第9話 メシ、修練、風呂。そして、

 んじゃそろそろあいつ起こすか。


 ライカが口元を拭きながら言うと、オリヴィアが渋面を作った。


「そんな顔すんなよ。メシ食ってないからああいう暴れ方するんだ」

「そうかも知れないけどさ」


 まあまあ、とディルマュラが割って入る。


「オリヴィアはリーゲルトが暴れて食卓を乱されることに嫌悪感を抱いているのさ」


 じろりと睨んでいる間にライカは寝室へ。


「おら朝だぞ、起きてメシ食え」

 

 寝相だけはいいリーゲルトの両脇に手を入れて持ち上げ、強引に立たせる。

 が、むにゃむにゃと寝言未満の声を出すばかりでまぶたを開けようとすらしない。


「しょうがねぇな、もう」


 ベッドに座らせてぺちぺちと頬を叩いたり、つねったりしてみるが起きる気配がない。


「あんにゃろ、ほんとに「眠」だけかけたのかよ」


 眠の術は睡眠導入の効果しかない。なのにこの深い眠りはよほど疲れていたことの照査だ。が、リーゲルトを快く思わないオリヴィアなら、と勘ぐってしまう。


「失礼ね」

「ああ、悪い」

「だから謝るなって言ってるでしょうが」

「だからなんで謝ったら駄目なんだよ」

「うるさい言いたくない。それよりもこっちでしょ」


 そうだけどよ、と渋りながらリーゲルトに視線を戻す。

 

「ん……、なに……?」

「お、やっと起きたか。顔洗ってこい」

「ん……、わかった……」


 まだ寝惚けているのか、素直に従ってよろよろと歩き出す。

 

