第8話 他人

「お、いまのいいぞ。もう一回やってみ」


 この時間帯に空いている修練場は無かったので、ライカは神殿から少し離れた空き地でリーゲルトを暴れさせていた。


「うるさい! さっさとやられろ!」


 着替えさせた修練服は目分量で選んだが、思った以上に馴染んでいるようでよかった。

 淡い赤の修練服もすっかり汗で濡れそぼり、肌が透けて見えている。

 彼の出身地であるエウェーレルは南国。海も近いため、内乱が起こる以前は季節を問わずレジャーやバカンスに、と国内外から客が集まる観光立国だ。

 そんな南国で育った彼の肌は青白く、なのに体躯だけは平均的な修練生よりも鍛えられている。

 ずっと屋内で訓練させられていたんだろうな。

 彼の外見からそう判断し、だからこんな頭でっかちに育ったのだろうとほんの少し同情した。


「じゃあもっと強くなれ。あたしひとり倒せないでエウェーレルの打倒なんか絶対無理だからな」


 笑いながら拳を蹴りを受け止め、しかしライカからは一切の反撃をしない。

 かれこれ三時間。

 影はすっかり長く伸び、リーゲルトの呼吸も荒くなってきた。

 繰り出す攻撃に精細さは消え失せ、ヒザに手をついて顔から全身から流れ落ちる汗を荒い呼吸で見送るだけになっても、彼から戦意が消えることはない。


「ライカ、そろそろ」

「分かってる。でもこいつがまだやりたいって聞かないからよ」

「ですがもうまともに動けるとも思えません。いまは休息を優先したほうが」


 だよなぁ、と困り顔で返し、リーゲルトに向き直る。


「ほら。今日はもう終わりだ」

「い、いやだ」

「でもおまえ、拳もまともに握れないだろ。そんなんじゃ」

「うるさい! だいたいお前、エウェーレルのなんなんだ!」


 オリヴィアからはとくに秘密にしろとは言われていない。

 だがあのオリヴィアが、自分に対して打ち明けた事実だ。

 

「あたしとエウェーレルはべつに関係はないよ。大人にお前の面倒見ろって言われてるだけだ」

「ぼくは、もう、大人だって……」


 そこで力尽きたのか、ぐらりと倒れ込む。


「っと。やっと電池切れたか」


 優しく抱きとめ、手早く背負う。


「ライカさん、待ってください」


 駆け寄ってきたユーコに「療」の術を施され、ライカは目を丸くする。


「ライカさん一度も精霊術使ってないじゃないですか」

「そりゃ、こいつは使えないからな」

「そういうの、心配です」

「そっか。お前は心配してくれるんだな」


 他意はない。ここにオリヴィアがいたなら、文句を言いつつも治癒はしただろうし、ミューナも同様だろう。


「わたしだって心配でしたよ」

「ん。ありがとな」

「……、ほんとうに、大丈夫ですか?」

「なんだよ。さっき術かけてくれただろ」

「そう、ですけど」


 まだなにか言いたげなふたりを、んだよ、と笑い飛ばしてライカは神殿内部の風呂場へ向かう。

 慌てたように歩き出すふたりに、ライカは小さく息を吐く。


 ──他人、か


 他者との壁を感じるのは、学舎院以来だった。



   *    *    *


 風呂場へ到着したものの、揺すっても頬をぺちぺちと叩いてもリーゲルトが目を覚まさないため一度部屋に戻ってベッドに寝かせ、風呂は翌朝に、と三人はきびすを返した。


 宣言通りライカは椅子で、リーゲルトの足下に陣取って彼がなにかしでかしてもすぐに対応できるよう、どかりと座る。

 シーナとユーコは自分たちも監視する、と申し出たが、ライカはいいよ、とだけ返すだけ。


「それは、わたしたちが要らないということですか」

「んだよそれ。だれもそんなこと」

「言葉以上にそういう態度をとっています」


 あのなぁ、と苛立った声をあげた瞬間、


「あ、そいつに言うこと聞かせたいなら無理矢理割り込むか、頭ぶん殴るしかないからね」


 読んでいた電書本から一切目を離さずオリヴィアが口を挟んだ。

 

