第96話・4回、捕手の力量
平業の応援団団長、華川は試合展開を焦れったく感じていた。
(くっ、分かってはいたが、奏矢はやはり勝負してもらえないのか!)
「あのー、団長、次の曲を……」
「へぁ!? あ、あぁ、すまん」
渋々応援に来ているから、ちゃんとは試合を見ていない団員達と、嶋への下心込みで真面目に試合を見ている団長華川とでは若干温度差が生じていた。
それもその筈。
何しろこの試合を観に来ていた他校の選手達ですら若干退屈するほど試合が動いていない。
いや、本来試合が動かないはずがない実力差なので、そちらは驚かれるべきなのだが。
(絶対勝てよー奏矢ァ……!)
そんなことを考えもせず、華川は嶋にご執心であった。
そんな雰囲気が伝わったのか、応援されている本人は鳥肌がたっていたのだが。
一方その頃、(自称)迅一のライバル、神木と新宮も試合を観に来ていた。
「驚いたな。まさか火山がここまで封じ込まれるとは」
「笠木兄は予想通りとして、他はまるで打てていない。平業の投手は、準決勝まで勝ち進むチームのエースってのは伊達じゃない、ってか」
この二人は元々顔見知りであるが、中学時代との変わりようにお互い驚き、そのきっかけとなった人物の悪口で一通り会話したあと、二人セットで試合を観に来ることになった、というのはここだけの話。
「とはいえ、練習試合の時はそんな感じしなかったけどな。寧ろ、菅原や泉堂の方が、まだエース感があった」
「何か気持ちの変化があったのかもしれないな。平業はチーム全体が良い意味で変化したように思う。まぁ、本人達にどれだけ自覚があるか分からんがな」
新宮は準々決勝以降、それまでとは一転、他チームの選手を認めるようになっていた。
神木はその発言を聞いてひっくり返りそうになったが今は動じていない。
「嶋さんや烏丸さんが、敗北の中で積み上げてきたもの、目標にしてきたものが、森本の加入で一気に現実的になった。勿論他の一年も目を見張るものはあるが、アイツ一人でまるで別のチームに化けるようになったのは事実。本当嫌になるぜ」
「二人目だな。オレが一生かけても勝てないと思った同級生の選手は」
「一人目は菅原柊古か? 確かに奴は凄まじかったな。同地区じゃないだけ救いだったが、置き土産がそれを凌いできた」
「そうだ。あの野郎、驚異的な成長速度で俺らを超えやがった。案外、一番に柊古を倒すのは、兄貴のジンかもしれねぇ」
和解して以来、新宮の中での迅一への期待はかなり高まっていた。
素直に認められるようになった影響もあるが、一番は柊古のかつての発言が頭に引っかかっていたからだ。
『いずれ分かる。本当に凄いのは僕じゃない。兄さんの方だって。怪物の神木、天才の森本、神童の新宮。そこに並ぶのは兄さんだ』
『そうだなぁ、その三人に並べるなら、最優、としようかな』
(柊古。お前にはどこまで見えている? 一体どんな未来を迅一に期待しているんだ?)
「新宮?」
「ん? 何でもねぇよ」
「おや、シュウちゃんの話してる奴がいるなと思ったら、珍しい面子がいるな」
「「ん?」」
後ろから声をかけられて、二人が揃って振り向くと、そこにいたのは先程準決勝を終え、決勝への進出が決まったチームのジャージを着た男だった。
「お前、海王の高見か?」
「知ってんのか、新宮」
「同じ中学の、軟式野球部のメンバーだよ。つまり、ジンのチームメイトだった奴だ」
「はじめまして。霧城の神木君だよね。海王高校の高見です」
「あ、あぁ。こりゃどうもご丁寧に……」
掴みどころのない、どこか飄々とした様子の男に、神木はどこか困惑していた。
「そんなに警戒しないでよ。先輩達と試合見ても面白くないからさ、一緒に見てても良いかい?」
「俺等は別にいいけどよ。お前はいいのか。海王の連中、あそこにいるけど」
「チームに一人くらいは違うところから試合見るやつが必要さ。それに怒られても別に構いやしないさ」
この自信はどこから来るのだろうか。
「それにしても新宮。君は随分と変わったね。きっかけは、あの準々決勝かな? それまでは僕のことなんか名前を覚える気もなかっただろうに」