「わ、危ないですよ」


 ドア向こうで見守っていたユーコがそっと手を取って洗面所までゆっくりと引いていく。そのまま彼女の誘導でリーゲルトは顔を洗い、まだはっきりしない頭で食卓に座る。


「なに、これ」

「朝食さ。きみのカルテには食物アレルギーは見られなかったから、ぼくたちと同じベーコンエッグとトーストだよ」


 対面に座って説明するディルマュラと湯気を立てる皿を交互に見つめ、


「ふざけるな!」

「ふざけてなんかいないさ。第一きみには目的があるんだろう? いまは敵の施しだろうと甘んじて受け入れ、力を蓄えるべきじゃないかな」


 うぅ、と唸るリーゲルト。

 しばらく皿とディルマュラを交互に睨み、やがてフォークを逆手にとって食べ始める。

 根は素直、というか正直なのだろうと一同が感心し、シーナが脇からそっと言う。


「ですが、エイヌ王女ディルマュラさまの御前でその所作は見過ごせません。あなたも貴族の生まれなら、食事作法を学ぶべきかと」

「うん、そうだね。事を為した暁にはきみは国王になるんだ。国王のマナーがなっていないなんて恥以下の醜態だからね」


 ふふ、と笑うふたりの視線すら気付かない様子でリーゲルトは手を止めなかった。



    *     *     *



「うっし、じゃあ昨日の続きからだ」


 食事を終えたリーゲルトは、ライカたちに連れられてまた神殿のはずれまでやってきた。


「続きってなんだ。俺はお前たち全員を殺すんだぞ」

「だから、いまのお前じゃ食堂のおばちゃんにも勝てないって言ってるんだ。お前の悲願を果たす協力をしてやるって言ってんだ。素直に受け入れろ」

「自分たちを殺す相手を育てるのか。……変わってるな」

「強いやつと闘いたいだけだよ」


 そうか、とつぶやいて、ライカの正面に出る。


「ああ違う違う。きょうのおまえの相手はこのふたりだ」


 ライカの後ろに控えていたシーナとユーコがすっと前に出る。


「ふ、ふたり、か?」

「そうだ。状況がいつも有利になることはないからな。強くなるにはできるだけ不利な状況で修練する必要がある。……受け売りだけどな」


 ごくりと喉を鳴らすリーゲルト。


「安心していいですよ。ちゃんと手加減します。ですけどリーゲルトさんは全力を出してください。強くなれないですからね」


 にこりと笑うユーコの脇でシーナも力強く頷く。


「ではライカさん、腕輪、お願いしますね」

「……ほんとうにいいのか」

「無論です。昨日のライカさんは精霊術を使っていませんでした。わたしたちもそうしたいですが、無意識に使ってしまうことも考えられます」


 無論ふたりとも、腕輪がなくとも精霊術を行使できるほどに修練を積んでいる。腕輪を外すことは精神的なブレーキにしかならない。

 だからってよ、と渋るライカにふたりは腕輪を押しつけ、視線をリーゲルトへ向ける。


「いきます!」



「あーーー、ほぐれますぅ~~」


 ほのかにハーブの香る湯気が心を、ほどよい湯加減としっかり足の伸ばせる湯船が疲れたからだを癒やす。

 ライカたち四人は復讐という名の修練を終えると神殿の大浴場にやってきた。

 見た目はほぼ少年のリーゲルトを女湯に入れることにはユーコが難色を示したが、「あたしだって女湯使ってるだろ」とライカが強引に連れ込んでうやむやになっている。

 そのリーゲルトはいま、シーナに頭を洗われている。聞けば、いままで風呂と言えば行水と変わらない、からだの汚れを落とす程度のものしかつかったことがなく、浴場を見たときは、ここが風呂だと認識できていなかった。


「でもライカさん、あんなに難しいことやってたんですね。すごいです」

「あ? そうでもねぇよ。攻撃をいなしたり受け流すのは基礎だろ?」

「つい攻撃しそうになって、それを止めるのに苦労しました」


 てへへ、と苦笑するユーコに、ライカは曖昧に返して頭頂部に乗せていたタオルで顔を拭く。

 いくら普段から修練で体術を学んでいても、それは精霊術を介した、どこか安全策が講じられたものだとシーナとユーコは痛感していた。

 シーナの場合、毎日のようにディルマュラの頭を叩≪はた≫いていたが、それは信頼関係の中で生み出された力加減で成立しているようなもので、出会って数日の年下の少年相手にできることではない。


「ほら耳塞いで。頭の泡流すから目も閉じるんだぞ」


 見ればシーナがリーゲルトの泡を無遠慮に流している。

 幼い頃からディルマュラの世話をしてきた彼女にすれば、暴れる少年の風呂の面倒を見ることなど今日の修練よりよほど楽な作業だ。


「もっと時間かかるかと思ってたけど、素直に言うこと聞いてくれるようになって助かったな」

「わからないですよそんなこと。素直に従ったフリしてるだけかも」

「なんだそりゃ」

「だ、だってスパイものとかでよくあるじゃないですか。真実に近い情報流して油断させて乗り込んで、ってやつ」


 なぜか興奮した様子で語るユーコに笑いかけて、


「んなわけねぇだろ。見ろよあのゆるい顔。野良犬でももうちょっと警戒心あるぞ」

「あー、まあ、そうですね……」

「なんでがっかりしてんだ。もめ事が早く片付くのはいいことじゃねぇか」


 こちらの話し声が聞こえたのか、シーナがふたりに顔を向けて言う。


「ごめんライカ。ユーコはすぐにお話の世界を現実に持ち込むから」


 あーそういうタイプか、と納得する。オリヴィアと話が合っていたからユーコも読書量は相当なものなのだろう。


「いいよ。べつに気にしてないから」


 ん、と頷いて顔をリーゲルトに戻す。


「もう目を開けていい。あとは湯船でゆっくりからだを休めるんだ」

 

 幼子のように手を引かれてリーゲルトは湯船に入る。


「な、なんだこれ、熱いぞ」

「お湯だよ。ちゃんと肩までつかって百数えるんだぞ」

「わ、わかった」


 いまのところは順調。

 そう、思っていた。


「ん、リーゲルト?」


 いない。

 目は離した。

 けれど、ほんとうに一瞬の、まばたきよりも短い瞬間に、


 リーゲルトの姿はかき消えていた。

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