第89話・決起集会

「友達の家に泊まってくる」

「明日試合だろ」

 家に帰って、部屋で荷物をまとめて、家を出ようとした時の会話である。

「だから道具全部まとめたんだよ。直行するから」

「チームメイトか?」

「大事な話があるんだとよ。俺以外の一年連中も集めてな」

「そうか」

 何気ない応対が続く。

 思えば、親父とこんなにフラットに話せたのは久しぶりだ。

「そう言えば、アドバイス助かったよ。あれのおかげで、逃げ切れた」

「あぁ……」

「何だよその反応」

「まさか、お前が参考にしてくれるとは思ってなかった」

「俺もそのつもりはなかったよ。でも、結果的に助かったんだ。礼は言っとかないとな」

 わだかまりが無くなったつもりはない。

 だが、助けられといて礼も言わないのは、人として違う気がしたのだ。

 どんなに嫌いでも、義理は通す。

 俺だって、少しはそういうことができるのだ。

「それだけ。じゃ、話は終わりだ」

「待て」

 家を出ようとドアに手をかけると、親父に呼び止められる。

「次の火山だけどな……」

「何だよ。相手チームが強いのは知ってるぞ」

「そこじゃない。笠木の兄の方の話だ。高校日本代表の四番が確定した」

「は?」

 おいおいおい、何の冗談だ。

 いや、なるだろうなって思ってたけど、選考前からもう確定するって。

「練習試合でそこそこやりあったようだが、代表レベルの打者だ。ある程度加減していたんだろう。本気でやれば、間違いなく負けるだろうな」

「何が言いたいんだよ。アンタはいつも言い回しがくどい」

「体格も技術も負けているお前が、あの笠木に届く唯一の道があるって話だ。俺にもそういう経験があるし、それをしなかったから俺は負けた」

「そんなのがあるのか?」

「あぁ。それはな」

 親父は顔色一つ変えずに言い放った。

「対戦する打席で、捕手じゃなくて投手のお前がタイムを取るんだ」

「は?それだけ?」

「それだけだ。たったそれだけで、試合は左右されるんだよ。それと」

 まだあんのか。

「何があっても、相棒は大事にしろよ」

「……?分かった。頭の片隅に入れとくよ」

「そうしておけ。頑張れよ、明日の試合」

「おう。行ってきます」

 俺はそう言って外に出た。


「失ってからじゃ、もう遅いからな……」


 親父が最後にボソッと言った言葉は、もう聞こえなかった。




「お、来たか。迅一で最後や。入れ入れ」

「お邪魔します」

 事前にもらった地図に従って辿り着いたのは、郷田宅である。

 彼の両親は共働きで帰りも遅く、姉はちょっとした有名人で基本家にいない。

 なので衣食住はある程度予算をもらって自分でやりくりしているようだ。

 なので八代中四人衆で集まる事も珍しくないと言う。

 その中に俺もいれてもらえるとは、光栄な事だ。

「俺の部屋は上だから、先に行っといてくれ」

「分かった、んだけど、トイレ借りて良いか?」

「おう。そこの突き当たりの扉がトイレや」

「悪いな」

 俺はそそくさとトイレに進む。

 二分くらいで排出を済ませ、扉を開けると。

「んあ?」

「え?」

 下着姿の女性が立っていた。


「ピャァァァァァッ!!??」


「どうした!?じ、んいち……?」

「ピャァァァァァッ!」

 俺は女性の横を駆け抜け、郷田にしがみつく。

「郷田ァ!と、トイレの前に、女の人が」

「いや、何て恰好しとんねん、姉ちゃん」

「ね、姉ちゃん?」

 ブルブル震える俺を見る、郷田に姉と呼ばれた女性。

 彼女の第一声は、

「何でそっちが悲鳴をあげるのよ」

 至極真っ当なツッコミだった。


「ふーん、君が菅原迅一君ね」

「ど、どうも……」

