第17話 お披露目
「ねえ、本当にいまからこれ着てないとだめなの?」
言いながらリビングに入ってきたオリヴィアは、ひどい渋面を浮かべていた。
それもそのはず。いま彼女がまとっているのはエウェーレル王家の正装、のレプリカ。
リーゲルト奪還作戦の立案後、ディルマュラがエウェーレルの宮内省に問い合わせ、王太子用の衣装に関するデータを送ってもらい、エイヌ王家の縫製係が総力をあげてこしらえたもの。
エウェーレルの家紋である、向かい合わせに並ぶ二頭のグリフォン。そのグリフォンを左右の肩それぞれにあしらい、胴には掌ほどの大きさの白いボタンが六つ。
六はエイヌなどを含む六王家を示し、正面から見て右側中央のボタンだけが蒼に染められているのは蒼がエウェーレルの家色だからだ。
そして蒼はロングパンツ、革靴の紐にも引き継がれ、衣装の色合いを引き締めている。
王女であるオリヴィアに、パンツスタイルの衣装データが送られてきたのには、エウェーレルに限らず六王家の王太子の正装はパンツスタイルで男女共通と定められているからだ。
「すごく、かっこいい」
なのにミューナが目を輝かせて言うものだから、もう、とこぼして椅子を引き寄せて座り込んでしまった。
「さて、ぼくはどうだい?」
そんな中、満を持してと言った足取りでウェディングドレス姿のディルマュラがリビングに入ってくる。
色は薄紅色。
デザインはロングスリープ。肩から手首までを覆う純白のシースルー部分にはエイヌの国花であるクロユリと、それを眺める山猫が刺繍されている。
「やっぱおまえ、女なんだな」
ライカの拍子抜けしたような感想に、全員が吹き出してしまう。
だがその程度でくじけるディルマュラではない。
す、とライカの耳元に口を寄せ、
「そうさ。だからきみの子を、この子宮に宿すこともできるよ」
熱っぽくささやくものだから、ライカの顔は一瞬で茹で上がってしまう。
「ぼくはいつでも歓迎するよ」
顔を真っ赤に、目を白黒させながらなにか言おうとするライカを遮って、
「だめ!」
ミューナが叫んだ、と思った次の瞬間には、ライカが彼女の膝の上で横座りになって抱きしめられていた。
「ライカは、わたしの!」
悲痛な色さえ感じるミューナの叫びに、ディルマュラは面喰らったように何度か瞬きをして、彼女に歩み寄る。
「そうだったね。でも、こちらでは重婚も認められている。大事なら離さないことだね」
やさしく、その薄紅色のドレスのように柔らかな声音で言い、さいごに頭を撫でてやる。
それでも睨むことをやめなかったミューナに肩をすくめつつ、きっとまだ目を白黒させているのだろうライカへ視線をやる。
「あぁ、すまないライカ。こんなことになるなんて思っていなかったんだ」
「いや、気に障るようなこと言ったあたしが悪いんだ」
ひどく真っ当に返されて、一瞬返答に迷っていると、
「悪かったな、ミューナ」
ゆっくりと、背中から手を回して頭を撫でるものだから、
「う、うん。いいの」
今度はミューナが茹で上がることになった。
おやおや、とディルマュラは数歩下がってふたりに時間を与えたが、遠巻きに見ていたオリヴィアは小さく唸る。
またぞろ逃避劇でもやられたら叶わない、と立ち上がったのと同時に、
「ライカだいじょうぶ? またいなくなったりしない?」
ミューナが心配そうに問いかける。
「ああ、どこにもいかない。約束する」
「ほんとに? ぜったいいなくならない?」
「だいじょうぶだ。いなくならない」
「なら、いいけど……」
不安そうなミューナに優しく微笑みかけてライカは立ち上がる。
「じゃあ、出発しようか」
そのまま出口に向かうライカに、オリヴィアは内心舌打ちする。
──あの莫迦、心閉ざしやがった。
反射的にディルマュラを睨み付けてしまったが、彼女は困惑したように眉根を寄せるばかり。
大声で糾弾したい衝動をぐっと堪え、ディルの耳元でささやく。