「まぁ仰るとおり、とだけ言っておこうか。そっちこそ何の用だ。海王高校唯一の、一年生レギュラーがよ」
新宮は何気なく言っているが、その発言を聞いた神木は衝撃を受けた。
迅一の出身、秦野中は万年一回戦敗退の弱小校。
そんなチームに、海王高校でレギュラーをとれるクラスの選手がいたというのか。
「それは別に関係ないよ。今は親友のプレーを観に来たんだから。その話をしようよ」
「親友?」
「そうか、神木君は知らないんだっけ。中学時代の迅一の話。迅一自身には、全く自覚はないと思うけど、僕達チームメイトにとっては」
「英雄だったんだ」
一方その頃。
平業の攻撃は、四番の郷田真紀から。
塩田も投手経験の浅さが出てきたのか、1イニング目の投球からクオリティはガクッと下がる。
真紀は初球の甘い球をしっかり捉え、レフト前シングルヒット。
(涼しい顔して、当たり前のように逆方向に打ちやがるな……)
自分に代わって四番に指名した男だが、自分の目は間違っていなかったとほくそ笑む嶋。
自惚れかもしれないが、自分は恐らく大抵の打席では勝負してもらえないような気がしていた。
そんな自分が四番ではチームの攻撃は恐らく繋がらないし、何より怪我で長らく出られなかった自分が、全てを出し切ってここまでの勝利を掴み取ってきたチームの打撃の要に居座っていいものか、と。
本当なら五番にだっていたくない。
下位打線、ベンチでも文句は言わないつもりだった。
でも、仲間達が、自分の居場所はここだと、そう言ってくれた。
俺がどんなに退こうとも、その倍の歩幅で詰め寄ってきては手を引いてくれる。
(俺も馬鹿だ馬鹿だと言われるが、お前らも大概だよ。……報いるぜ、お前らの期待に)
クリーンナップに居座る者が、主将が、勝負してもらえないからって、黙って打席に立っているわけにはいかないのだ。
塩田は戦慄していた。
チームの、投手陣の意志は統一されている。
嶋とだけは勝負するな。
塩田も勝負しろなんて言われたら、冗談じゃない、と逆ギレするところだった。
久実と同等以上の打者に何故自分が勝てると思うのか。
だから外したのだ。
敬遠策、それがこの試合の方針。
とはいえ、分かりきった敬遠球では試合の流れに影響を与える恐れがある。
少なくともギャラリーの印象は悪くなる。
なので、ゾーンから外したボール球で塁に出そうと思った。
身体の近くのボール球、アウトコースのゾーンから1個半分離れたボール球。
これなら勝負してる様に見えるはずだ、と。
アウトコースはまだ良かった。
届かないところは嶋といえど流石に振ってこない。
問題はインコースだった。
普通だったらのけ反るくらいの、本当にデッドボールスレスレのコース。
それを。
打った。
嶋は、打ったのだ。
打球の行先は、当然のように、レフトスタンド。
「は、入った……」
「嘘だろ……」
「あれ打つのか……?」
挙げ句の果てには、味方の平業側がこれを言う始末。
盛り上がるどころか、場内全員漏れなく唖然、という感じだった。
マウンドに駆け寄ってくる桃崎も、
「あれを打たれちゃ敵わんな……」
などと言う。
そう言うしかあるまい、というのは理解できる。
あのコースを打てる人間は、本当に人間なのか。
プロ野球、否、大リーグでもまずいないだろう。
火山は、試合に大きく影響を与える2点を与えてしまった。
マウンドに集まる火山ナイン。
「ヤバいなアレ」
「冗談じゃねぇぜ。あんなのを抑えられる投手いんのか」
「塩田、大丈夫か?」
「大丈夫に見えるか……?」
チームメイトにも不安が広がって見える。
打たれた塩田自身も、手の震えがおさまらない。
「あれは別格だ。気にするなよ。打撃陣が取り返せば勝ち筋はある」
「久実……」
「自分で言うのもあれだが、このチームには俺がいる。俺が必ず繋げる。取り返す。だから、今は目の前のプレーに集中してくれよ?」
笠木久実。
火山高校主将。
この男の言葉の、積み重ねてきた実績の、姿の、何と、頼もしいことか。
「よし、後続抑えるぞ!」
「「「おぉ!!」」」
(山はもう超えたんだ。残りを確実に止める!)