「くっっっっっそ頑固で直線莫迦だから、そいつ」


 お前に言われたくねぇよ、と思いつつ、ライカはふたりに視線を向ける。


「ふたりがいらないってことじゃない。なんつーか、こいつとあたしって似たところがあるからな。それで出しゃばってる。悪い」

「自覚、あったんですか」

「まあな。からだが勝手に動いてるって感じだけど」

「でも、ライカさんとこの子の共通点って……」


 性別ぐらいしか思いつかないふたりに、ライカは照れたように。


「ま、そういうことだから、あたしが目障りだったらぶん殴ってくれていい。あたしはそれしかできないんだ」

「いやです」


 きっぱりと、しかし怒ったような表情のユーコに言われ、ライカは目を丸くする。


「修練でもないのに、ただ目障りなだけでライカさんを殴るなんて、やりたくないです。目障りとも思ってないです」


 あまりにも真剣な眼差しで言うものだから、ライカは小さく笑ってしまう。


「な、なんで笑うんですか!」

「悪い。そんな深刻にとられるとは思ってなかったからな」

「だ、だってあんな風に言われたら誰だって!」

「ライカは、いつもそんな感じ。わたしも、最初は驚いたけど、もう慣れた」


 いつの間にか部屋に戻っていたミューナが口を挟むので、ユーコはもちろんシーナでさえ驚いていた。


「お疲れミューナ。メシはどうする?」

「食べてきたから、いい」


 そっか、と返す間にミューナは自分のベッドに潜り込み、そのまますやすやと眠ってしまった。


「え、えっと……」

「ま、今日だけは好きにさせてくれ。あたしだってどうしたいのか分からないし、こいつにこうするのが正しいのかも分からないからな」

「でも……」


 悪い、と手を振ってライカは腕を組み、背中を丸める。


「あ、あの!」

「今日はさがりましょう、ユーコ。みんな慣れない環境と仕事で疲れています。わたしたちも一度休んで、頭とからだを落ち着けましょう」

「……はい」

「じゃあぼくも寝るよ。おやすみ」


 急に声をかけられて、反射的に「いたんですか」と零れそうになった言葉を無理矢理呑み込んで。極めて冷静にシーナは返す。


「珍しいですね、ディルが口を挟まないなんて」

「ぼくだってそれぐらいはわきまえるさ」


 言ってあくびをかみ殺しながらベッドに潜り込む。


「さ、ユーコも」

「……はい」


 釈然としないまま、シーナに背を押されてユーコも眠りについた。


 翌朝、食事の準備をしている間に暴れられても困るでしょ、とオリヴィアはリーゲルトに「眠」の術をかけておき、いそいそと台所へ向かった。

 今日の食事当番は彼女とユーコ。

 と言ってもトースト用にハムエッグを焼いたりコーヒーを用意するだけなのですぐに終わり、六人はそろってテーブルについた。

 テーブルは八人掛けの四角形。木製で背もたれの長い椅子はミューナがひと目で気に入っていた。


「あのさ、ひと晩考えたんだけどさ」


 切り出したのはライカ。

 なんです、と受けたのは対面のユーコ。


「あたしのこと、少し話しておこうと思うんだ」


 ユーコとシーナが頷くのを待って、ライカは自分の生い立ちを話し始めた。

 幼い頃虐待を受けていたこと。それを救ってくれたのが神殿長だということ。

 その際にイルミナは暴れる自分を投げ出さずに受け止めてくれたこと。


「……だからあたしはあいつを放っておけないんだ。あの人と同じやり方ならどうにかできるかもって思ったんだ。だから、」

「ライカさんの言いたいことは分かりました。でもその的になるのはライカさんだけじゃなくていいですよね?」


 にこやかにすごまれ、ライカはたじろぎながらも頷き返し、ディルマュラが、ぱん、と手を叩いた。


「じゃあこの件はこれで手打ちだ。ライカくんはユーコとシーナと共同でリーゲルトの身体面の面倒を見る。いいね」

「わかってるよ。わがままやって悪かった」


 いいですよ、とユーコが返し、シーナも頷く。

 まだ多少の隔たりはあるが、少しは近づけたと思う。

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