「どうなっても知らないから」
「……そんなに、危険な状態なのかい?」
真剣なディルマュラの声音に、いささかの落ち着きを取り戻せたオリヴィアは顔を離し、ため息交じりに言う。
「わからない。あいつは、集中してなくても組み手ぐらいできるけど、いまあいつが心をどれだけ閉ざしてるかまでは、判断できない」
そうかい、と返してシーナとユーコに目配せをする。
ふたりは頷いて返し、さりげなくライカのそばに。
ライカはとくに反応を示さなかったが、オリヴィアへは視線を送ってきた。
「はやくいくぞ。リーゲルトが心配だ」
「あ、うん。先行ってて」
「はやくしろよ」
簡単にやりとりをして四人はリビングをあとにした。
残ったオリヴィアはディルマュラに一瞥くれて、
「あんたのところは以心伝心でいいわね」
「そうでもないさ。ぼく自身だってちゃんと言うことを聞かせられないんだから」
ディルマュラが何を言わんとしているのかを察し、
「……そうね。あいつだって、覚悟を決めただけかもしれないし」
「だったら、盛大にお祝いをしなきゃいけないね。無論、リーゲルトを助けたあとで、だけど」
そうね、とあきれ顔で笑って、オリヴィアも出口へ向かった。
* * *
あいつに好きだって言った。
あいつも好きだって言った。
それだけだ。
たぶん、オリヴィアに顛末を語ったときにはもう、自分の中で決着がついてしまったのだろう。
だからこの想いは、この想いだけは強く硬く蓋をして、心の奥底へ沈めておこう。
あたしの薄汚い手で宝石みたいにきれいなあいつを穢してはいけないから。
ライカたち六人は、それぞれに枝部から重種の馬を貸し与えられ、ファルス山脈の山道を進んでいた。
先頭はシーナとユーコ。次いであの衣装のままのオリヴィアとディルマュラ。最後尾はライカとミューナだ。
野鳥の鳴き声や、遠くからの川のせせらぎに混じって聞こえるのは、ライカとミューナの口論に満たない会話だ。
「ライカ、哀しい顔しないで」
「悪い。おまえのせいじゃないから」
「うそ。ライカ、無理してる」
「無理なんかしてねぇよ」
「だったらわたしのこと、ちゃんと見て」
「見てる、だろうが」
ゆっくりと首を振って、まっすぐにライカの瞳を見据えて。
「ほら、視線外さないの、おかしい」
「んだよ。見て欲しいんじゃないのか」
「そうだけど、そうじゃない」
真剣なミューナの訴えに、ライカはうめきながら頭を乱暴にかいて。
「あのな、前にも言ったかも知れないけどな、お前の思うあたしを押しつけるな」
「でも、いまのライカは、わたしが闘いたいライカじゃない」
知るかよ、と吐き捨て、軽くムチをいれる。
ミューナは追わず、ただ背中を見つめるだけ。
「ほら、言わんこっちゃない」
オリヴィアが小さくぼやいた。
けど、と振り返り、
「ミューナ、そういうのは神殿に帰ってからにして」
珍しくにらみ返してきた。
「あのね、いまは」
「オリヴィアもそういうこと言う」
「言わなきゃいけないことでしょ」
「だってライカが」
ったく、と吐き捨て、
「ライカは帰ったらあたしがぶん殴るから」
「…………でも」
「いまは仕事中。私情は後。……お願いだから」
「……わかった。ライカ殴るの、わたしも手伝う、いい?」
「もちろんよ。ぼっこぼこにしようね」
「うん。オリヴィアがいっしょならいい」
ん、と返してライカを睨み付け、
「こんのくそどへたれ」
「うるせえ」
「いまここでぶん殴るわよ」
言い返すかと思ったが、ふん、と鼻息を鳴らしてそっぽ向いてしまった。
「ぶわーか」
中指立ててやりたがったが、手綱を握っている以上、やりたくなかった。
「おまえには、関係ないだろうが」
ライカのつぶやきは、無視することにした。
「ガキが」
オリヴィアのつぶやきもまた、森に消えていった。
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