第88話・偶々

 ・森本京平side


「覚悟しろ、か」

 コイツのこの眼を、敵としてまた見れるなんてな……。

 相棒になってからは、頼もしいと思うようになった。

 だから、こうやって本気で敵対した時の、この緊張感を久しく忘れていた。

 中学の時の、あのホームランを打った打席で見せた、戦闘狂状態ガチモードになった菅原迅一を。

 あの時言った台詞、もう一度言ってやる。

「やれるもんならやってみろ、菅原」

 その心意気、完膚なきまでにへし折ってやる。


 この勝負では俺のリードなし、完全なる迅一発の配球。

 つまり、ある程度コイツ自身の経験則に基づいたものになる筈。

 考えられるパターンは……。

 低めストレート軸のチェンジアップ締め。

 スプリッター、もしくはツーシンカー軸の外でスプリッター締め。

 ストレート一本勝負インハイ締め。

 ツーシームパターンワン軸の外攻め。

 これくらいか。

 普通ならこれらの内のどれか。

 しかし、これは俺がバッテリーを組んでいる場合だ。

 さっきマキにやったスローボールみたいに、普段ならやらせない様なを入れてくるかもしれない。

 もしくは、更にオリジナルを入れて、不意打ちで出すか。

 まぁ、何を投げて来ようと、甘けりゃ打つ。

 多少のボール球でもヒットにできるからな。

 外すならしっかり外せよ。

 さて。

 これらを踏まえて、運命の初球。

 迅一が振りかぶって投げたのは。

「シッ!!」

「フンッ!!」

 真ん中低めストレート。

 ゴンッ、と鈍い音をバットが鳴らし、ボールが転がる。

「ファウルで良いよな?」

「バットだとこんなに重く感じるのかよ」

 うん。当てる事はできる。

 しかし前に飛ばす事ができない。

 少なくとも、今の初球がもう一度来たら、俺はまたファウルにするので精一杯だ。

 準々決勝で最速を更新してからか、球威とノビが上がっている。

(球速だけが理由じゃないだろうけどな)

 何か掴んで、それを実行しているのだろう。

 どう考えてもミットで受けている球とは違う。

 キャッチングしようとした時、狙いを定めたポイントと球が辿り着くポイントが大きくズレる時がある。

 最初は俺が下手になったのかと思ったがそうじゃないらしい。

 迅一のストレート、超回転の暴れ球は、何かしらズレてこちらに進んでくる。

 当人がそれを自覚しているのかしていないのか、多分していないだろうけど。

 俺はこれを伝えていない。

 確信が無いのと、変に意識してスランプになられたら困るからだ。

 俺がコントロールできなくなる可能性もある。

 投手と捕手、最低でも二人の人間が関与する空間。

 そこに打者、審判、下手すりゃ走者守備陣だって関与してくる。

 その中の不確定要素は数え切れない。

 俺達捕手ができるのは、投手が楽に投げられるように、不確定要素をできる限り削ってやる事。

 周囲への警戒、理解、情報の取捨選択。

 捕手が投手を守る。少なくとも俺はそうやってきた。

 現状確信が持てないその武器真っ直ぐに、余計な不確定要素を持ち込んではいけない。

 少なくとも、大会中にやることではない。

(現にそれで勝ってきてるんだ。不安になる事なんか……)

 二球目を投げようと振りかぶる迅一。

 投げてくるのは、緩急を意識したチェンジアップか、それともコースを変えてストレートか。

 放ったのは、

(ストレート!)

 ッン。

 音にもならない掠り。

 ボールは軌道を変え、横に転がっていく。

(今の、ブレ幅が……)

 冷や汗が流れる。

 今のは、これまで受けてきた球のどれにも当てはまらないストレート。

 これまでも滅茶苦茶な軌道ではあったが、今のは間違いなく過去最高。

 到達点の予想を遥かに逸れたストレート。

 投げた当人を見れば、あーでもないこーでもないと何か考えている。

 その様子を見て、ふと、ある可能性が俺の思考に浮上してきた。

……?)

 まさか、気付いたのか?いや、そんなわけない。俺は伝えていない。

 ならどうやって?まさか自分で、いや、もしかして誰か別の人に言われたのか?そうだとしても、これ程のクオリティになるか?

 色々考えつくが、雑念を振り払う。

 今は勝負に集中するんだ。

 勝負に……。

 三球目、襲いかかってきたのは、


 キィン、バシィッ!