 下着姿だった郷田姉はTシャツとホットパンツ?やたら短いズボンに着替えて俺の頬を突っついていた。

「おい姉ちゃん、そろそろ解放してやれよ。俺ら話があるんやけど」

「うーん、もうちょい。反応が可愛くてさ。どこまで行けるかな」

「思春期男子を、ましてや弟の友達を弄ぶなや!」

 繰り広げられる姉弟漫才と、突かれ続ける俺の頬。

「あ、あの。郷田さん、有名人で家にいらっしゃらないと聞いてたんですけど」

「今日は早上がりだったから帰ってきたの。やっぱ実家は最高だわー。おまけにこんなに面白い玩具がいるんだもん」

「玩具言うな」

 何も言えない俺の代わりに突っ込んでくれる郷田。

 しかし、動くに動けん。

「真紀の後継者?」

「タイプが違いすぎる。ていうか、試合観とるやろ」

「うん。私、迅一君のファンだし」

「じゃあ聞くだけ野暮やろ」

「そうね」

 会話の最中も俺の頬は解放されない。

「あの、郷田さん、本当に離してください」

「んー?郷田さん?二人いるけど?」

「郷田、何とかして……」

「呼び捨てとはいい度胸ね?」

「いや弟の方……」

「んー?生意気なのはこの口かー?」

 俺の頬は突かれる状態から引っ張られる状態になる。

「ま、まひ、なんほかひへ」

「おい姉ちゃん」

「はいはい。それじゃ迅一君、私を名前で呼んでみようか」

「へ……?な、何で」

「リピートアフターミー、水華すいか

「な、なじぇ」

「す、い、か」

「す、水華、さん」

「はい、大変よくできました」

 うりうりと頭を撫でてくる郷田姉、水華さん。

「可愛いなぁこのぉ」

「おっさんくさい。姉ちゃん、もっと現役アイドルの自覚を持ってなぁ」

「何よープライベートだし、弟の友達を可愛がるくらい良いじゃないのよー」

「今なんて?アイドル?」

 そういや、どっかで見た事がある気が……。

「名前くらいは聞いた事あるやろ。現役野球アイドルクリスタルナインのメンバーにして、女子野球日本代表正捕手SUIとは、うちの姉の事よ」

「どうもー、どんなでも捕ってみせます、貴方の女房役、SUIでーす。知ってるかなー?」

 バチコーンとウインクしてくる郷田姉。

 知ってるも何も……。

 俺はすぐさま椅子から飛び降り、頭を垂れる。

「ファ、ファンです。いつも応援してます」

 人生初の、華麗なるダイビング土下座だった。


「えー、一人予想外過ぎるイレギュラーによって消耗しとるけど、始めるで。久しぶりの決起集会や」

「「わー」」

「……」

「うぐぅぅぅ」

「後ろ二人、大丈夫か」

 ドンドンパフパフと口頭で言う田浦と島野。

 膝を抱えて隅っこに真顔で座っている京平。

 そして座布団で顔をサンドイッチして悶える俺。

 ハッキリ言って混沌カオスである。

「てか、俺はともかく、京平はどうしたんだよ。まさか水華さんに?」

「コイツに関してはもう慣れてるから、それはない。京平、いじけんな。その件について話す為に集めたんやから」

 その件?

「俺かて別に不和を起こしたくてあんな事を言ったわけやない。いつかは知らないかんし、ぶち当たる壁になる。そうなる前に話しとかないかんやろ」

「待て、何の話だ?」

「自分達も聞いてないッスよ」

「真紀と京平の間に何かあったの?」

 元バッテリー二人に置いてけぼりにされる俺達三人。

 揉めてんのか、この二人。さっきからの今で?

 真紀は三人の方を向いて話し始めた。

「事の発端は迅一の進化や。準々決勝を終えてから、それまでの試合とは明らかに大きな進化があった。迅一、お前気付いとるか?自分のストレートがどうなってるか」

「あー、うん、まぁ……」

 えー、隠してたのに、もしかしてバレた?