塩田は静かに覚悟を決め、後ろの三人を連続で抑えた。
3対1
神宮球場のスコアボードに刻まれた、信じられない数字。
いや、火山側が3ならありえただろう。
平業側が優勢であるが故に、観客は驚いているのだ。
「自分の目が信じられないですよ。まさかデッドボールスレスレのあれを打つなんて」
「まぁ本来なら避けて見逃すか、当たるかを選ぶけどな。いつ勝負してもらえるかも分からんのに、打てるとこに来たなら、まぁ打つよな」
「それはできないんですよ普通。あれだって見てから、打てる体勢考えながら、踏み込んだんですよね?」
「そこまで考えてない。ぶっちゃけ若干ムカついたから踏み込んで振った。勝負する気ねぇのかってな」
「自分が守備側だったら嫌ですよ、そんな打者。まぁでも、これで向こうは完全に勝負を避けるでしょうね。笠木鈴が出ない限りは」
「出たら勝負してくれるかな?」
「俺ならしない、としか」
「だろうな。ま、出すしかない状況に追い込めるかが、まずは課題だな」
口笛を吹きながら守備に向かう嶋。
その背中を見て京平は思う。
(出ないわけないだろ。嶋奏矢を相手にしてんだからな)
平業の攻撃が終わり、対する火山の攻撃。
国光は変化球を駆使してテンポよくツーアウト。
問題の四番、笠木久実との対戦を迎える。
「やぁ、世話になるね」
「敬遠しますよ」
「しないだろ。君は」
何気なく話しかけてくる久実と、それに素っ気なく応える京平。
(マジでどうすっかな。毎回毎回ギャンブルするわけにはいかねぇぞ)
仕返しで嶋がホームランを打ったので、スコア的には優勢なものの、自分達も第一打席で打たれてしまっている。
なので、可能な限り冷静に、勝率の高い作戦で挑まねばならない。
敬遠しても良いが、それでは流れを持ってくることができない。
流れを持ってくるには、敵の軸となる選手を倒す必要がある。
(さっき打たれたのはアウトローの直球。やはり簡単にゾーンで勝負するのは得策とは言えないか……)
ありえない程完璧に捉えられた打球だった。
まるで心を読んでいるかのように、待ち構えていたかのように。
(そもそも簡単に打てるようなコースや球質じゃねぇんだ。どういうタネで打ってんだこの人)
ズルではない。しかし何かしら仕組みがあるこは間違いないであろう、という確信が京平の中にはあった。
国光はその素質こそやはり笠木兄弟や嶋には及ばないものの、努力で超高校級の領域にまで踏み込んだ投手。
それから簡単に打てるものではない。
少なくとも、どんなエリートや天才だとしても、絶対という解答はないのだ。
しかし久実は何かしらの工夫によって、限りなく絶対という言葉に近付いている。
(それを暴かないことには、勝てない。これが問題なんだよな。何投げても打たれるから)
野球の勝負には、というかどんなスポーツ競技にも、運の要素は必ず絡んでくる。
しかし、この笠木久実相手には運が味方につかない、完全な実力勝負。
つくとしてもそれは久実の方であり……。
(よし。リード変えるか。変化球軸にしよう)
シュート、スローカーブ、フォーク。
ストレートで組み立て、そこにこの三種を織り交ぜるのが定石ではある。
しかしもう手段は選べない。ありとあらゆる可能性を試すしかない。
初球、スローカーブのサイン。
(外れてもいい。腕をしっかり振ってください)
頷く国光。
しかし、その目は京平からは見えない。
(ん? 何か様子が……)
国光の手から放たれたボールは、大きく外れ、大きく弧を描き、
ポスッ。
「ストラーイク!」
「は?」
「ほう……」
審判の高い声。
間抜けな京平の声。
冷静な久実の声。
「「「はぁぁーーーー!?」」」
……響き渡る観客の声。
「驚いたな。まさかここで進化してくるとは」
「俺の台詞ですよ。そんな予兆どこにも無かったのに……」
今投げた国光のスローカーブ。
球速が落ち、しかし大きく曲がる為に打ちづらい、ストレートと組み合わせる事で必殺級となる変化球。
元々持ち球であり、国光にとって一番最初に覚えた変化球であるそれは、既に完成と言える領域に達していた。
と思っていた。今この瞬間までは。
それがこれまで以上の変化量、キレを伴って投げられたのだ。
久実の背より後ろから大きく曲がって、膝の高さ、インローに。
曲がり、さらに落ちる。
何より周りが驚いたのは、久実が反応できなかった事だ。
どんなコースであろうと打っている久実が、手を出せなかった。
それはチームメイトも、彼に倒されたライバル達も、揃いも揃って驚くしかなかった。
(これ、もしかしてだけど、国光さん、入ってるのか?)
