第94話・二回、削り合い

 二回表、平業の攻撃。

 先頭、六番石森。

 肩が温まった佐藤の豪速球に振り遅れ、投手ゴロに倒れる。

「アンタらあんなのどうやって打ったんだ……」

「ま、立ち上がりだったしな。それにこのアウェーの空気感。二巡目以降は厳しいだろうさ」

「やっぱり、プレッシャーありますよね?」

「あるな。会場の空気が、火山高校の空気で温まっている。戦況的に有利なのはこちらのはずなのに、流れは向こうが握ってやがる」

 佐藤の球速は他チームのエースのそれを凌ぎ始めていた。それに加え、火山攻勢の空気。

 圧倒的な火山の覇気に一瞬怯んでしまったが故に、試合の空気は火山が作ってしまった。

 今はまだ猶予がある。だが、どこかで捕まれば、必ず牙が襲いかかってくる。

 こんな恐怖と戦わなければならないのだ。たまったもんじゃない。

「しかし、ムービングとはいえ、金属バットの高校野球でストレート一本ってのは、投げてる本人も中々メンタル削ってる気もするけどな」

「ですね。ましてやノーコンなら、打者の得意コースに投げちゃったら、とか考えますよ。まぁ制球良いやつでも考えると思いますけど」

「だな。むしろノーコンだからこそ、割り切ってパワー全振りで勢いよく投げれるのかもな」

 京平と烏丸の考えはほぼ当たっている。

 前提として、狙ったコースに直球変化球問わずバシバシ決めている国光や笠木鈴が基準になって、感覚が麻痺している彼らはおかしい。

 佐藤レベルは論外だが、大半の投手はどうしても狙ったコースからそれなりにズレるものだ。

 しかし、全く狙えないわけではない。

 だからコースを突く欲が出て、制球に意識が向き、無意識に力を押さえて投げ、結果、本来の球質よりも少し押さえられた投球になる。

 しかし、佐藤は制球をガン無視した。はなから自分の制球が良くなると思っていない。だから球速に振り切った。

「どうする?球数進めば進むほど、向こうのエンジンは温まっていくぞ」

「まぁ、現状は甘い球を見逃さないってのが最善策ってことになるんですが……」


『ストラーイク、バッターアウト!』


「……甘くても、当たらなきゃ意味ないと」

「はい……」

 鷹山のフルスイング虚しく、空振り三振。

 彼も来た球を全力のスイングで飛ばすタイプなので、まぁ当たらないこともよくある。

 カーン。

「あっ、当たったな」

「……当てさえすりゃ、飛ぶやつもいると」

 八番打者の荒巻、華麗なる流し打ち。

「あれもあれで、女子選手とは思えない肝の座り方してるよな」

「慎重に見てた筈なのに、いけると思えばすぐ振りますからね」

「ったく、フィジカルに自信ねぇとか言いながら、華麗なプレーしやがる……」

「でも好きでしょ、ああいう選手」

「あぁ。思わずファンになっちまうくらいには」

 一個上の先輩を魅入らせる荒巻薫の技術は、最早並の選手の領域を超えていた。

 俺が見つけたんだぞ!と、後ろの星影の大声は聞こえなかったことにする。


『ストラーイク!バッターアウト!』


「……さっきも見た気がするな、これ」

「……ですね」

 エース国光、清々しい程の空振り三振。



 二回裏、火山高校の攻撃。

『四番、ファースト、笠木久実君』

 打席に立つは世代最強右打者、笠木久実。

 世代最強左打者、嶋奏矢と対をなすスラッガー。

 今の三年世代において、四強の代表選手と嶋が西東京に集結しているのは、他の選手にとって理不尽であり奇跡である。

 フォークとストレートを武器に三振と凡打の山を築き、故障の中でも完投するスタミナとメンタルを兼ね備えた霧城投手の富樫観月。

 足と肩の強さを持ち味に加えて無限ともいえる程のリード、千治捕手の尾上信広。

 あらゆるポジションをこなし、走攻守全てで安定的な結果を出す、海王のユーティリティ新橋天豪。

 そして、圧倒的な打撃技術とフィジカル、ハンドリングでチームを支える火山一塁手、笠木久実。

 同じく神がかった打撃と守備でチームの力を押し上げ、更に自身もまだまだ進化を続ける可能性の塊、平業三塁手の嶋奏矢。

 特に笠木久実は、この代の怪物の中でも代表格。

 野球IQの高さは、この五人の中でもズバ抜けている筈だ。

(今まさに、その悪夢のような男と対峙しているわけだが……)

 京平は冷や汗が止まらなかった。

 それもその筈。

 練習試合でただでさえ厄介だったこの男が、今日はチームの打撃の中心、四番打者の立場に座っており、更に今回は最後の夏を懸けた戦い。

 今年こそは夏の海王を制し、夏の甲子園に行くというかねてからの悲願を果たす為の、所謂、

(四番は三年になってからは初めての筈だが、それでも去年の夏までは一年からずっとやっていたんだ。手強い、怖い打者なのは間違いない)