「……あ」

「っぶね」

 俺の両腕に手応えを残して飛んだ球は迅一のグラブに。

 そこは問題ではない。今来たストレートそのものが問題なのだ。

 横を見れば、マキ達も驚いている。

 正面から見ていれば、もっと驚いた事だろう。

 これが、迅一の、今。

(こんな、こんなのって……)

 俺達の勝負は、ピッチャーライナーで決着を迎えた。

「よっしゃ、リベンジ成功!」

「おいおい、まだ終わっとらんぞ」

「そうッスよ。自分達の仲間は、後一人いるんスからね」

 迅一がガッツポーズをしている横からマキとイサムが言う。

 そう。さも当然の様に存在感を消して、ネットの裏で審判をやっているんじゃないよ、お前は。

「その通りだ。シュージ、お前も相手してやれよ」

「……え、僕?」

「バーカ、俺達の仲間の田浦修二はお前しかいないんだよ」


「う、打たれた……。郷田や京平を抑えたストレートだったのに……」

「ちげぇよ。いつもと同じだっただろ」

「京平に投げたストレートではなかったな。俺に投げたのはスローボールやし」

 あの後、迅一は渾身の一球をシュージに完璧に捉えられ、ホームラン級のアーチを打たれたのだった。

「いや、もしかしたらライトフライだった可能性も……」

「ねぇよ。あれは確実に入ってた」

「重量級打者並みの放物線だったッス」

 俺達の言葉で膝を付く迅一。

 全く。このまま試合に行ってたら、試合中にこのテンションだったな。

 シュージに折ってもらって良かった。

 まぁまぁと迅一を宥めるイサムとシュージ。

 その三人から少し後ろに引いて、俺はマキに話しかけた。

「迅一のストレート、正直どう思った」

「一言で表すなら、やな」

 ごく普通。

 基本、平均、汎用、一般的。

 何とでも受け取れる、万人に当てはまる表現。

 それは菅原迅一にとっては普通ではなく、異質となる。

「やっぱりそうか。暴れ球って感じじゃない、基本的なストレートだよな」

「そう、基本。何の変哲もない、綺麗な真っ直ぐ」

 誰かの入れ知恵か?それとも自分で?

 何にせよ、これは良くない。

 異質な特徴を持つストレートだから通用してたものを、急に普通の次元に落とし込んでしまえば目も当てられない。

 速くはなってるが、あの球速で暴れてないなら牽制にすらならない。

「癖になる前に何とかしねぇと……」

 ボソッと呟くと、マキが足を止める。

 それに気付いて振り向くと。

「なぁ京平。お前、迅一を何だと思っとる?」

「え?」

 マキの顔は少し強張っていた。

「何だと、って?」

「確かにあのストレートは真っ直ぐとしては普通。何の特徴も面白みもない。せやけど、俺はあのストレートに感動したで」

 マキの言葉に、俺は頭を殴られたような気分になった。

「感動しただって?お前が、あれに?」

「おう。俺には投げられんよ。あんなに真っ直ぐは。あのレベルまで持って行けたなら、喜ばしいことやろ」

「おいちょっと、待て。待てよ……」

 俺は一歩ずつマキに歩み寄る。

「確かに綺麗だったさ。それは認めるよ。でもよ、これまでのアイツのストレートを凌駕する程のものだったかよ?」

「……」

「それはもっとフィジカルに恵まれてて、球速や制球が良い奴ならの話だ。あんなごく普通のストレートが、ここから先の強打者達に通用するかよ。先のステージで戦える武器になるかよ」

「さぁ」

「さぁ!?今さぁつったのか!?俺はあの暴れ球に惚れ込んだんだ!全国まで行った俺達八代中の誰もがまともに打てなかったあの暴れ球に!コイツは、この武器を磨けば、必ず全国に行けるって!」

「京平は打ったやろ」

「偶々振ったとこにボールが来ただけだ!俺含め狙って打てたヒットは無いんだよ!格の差なんかひっくり返す程のあの暴れ球に惚れたんだ!なのにここに来て、それを捨てるかよ!?」

「その偶々で夏が終わるんやぞ。一人の投手が壊れるんやぞ、京平」

「は……?」

「お前気付いとるやろ。あの暴れ球、握り云々以前に、フォームの不安定さありきで初めて成立してること」

 マキも俺に向かって進んでくる。

 俺はその圧に後退りした。

「今はそれで通じる。迅一は習慣になってる基礎練のおかげで怪我もしないし、大きなミスもしていない。でも、その強みを活かすまでには至ってない」

 一歩、また一歩と近寄ってくる。

「あの力に振り回されない様に、踏ん張ってるだけや。あれならいずれ身体を壊す。そうでなくても、頭打ちになる。お前の言う偶々で投手として致命的なダメージを負う。心身問わずな」

 徐々に距離が詰まってくる。

 俺も後退してるのに、マキの方が近くなってくる。

「試合の中で少しずつ進化できるのが迅一の強みやし、火山や海王にも通じるようになるかもしれん。でも、ボコボコにされる可能性だってあるんや。偶々な」

 やめろ。

「何で分かるみたいな顔しとるな。教えてやろうか。何を隠そう……」

「うわっ」

 胸倉を掴まれた。

「俺がそうだったからや。壊れる前に気づかなかった。ほんの些細な不安定さが生んだ偶々にぶっ壊された一人が俺や、京平。お前知らんかったやろ」

 マキの言葉に、また俺は頭を殴られたような感覚になった。

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