まだ勝利したわけではないが、この結果が後押しとなっているのか、国光の眼は、輝きを増している。
それを見て、京平は一つの可能性を思う。
迅一がそうであるのだから、迅一以上の経験や努力を積んできた国光であるなら、ありえてもおかしくはない。
(極限の……集中状態に!)
京平は再びカーブを要求する。
二球連続のカーブ、流石に久実も振ってきたが、ボールはさらにバットの下を通る。
(兄貴が、目測を誤った……?)
その光景を見て弟の鈴も驚く。
初球よりも低く、鋭く落ちるカーブ。
久実が、まるで対応できてない。
そして、三球目、一抹の迷いもなくストレート。
落差、球速差、コース、違いはいくらでもある。
久実は、ただのストレートなら打てる。
しかし、カーブと全く同じフォームで集中状態で放たれる、進化したストレートに、久実は、
「ストラーイク! バッターアウト!」
空振り、三球三振での敗北を喫した。
球場の、特に火山側のスタンドはざわついていた。
あの、笠木久実が、絶対的打者が、三振したのだ。
圧倒的に格下である筈の、平業のエースから。
敗北を突きつけられたのだ。
ベンチに戻ってくる久実。
そして彼に駆け寄るチームメイト達。
「お、おい久実」
「大丈夫か?」
声をかけるも、不安が何処かにある。
今大会ほぼ無敗の男が、初めて敗北した。
そレに何を思うかは、本人のみぞ知るところだが……。
「心配いらないよ。これは勝負だ。俺だって勝ってばかりじゃない。負ける事もある。だから心配するな。次は勝つよ」
久実は明るく話し、守備の準備をしつつ、チームメイトとの声出しに向かっていった。
「兄貴がああ言ってんです。そう心配するこたぁありませんよ。それより、他にやることあるでしょ?」
まだ動揺がおさまらない者達に鈴も声をかけて、ベンチに下げさせる。
それを見届けて、兄の姿を見る鈴。
(明るく振る舞ってるけど、一目見りゃ分かる。ありゃ相当堪えたな)
久しぶりに味わった敗北。
久実も人間であり、三振や打ち損じはある。
ただ、全く掠りもしない、という事はなかった。
久実は堅実なプレーに徹することが多く、明らかなボール球は見逃し、際どいところやストライクゾーンに来たら切れる覚悟で振る、というスタイルをとる。
先程のカーブも、久実はゾーンに来ないと思ってバットを出さなかった。
しかし、実際はゾーンに入るところまで曲がり、ストライク判定。
この時点で、判断の誤りと、それを認識して尚バットを振れなかった事に驚いたのだが、まぁまだそれは良い。
問題は、最後のストレート。
当たるという確信があった。
確実にスタンドまで飛ばせると、芯で捉えられると思っていた。
久実の投手が投げた球を判断できるチェックゾーンはかなり広く、そこを抜けてからボールが何かしら変化することはないし、したとしても、大した影響はない。
だが、今回のストレートにおいては。
(チェックゾーンを、一瞬で抜き去って……)
「国光さんを侮ってたよな、兄貴」
「鈴……」
「すげぇよな。ここまで伸びるんだぜ。キャッチャーが違うだけでよ」
鈴の言葉は、決して桃崎や他のキャッチャーを、ましてやかつてはバッテリーだった兄を批判する意図のものではない。
純粋に森本京平という捕手を称える言葉である。
「アイツのリードで打たれるなら仕方ない。アイツならどんな球でも受け止めてくれる。そんな安心感があるだけで、投手の気持ちってのは全然変わってくる。そう思い込ませるのが上手いんだ、森本は」
「それだけで、国光君はあそこまで変わるか?」
「変わるのさ。実際目の当たりにしてきてるはずだ。俺も兄貴も、菅原迅一という実例をな」
全国どころか、予選の二回戦どまりの中学出身の投手が、今や世代トップクラスの選手達と堂々とやりあっている。
その領域に至れたのは、本人の努力は勿論、それを活かす捕手の存在が大きかった。
「もし彼が火山に来ていたら、どれだけ違ったかな」
「さぁ? 俺には合わねぇだろうからな。三和と組むのが一番気楽だ」
「一応先輩だぞ」
「分かってるよ。組めるのは今年まで。だからこそ……」
「俺が連れてくんだよ。兄貴も三和も、甲子園に。国光さんも、森本も、俺が倒す」
(そして、出てくるんならお前もだ。迅一……)
鈴は密かに牙を研いでいる。
四回終了。
3ー1で平業優勢。
五回の先頭打者は九番国光、五番桃崎。
弱小、マウンドに上がる 下り坂 @hikageniwatori
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