 国光の体力をなるべく削がないように、かつ強気で攻めるように、慎重に配球を考える。

(ランナーはいないんだ。一点はない。気楽に、広くコースを使って攻めてみるか……)

 徹底的にクサいコースに、徹底的に打ち辛い球で、徹底的に攻める。

 最悪フォアボールでも、と言えるわけではないが、まともに勝負できる相手でない以上、避ける分にはしょうがない。

 しかし、どこに投げさせるか決心がつかない。

(なーんかボールゾーンでも打たれる気がするんだよなぁ……)

 さっきの嶋よろしく、敬遠球にも手を出しそうな予感がする。

 鈴は勿論のこと、久実は久実でアクセルがかかりやすい性質タチだ。

 対抗心メラメラ、容赦なくフルスイング。

 ……ありえる。

(タッパあるから下手な敬遠だと届くんだよなこの人。……ええい、ままよ!)

 ここじゃ、ここに来るんじゃ!

 とミットを構える。

 今日の国光は制球もバッチリ。

 上手いこといってくれ。

 と、天に祈りながら。

 アウトロー直球。






 それは無情にも、スタンドに消えていった。







 二名を除き、唖然とする平業ナイン。

 京平は勿論、烏丸や他のチームメイトも。

 しかし嶋と国光だけは驚いた様子はない。

 打たれた国光に関しては、対抗心メラメラといったような顔をしていた。

(歩かせるべきだっただろうか……)