 さっきの何打席かの投球で?

 これ言って良いかなぁ……。いや、悪くはないんだけど、これ多分あれだろ?京平が良くない時の方の反応したんだよな……?

「分かってないのか、分かってて濁してるのかどっちや」

「どっちかと言うと分かってて濁してるの方だけど……うーん」

「全部吐けとは言わんよ。ただ、何をしてるのか部分的にでも言ってほしい。その意識だけでも共有せんと、後々不和になる原因になる。俺達はここから先の試合では完全に格下扱いや。不安要素があればあるだけ確実にそこから崩壊する。だから」

「分かった。分かったって。その面で迫ってくるなよ。怖いから」

 まぁ、それもそうだよな。

 実力のある先輩に言われたからって、それをチームメイトに隠す理由は無いし、むしろちゃんと共有して、成長しなければならない。

 ライバルからのアドバイスも大事だし嬉しいけど、それよりも何よりも、仲間を大事にできない奴に、野球はできない。

 俺も反省しなきゃな。試合前に気付けて良かった。真紀には感謝しないと。

「ありがとうな、ちゃんと言ってくれて」

「え、お、おう」

 言われた当人は戸惑っていた。何でだよ。


「試合の後、尾上さんに会ったんだ。そこで俺のストレートについての話を聞いたんだ」

「じんいっちゃん、気軽に他チームと交流しすぎじゃないッスか?」

「俺も関わりたくて関わってるわけじゃないんだが……、それは置いといて。俺の球質、ストレートの回転そのものが、どういう結果で現れてるかって話になってな」

 尾上さんや神木との事をざっくりとだが話した。

「なるほど、リリース後のブレか」

「あぁ。尾上さんレベルの打者でも対応が難しいらしい。これを磨こうと思ったんだが、その道筋が二つに分かれたんだ」

「二つやと?」

「あぁ。一つはこのブレを大きくする事。そしてもう一つ、ブレを全くのゼロにする事」

 指の使い方によってブレが起きるなら、ブレさせない綺麗なストレートを投げる事も可能だろうと思った。

 百発百中とはいかないけど、五球中三球はブレさせずに投げる事ができるようになった。

 尾上さんや桃崎さんに受けてもらえたから、完成がグッと近付いてきた。

「なるほど。それで京平に投げたのが、ブレないストレートって事やな?」

「自分とマッキーに投げていたのが、ブレる方ッスね」

「そういうこと。まぁ、長年の癖だし、意識しないとすぐに戻っちゃうんだけどな」

「無意識でやってた癖を、たった数日で直したってのか?」

 驚く真紀。

 俺も驚いている。

 初めて投げた時、あまりにもしっくり来たのだ。

 今までのストレートとは明らかに指の掛かりが違う。

 何ていうか、こう、スッと行くような感じ。

 これまでの試合で体感した、調子の良い時のストレートが、自分の意志で使えた。

 他の言い回しが見つからないけど、そんな感じ。

「でもお前らには普通に見えたんだろ?って事は、あんま良くないのか?」

「そうは言っとらんやろ。あのな、誰にでもできる普通ってのは、個々人のレベルがよりくっきりと現れるんやぞ」

「なんて?」

「じんいっちゃんの試しているストレートは、誰にでも投げられる普通の球。でも、だからこそ強いんスよ」

「縫い目がズレると、真っ直ぐ飛ぶように制御するのは難しいんだ。球速も出しながら、同時に回転も掛けるなんて殆ど不可能に近いんだ。それを可能にする程の指の力を、綺麗に縫い目にかけた、全ての力が無駄なく伝わった、良いストレートになってたんだよ。だから、僕らは驚いたんだ」

 真紀、島野、田浦。

 それぞれが色々言ってくれた。

 そうか、彼らからはこう見えていたのか。

 ……でも。

 あと一人。

「お前はどう思ってんだ、京平」

 俺には向き合わなければならない相棒がいる。



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