第4話 五才児の

 どすん! と地鳴りに似た重低音が修練場に轟く。

 いわゆる震脚の技術と土の精霊術を併用した、オリヴィアオリジナルと言って差し支えない、目覚まし用の技だ。

 修練場の片隅でライカはうつ伏せに、ミューナは仰向けに並べられていたふたりは、その振動で数センチからだが浮き上がり、着地したショックでまずライカがゆっくりと目を覚ました。


「……あ、悪い。また起こさせちまったな」


 ひどい声だ。またノドを潰す勢いで歌ったのだろう。


「いいわよ別に。逃げたあたしも悪いんだから」

「きょうは素直だな」

「あたしだってたまには、ね」


 言いながら、まだ寝息を立てるミューナを揺り起こす。一度目を開けてオリヴィアを視認するとだらしなく笑い、そしてまた寝息を立て始めた。


「ったく。幸せそうにしてさ」


 ここで何かあったのか、とかを訊けば怒り出すのがオリヴィアの性分だとこの一年で学んだライカは、


「あたしが担いでいくよ」

「なにそれ。恋人気取り?」

「ちげーよ。……あたしなんかがこいつと、そんな風になれるわけないだろ」

「なんでよ」


 よいしょ、とミューナを担ぎ、ため息交じりにライカは言う。


「あたしは、野良犬の方がまだマシな両親から産まれて、ミューナはお姫様だぞ? 釣り合うわけないだろ」

「そんなカップル、神殿ならいくらでもいるじゃない」

「そいつらはそいつらでうまくやってるんだろ。あたしには無理だ」


 ふうん、と返すオリヴィア。

 その言い方に眉を少し上げるライカだが、そこでやめた。

 かわりに出口まで歩き出す。オリヴィアも少し遅れて歩き出し、何気ない口調で言う。


「あのさ、言い忘れてることがあるんだけど」

「……なんだよ」

「あたしも、オヒメサマらしいから」


 そっか、とだけ返して、足を止めようともしない。

 普段ならそんなことを気にするどころか、こんな話題を口にすることすらしないのに、いまばかりは無性に癪に障った。


「な、なによそれ。もっと驚くとかしないの」

「お前が王族だからなんだってんだよ。跪いて手の甲にキスでもしろってのか? やってもいいけど、それやらせたらお前、分かってんだろうな」


 だれもそんなこと、と思いつつも、口にしたのは真逆の言葉だった。


「なによそれ。やらせたらどうなるってのよ」

「一生傅いて、敬って、ミューナ以上にお姫様として扱ってやるって言ってんだよ」

「本気で言ってんの、それ」

「冗談で言えるかこんなこと」


 声色にウソはない。

 だから、本当に実行するだろう。

 ライカは嘘はもちろん、こういう類いの冗談も大嫌いだとこの一年で知っているから。


 じっと、ライカは背を向けたまま、オリヴィアはおんぶされるミューナの背中を見ながら、しばし時間だけが流れる。

 

 ライカが歩き出さないのは、オリヴィアが振り返らないのは、決して打算だけではない。

 お互いがお互いをそういう風に感じていたことに、お互いが驚き、やがて同時にライカは振り返り、オリヴィアは頭を下げた。


「……悪い、言い過ぎた」

「……ごめん、余計なこと言った」


 ライカが頭を下げないのは、眠っているミューナを起こさないためであり、オリヴィアも察しているからそこに腹を立てることはない。


「……ん。さっき思うように動けなかったから、当たった。悪い」

「いいわよ。あたしも昔のこと思い出して機嫌悪かったし」


 そっか、と返して苦笑する。

 考えてみたら、オリヴィアとケンカするなんて初めてかもしれない。


「なんか、お前のそういう顔、はじめて見たな」

「しょうがないでしょ。やっと塞がりかけたかさぶた剥がされたんだから」

「へえ。お前が言い返さないなんて珍しいな」

「本当のことだし、悪口でもなかったからよ。相手がオヒメサマだったっていうのもあるけど」


 ふうん、と相づちを打ってライカは背を向ける。


「あたしは帰る。お前はどうする?」

「帰るわよ。お腹空いたし」

「じゃあなにか買ってくか」

「そう言ってご飯当番サボるつもりでしょ」


 バレたか、と笑ってふたりは歩き出す。


「そういやお前、神殿長に呼び出しくらってたけど、なにかやらかしたのか?」


 くるりと振り返って、けれど脚は止めずにライカは意地悪く言う。


「してないわよ。……あんたとミューナの進展具合訊かれただけ」

「……は?」

「あたしだってそんな顔したわよ」


 だろうな、と苦笑し、はっと気付いたように目を見開く。

 

「な、なんて答えたんだ」

「よくしらないから分からないって言っておいたわ」

「そ、そっか。悪い」

「悪いもなにも、あんたたちが思わせぶりなことやるから、あそこまで話が広がったんじゃないの」

「……、まあ、そうだけど、よ」


 ここで話題を切ったほうが、精神安定上絶対によいのだとオリヴィアは察知している。が、踏み込んでおかなければうかつに誤魔化すこともできない。


「なにがあったの、あの日」

「あ、あ、あの日ってなんだよ」


 顔が真っ赤だ。

 こういうときばかりは本当にわかりやすい反応が出る。


「あんたが遭難して帰ってきて、神殿長にお説教もらった後。もっと言えばあたしが部屋から出て行ったあと、ミューナとなにしたのよ」


 ここでどちらかが押し倒した、と聞いてもオリヴィアが懸念するのは避妊したかどうかだけ。万が一授かりでもしたら、祝うのは別として、ミューナが離脱すれば自分の成績に響く。


 ちら、と寝息を立てるミューナに視線をやって、ライカは意外にも素直に言った。


「寝惚けたまま、好きだって言ったんだ。ミューナも、わたしも、って返した。それだけだよ」

「……え?」

「何回も言わせるな。恥ずかしい」

「それで、終わり?」

「そうだよ。もう行くぞ」

「あ、う、うん」


 五才児か。

 おまえらの恋愛観は。


 でも、仕方ないことだろう。

 ライカもミューナも六歳頃からはもう将来を見越して学舎院での勉学と精霊術の修練を並行していた。

 陰口なども当然あったが、それらを無視してふたりは勉学に励み、修練に精を出していた。同い年の友人など、まして恋人など作る余地などないほどに。

 結果、大人へのコミュニケーションは問題なく育ったが、同年代の友人相手へのコミュニケーション能力は皆無と言ってよく、いわんや色恋に関してなど。

 はぁ、とため息を吐いてオリヴィアは帰路につく。

 このふたりの色恋がどう進展しようと知ったことではない。

 自分は、神楽宮に行ければそれでいいのだから。


 出口にさしかかったころ、大人がひとり修練場に入ってくる。

 一番顔を見たくない相手だった。


「あーいたいた。やっと見つけた」


 クレア・ロックミスト。

 三人の師匠であり、上官にあたる女性だ。

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