「流石の天才捕手様のリードでも、久実は抑えられなかったようだね」

 次いで打席に立つは五番の桃崎。

「審判、これは侮辱行為では?」

「……フム」

「おうおうおう、言ってくれるね」

「こっちは最高最悪にムカついてんだ。あまり刺激しないでもらって良いですか」

「ま、だろうね。……アレにゃ、凡人がどんだけ背伸びしても勝てないんだ」

 桃崎はあくまでも静かに語る。

 練習試合の時にはそんな印象は受けなかったが、火山の五番打者の座に就くということは、それ相応の実力の証明となる。

 彼もまた、今求められている打てる捕手の一人。

「僕は、久実が一塁手に転向コンバートしなかったら、火山でレギュラーになることのなかった選手だからね。……劣等感を抱いているのは、坂本だけじゃないよ」





 ニ年前、冬。

「三和、ちょっと良いか」

 オフの日に監督に許可を取り、自主トレをしていた冬休みのある日。

 同じく自主トレをしに来たであろう久実に声をかけられた桃崎。

 同じポジションで同級生でありながら、既にチーム内で結果を出している男。

 普段あまり会話をすることはないが、珍しく声をかけてきた。

 しかし、その様子に違和感がある。

 本人の雰囲気もそうだが、何より持っている道具だ。

 打撃練習だろうが守備練習だろうが、普段なら練習場に必ず持ってくる捕手の防具がない。

 それだけで違和感しかなかった。

「何か用か? 珍しいじゃないか、君から声をかけてくるなんて」

「そうかな。まぁ、入部当初からあまり話す機会はなかったか」

 久実は一軍で寮生、桃崎は二軍で通い。

 クラスも違えば生活環境も実力も違い、交流はなかったように思う。

 中学では自分に自信もあったが、火山に入ってからはそんなものは無駄だと気付き、野球を若干諦めている節もあった。

 きっと自分は来年入ってくる後輩に追いやられて万年二軍、なんてことも頭をよぎる。

 一年でこう考えてしまう程、周りの選手は強烈な存在感のあるやつばかりだったのだ。

 閑話休題。

 とにかく、そんな感じだったので、何を言われるのか探るのも無理はないと思うし、それを責められる言われもない。

 そもそも、下の名前で呼ばれるような間柄でもない。

「御託はいいから」

「ハハハ、まぁそうだね。話があるんだ」

「笠木が僕に?」

「あぁ。……春以降の話さ」

 なんだろう、心当たりがまるでない。

 桃崎は首をかしげる。

「春に、俺の弟が火山に入学してくる。俺の、自慢の弟なんだ」

「え、何その、急な弟自慢」

「まぁ最後まで聞けよ。その弟は投手なんだが、監督の来季構想では、俺と弟のバッテリーを軸にしていくらしい」

「へぇ、入学もしていない段階でそれを公言するなんて、大した弟なんだな」

「そうだ。俺には勿体無いくらいだよ」

 桃崎の頭には、先程から釈然としない何かがあった。

 普段の久実なら、もっとズバズバ物を言う。

 のにも関わらず、何かを言い淀んでいる。

「で、俺はその構想にケチをつけたんだ」

「へぇ……。は?」

「だから、弟とバッテリーは無理だって」

「おいおいおい、どういうことだよ。さっきまであんなに自慢してたじゃないか」

「俺と弟のバッテリーじゃ、火山を強いチームにはできないんたよ」

「だから何で? 監督にそこまで期待される投手と、一年でマスク被ってる君とで監督は戦えるって判断したんだろ? それで良いじゃないか」

「弟単体で見れば、十分全国で戦えるんだ。問題は俺の方さ」

 桃崎は困惑するしかない。

 久実の意図が読めない。

 これだけ捕手として評価されて、一体何が不満だと言うのか。

「俺じゃ弟の力は引き出せない。全国区のバッテリーにはなれない。そういう確信があるんだ。だから、監督に捕手を辞めると宣言してきた」

「は?」

 桃崎はその言葉を聞いた瞬間に、久実の服を掴みあげた。

「笠木、本気で言っているのか君は!」

「ッ、本気だとも」

「君が今いる地位は、球児が高校生活を全て懸けてでも掴みたかったものなんだ! 勿論、ニ年の先輩達もだ! それを、自ら放棄するだと? 冗談も大概にしろ!」

「冗談なもんか。俺は本気だ」

「尚更タチが悪い!」

 手に力が入り、久実の眉間に若干シワがよる。

 桃崎の主張も最もだと思う。

 久実だって努力はしているだろうが、その努力すら実らない人間がいる中、実ったものがとる行動としては最低なものだと思われる。

 少なくとも、二軍で燻っている桃崎にはそう見えた。

「ま、その主張は最もなものだと思うけどね」

「あ!?」

「そう怖い顔するなよ。それを踏まえて、君に相談に来たんだ」

 どういうことだ、と強い口調で問う。

「俺はファーストをやる。勿論基礎練習を積んで、先輩よりも結果を出さなきゃならない。しかし、今、火山に俺を超える捕手はいないと思う。俺だって捕手というポジションに誇りはある。ここまで言い切れるだけの自負もある。それらを放棄してでも、俺は捕手を辞める」

「何故そこまで……」

「それは後々気付くと思うよ。本題は、俺の後釜の捕手の話さ。……三和、俺は君を指名した」

 頭が真っ白になる桃崎。

 今この男は何と言った?

「火山に俺以上の捕手はいない。君を除いてな。そんなわけで、休み明けから捕手として一軍に合流してくれ。それじゃ、邪魔したな」

「は? おい話はまだ」

「これは他の誰が、君自身が何と言おうと、君の実力を評価されての決定だ。……腐るにはまだ早いと思うぞ、三和」


(結局あの後、一度も理由を説明しなかったなアイツ)

 本人は説明した気になっているのかもしれないが、説明が説明になっていないのだ。

 兄弟揃って、思考が高次元過ぎる。

(そういう奴らにこそあるのかもね、プロを目指す資格が)

 しかし桃崎自身、何度聞いてもわからないことをわかろうとする時間はない。

 ならば、目の前の現実にどうにか立ち向かわなければならない。

 これまで積み上げてきたもの、これから積み上げるものを駆使してでも。

 そう覚悟を決めた桃崎の変化を感じ取り、京平は警戒する。

(桃崎さんはヤバい……。国光さん、甘い球厳禁ですよ)

(分かってる。これ以上はやらせん!)

(流れは切らせない! 僕が打つ!)

 アウトローのストレートを叩く桃崎。

 打球は左中間に落ちた。

(しまった! 二人連続で狙われた!)

 ボールを拾うのはセンター藤山。

 桃崎は一塁コーチャーのサインで、既に二塁に走り出している。

(よし、間に合う!)

「駄目だ三和、戻れ!」

 ベンチから久実が叫ぶ。

 えっ、と思った瞬間、二塁ベースに入っていた荒巻のグラブに、ボールが収まっていた。

 タッチアウト。

 客席がどよめいている。

 桃崎も何が起きたか理解できない。

 外野の方を見ると、藤山が火山ベンチを指差していた。

(平業を下級生頼みのチームだと思うなよ)

 その視線には、そういうメッセージが込められていた。

(やられたな……)


 ベンチに戻ると、久実が待っていた。

「すまない。良い流れで繋ぎたかったんだが」

「仕方ない。あれは予測できないからな。藤山は送球が上手くなった」

「嶋や国光と同等かそれ以上、警戒しなければならない選手か」

「そうだ。二人ほど目を惹きはしないが、シンプルに上手い。それでいてスイッチヒッター。十分脅威だよ」

(センターラインが盤石すぎる。星影が抜けて少しは脆くなるかと思ったが、一層固くなるなんて想像できるかよ)

 そう考えつつも、久実の目はどんどんギラついていった。




 火山はこの回、久実の本塁打による1得点のみ。

 1ー1のまま、二回の攻撃を終えた。



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