頭をかきむしり、苛立ちをたっぷり込めて言う。


「だからあたしは、王女をやるつもりはないって何度も言ってます」

「ええ。王家を出奔して神殿に入る方々は大勢います。けれど、あなたのからだに流れる血は紛れもなくエウェーレル王家のもの。ですが、あなたはあの内乱を直接経験していない。それ故に、あなたしかいないのです」


     *     *     *


「はー……っ」


 自分のベッドでうつ伏せに倒れながら、オリヴィアはうめいた。

 言われた意味が分からない。

 自分はあの国の内乱とは全く無関係に育ってきた。

 孤児院にあずけられなければ、いまごろ命があったかも怪しいほどにあの国は荒れた。

 本来なら、全くの他国の、それも限界集落への援助などできる状態ではないのだ。

 だからこれは、あのときのわがままのツケだ。


「わかったわよ。これで最後だからね」


 誰も居ない部屋でつぶやき、意を決して個人用の通信端末を取り出す。

 神殿から支給されている端末なので、音声通話しかできない安物だが、このときばかりは有り難かった。

 顔を見たら、きっとまともに話すこともできなかっただろうから。

 指を止めたらいけないと自覚しているので、急いで通話画面に切り替え、あの日の別れ際にマツリから強引に転送された番号をコールする。

 こことの時差は六時間程度。忙しい時間だろうが気にするほどの余裕はなかった。

 数回のコール音のあと、


「はい。オリヴィア……なのですね?」


 受話器越しにもわかるほどに涙声だった。

 そんな声、出さないでほしい。


「……はい。オリヴィアです。連絡が遅くなって申し訳ありませんでした」


 主観では、事務的な口調になっていると思う。

 それが伝わったのか、向こうも声音を改めて返した。


「いいのです、そんなことは。それよりも、どんな御用です?」

「ええと、その……」


 できるだけ簡素にあらましを伝えるだけでもう、心臓が破裂しそうなぐらいに緊張した。

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