第3話 ふたりの王女

「あああもう! 莫迦じゃないの!」


 自室へと続く廊下を歩きながら、オリヴィアは耐えかねたように怒鳴る。


「ほんとにあんなことを話させるためだけに呼びつけるなんて!」


 でも、と思う。

 伏せていることはある、と神殿長は言った。

 毎日のラジオニュースでは、エウェーレルの内乱が鎮圧して以降、騒乱の火種は兆候も報じられていない。

 とは言っても火種が報じられている時点でその地方を管轄する神殿や枝部は動いているだろうし、全く関係の無い箇所から一気に燃え広がることも多々ある。

 なにより、神殿が結成された真意と、その相手となる存在はニュースでは報じられることがないのだ。

 ぐるぐる考えて、いまの自分の立場や神殿長の態度や諸々を鑑みて。

 吐きたくも無いため息が出てしまう。

 

「あーあ。結局出ることになるんだろうな……」


 半ばでまかせだったエウェーレル枝部の件。

 本気で考えてみようかとすら思い始めたそのとき。


「やあオリヴィア。探したよ」

 

 ディルマュラが鬱陶しいほどに爽やかな笑顔で、片手を上げて挨拶をしてきた。

 クレアとの関係が進んで、彼女のナンパ癖は落ち着いたが、ふたりの関係をあれこれ妄想する修練生や教員、果ては清掃のおばちゃんたちからの人気はむしろ上昇し、抜け駆けしようとする者まで出始めているらしい。


 だが、自分の進路を邪魔しない相手の存在などどうでもいいオリヴィアには、ただの鬱陶しい女としか認識されていない。


「何の用でござらっしゃいますか。オヒメサマ」

「その前に、改めて礼を言わせてもらいたい。ルイマ村のこと、本当に助かった。ありがとう」

「ルイマ村?」

「ああ、ユカリ・セル・シャイナ嬢の里のことさ」

「ユカリ……?」


 より深く首を傾げられて、ディルマュラは少々困惑した。


「きみが立秋祭で資金援助してくれた村とそこ出身の修練生のことだよ」

「ああ、あの。……じゃあエイヌ領だったのね。ごめんなさいね。余計なことして」

「ぼくは、礼を、言いに来たんだ。卑屈にならないでくれ」

「ごめんなさい。性分だから」

「まあいい。ともかく、あの村は限界集落でね。議会でも最低限以上の保護を行う必要はないという意見が多数派だった。枝部はよく支えてくれていたけど、神殿長もあれ以上は人員や予算を割けないから、と難色を示されていた」


 なにそれ、と渋面を作る。


「大人たちの言うことは尤もなんだ。予算には限りがある。老人が大半の、これと言った特産物のない村を助けるよりも、との判断は、納得はできないが当事者で無い者からの意見としては真っ当だからね」

「なによその言い方」

「ああ。ぼくは子供だから、エイヌ三百万の民全てが幸せであるべきだと考えるし、どんな困難な道であろうと実現すべきだと思う。でも、ぼくは子供なんだ。議会での発言権も無いし、動かせるお金だって、里ひとつを永続的に援助するような額はとても足りない」


 こいつは、分かっているのだ。

 あれだけ軽薄な振る舞いをしていながら、王家の一員として、世界に対してなにが出来るのかを。


「だから、あのお金はありがたく使わせてもらうよ。ありがとう」

「実際にお金を出したのはエウェーレル。間違えないで」

「でもきみの言葉がなければ、動くことの無かったお金さ」


 屈託のない笑みが、あの日の自分のわがままをあぶり出されているようで、オリヴィアは視線を外してしまう。


「これは単純な貸し借りじゃないんだよ、オリヴィア」


 優しく丁寧に言われ、オリヴィアは苛立ちを隠しきれずに強く息を吐く。


「あのねぇ、」

「お金が動くということはひとも動くということ。ルイマ村へお金が流れたことで我がエイヌとエウェーレルには交流が生まれ、ぼくときみとの間にあった縁が強くなった。このことが一番重要なのさ」


 にこりと微笑まれ、オリヴィアの苛立ちは霧散してしまった。


「まあいいわ。それよりなんで今更なのよ。立秋祭から半年ぐらい経ってるのに」


 風の神殿は秋を司る。そのため立春、夏至、冬至のお祭りは参道に屋台を出して神楽が披露される程度。そんな風に行われた立春祭も先日終わり、ライカたちは修練の日々に戻っている。


「ずっと調査していたからね。だから、きみの本当の素性も知ってしまった。すまない。そこまで踏み込むつもりは無かったんだ」

「べ、べつに謝ってもらう筋合いは」

「でもきみ自身が公表していない事実だ」


 きっぱりと、強い瞳で言われてオリヴィアは否定することを止めた。


「大丈夫。この情報を開示するつもりはないよ。エイヌの王女として、なにより級友として誓う」

「……そう。ありがと」

「でも、きみの器量なら十二分に務めを果たせると思うよ」


 ウィンクも添えられて、殴りたくなったががまんした。褒めてほしい。


「話はそれだけ?」


 いや、と首を振る。


「ライカとミューナが修練場でダウンしてるから、運んでもらいたくてね」

「だからなんであたしが」

「ルームメイトだろう?」

「ただの同居人。ぶっ倒れるまで歌ったなら、自業自得。……それよりなんであんたは平気なのよ。一緒に歌ってたんでしょ」

「ぼくがクレアと本気で闘うのは卒業試練の時だけと決めている。ライカたちにはすまないけれど、少々加減したよ」


 あっそ、と雑に返して、


「ああもう、しょうがないから行ってやるわ。あのくそ莫迦はともかくミューナは心配だから」


 ふふ、と余裕たっぷりに微笑むディルマュラが心底鬱陶しい。

 けれどここで突っかかれば、またぞろ長い話に付き合わされるだろうから、と怒りを引っ込めた。


「まあいいわ。教えてくれてありがと。オヒメサマ」

「きみ……も、あまり無茶をしないようにね」


 なにか言葉を呑み込んだように感じたが、気持ちはもうミューナたちに向いていたので追求はしなかった。


「じゃあね。あんまり余裕たっぷりだと維穏院長にぼこぼこにされるわよ」

「忠告感謝するよ。じゃあ」


 典雅にお辞儀をして歩き出す。

 ん、と返したオリヴィアが走り去り、足音が聞こえなくなって、ディルマュラは大きく息を吐いて壁に倒れ込むようにして寄りかかる。


『まったく。無茶にもほどがあります』


 廊下にディルマュラではない女声が響き、直後彼女の影がぬぅっと起き上がり、別の人型を作り出す。

 エイヌでは彼女の専属メイドとして働いているシーナだ。

 すらりと長い手でディルマュラを抱き寄せ、「療」の術を展開する。


「なにが加減した、ですか。大体、あんなに長話をするんだったら治療を終えてからでもよかったじゃないですか」

「ぼくにも、プライドぐらいあるさ」

「意味が分かりません。ディルがいまそうなってるのは修練の結果であって、オリヴィアとは一切関係がないことでしょう」

「あるさ。ぼくにとっては、ね」


 そうですか、と投げやりに応え、ディルマュラを小脇に抱えて、シーナは音も無くその場を去って行った。

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