第86話・田浦修二

「笠木鈴の、スライダー……!?」

「うん」

「うんってアンタ、明後日試合ですよ!?」

「だからだよ。二日で習得できるもんでもないし、されたら脅威だから、これが一月前なら教えなかったよ。何しろ、今や鈴のウイニングショットだからね」

「えぇ……?」

「さっきも言ったけど、ストレートが決め球の奴にストレートを見せてもらったんだ。だったらこちらも決め球を教える。これは僕なりの筋の通し方だ。強い相手とはフェアにやりたい。……去年、託してくれた先輩達には悪いけど、その意地だけは譲れない」

 桃崎さんには桃崎さんなりの考えがある。

 俺も最近、安定より勝負の楽しさを優先してしまう癖があるから、それについて何かを言う資格はない。

 ただ、この癖が良くないものという自覚があるもんだから、他の人がそれを言い出すとビックリする。

「まぁ、投げられるかどうかは別としても、ヒントにはなると思うよ。あの練習試合を得て、鈴のスライダーは完全な進化を遂げた」

「進化……?」

「左のアウトコースに投げる事でしか制御できなかった旧スライダー。それをインコースに投げられるようになったのが今のスライダー。少なくとも、あの曲がりなら火山にも打てる奴はまず少ないよ」

 あの練習試合で投げていたスライダーは、見る奴が見れば一瞬でアウトコースにしか投げられないと分かる程度の物だった。

 格下と舐めている平業相手に使える程度の、試作品変化球。

 それをハッキリと、進化して決め球になったと言うのだ。

「ま、あくまでも教えるのは旧スライダーの投げ方だよ。それをどう使うかは君次第だけどね。極めるも良し、新型攻略の糸口にするも良し、新たな変化球に昇華するも良し」

「いや、それでも十分過ぎるでしょ……」


「って事があったんだよ」

「これから戦うっていう敵のキャッチャーと何やってんだお前は」

「しかもオフにトレーニングするとか、どんだけ練習の鬼やねん」

「前もあったッスよね、こういうの」

「敵に好かれる癖でもあるのかい、菅原君」

 経緯を説明すると、八代中四天王にメッタクソに言われた。

 俺だって好きで巻き込まれたわけじゃない。

「で、そのスライダーは投げられるようになったのか?」

「……まぁ、ある程度形になっただけ、だけどな」

「へぇ、すげぇじゃん」

「けど、アウトコース限定のスライダーなんて笠木鈴だから使えていただけだからな。俺が投げても何かなぁって感じだぞ」

 投げられるようにはなったが、使えるようになったわけではない。

 結局アウトコース限定っていうのがネックになりすぎる。

 高低で多少変化は付けられるものの、それでも余程正確にコントロールできない限りは外れるか甘くなるかのどちらかだ。

「そもそも何で外限定なんだ?曲がり過ぎるから、当てるのが嫌で外に投げてたんじゃねぇの?」

「それもあるけど、外に投げないと曲げれないんだよ」

「は?」

「実際に見た方が早いだろ」


 教わったスライダーを投げてみた。

 内、外、高、低。

「ほらな。インコースに投げると、曲がりきらないんだよ」

「本当だ……」

「けどこれが強みでもある。曲がりきらない事で、強烈なクロスファイヤーにもなるんだよ」

 球速はストレートと大差なく、本来は大きく曲がる筈のスライダー。

 しかしキレが良すぎる、変化が打者の直前であるが故に、外に投げる事でやっと曲がりきるスライダーになる。

 では内に投げるとどうなるか。

 答えは簡単。

 大きな変化は封じられ、

 つまるところ、

「インコース専用カットボール……?」

「正解」

 左打者のインコースを抉るように切り込んでくるカットボールの完成だ。

 ほぉ、と感心しながら郷田が言う。

「このスライダーを覚えるだけでついでにカットボールも覚えられた、というわけやな」

「そうなんだよ。ただなぁ、問題は鈴さんがこれとは別に、スライダーとカットを習得してるってことなんだよな」

 桃崎さん曰く、インコースにも投げられるスライダー、そして外にも投げられるカットボールを新規に習得したという。

 どちらもこの旧スライダーがベースとなっているらしいのだが、何にせよその正体はイマイチ掴めない。

 京平は頭をボリボリ掻いて、

「新球の方は実際に試合で見極めるしかないか」

 郷田はバットを取り出しながら、

「取り敢えず旧スライダーもまだまだ現役なんやろ。それを打てるようにすれば良いんやな」

「おいおい、俺は左投げだぜ。右投げの鈴さんの練習にはならねぇぞ」

「じゃあどうするよ。明日試合だってのにそれ以外にできる事もねぇぞ」

 言いながらバットをぶん回す強打者二人と、それを何とか止めようとする二人。

 それを横目に、俺はグラブを着け直しながら言った。

「今回の難題は変化球の攻略じゃなくて、その先にある超フォーシームだ。だから、それをクリアするんだよ」

「超フォーシーム、ってさっきの話にも出てきたよな」

「話を聞いた感じだと、鈴さんの真っ直ぐは俺と似たような強化をするらしい。つまり、俺の真っ直ぐを磨けば鈴さんの真っ直ぐに近付いていくってわけだ。ベースの真っ直ぐが違うから感覚は若干変わるけどな」

「理屈の上ではそうだけどよ……。マキ、どう思う?」

「最近球速も上がっとるし、ええんやないか」

 俺達の会話を聞き、島野はケラケラ笑いながら忠告してきた。

「先輩達もそれぞれ練習してるみたいだし、良いと思うッス。でも、午後からの全体練習までには止めるッスよ」

 島野は割とこの四人衆の纏め役的な立ち位置にいる事が多いな。

 意外とキャプテン向きなのかしら。

 その島野の後ろから、田浦が更に発言した。

「それは僕に任せて、勇も打って来なよ」

 ホラ、とバットを渡して島野の位置と入れ替わる。

 打席側に押し出される島野はフラッとしながらも踏み止まった。

「京平達のせいで感覚麻痺してるみたいだけど、勇も十分出番ある打撃能力なんだから、練習しないとね」

「いやー、烏丸さんいて自分の出番は無いんじゃないッスかね」

「そんな事ねぇだろ。俺らの中では一番のアベレージヒッターなんだからよ」

「せやで。もっと自信持てや」

 京平と郷田のお墨付き。

 流石の島野も烏丸さんという存在に萎縮してしまっている所はある。が、単純な内野を抜けるヒットを打つ力は烏丸さんにも劣って無い筈なのだ。

 守備能力も申し分ないし、どこで出番が来るかは分からないが、それでも遠慮する理由にはならない。

 もっと積極的になっても良い筈なのだが。

「うーん、分かったッスよ。自分も練習するっすから、まずは京平ちゃん達からやってるッスよ。こっちはまだアップしてないんスから」

「「へいへい」」

 島野は早速アップに取り掛かる。

 俺は田浦に話しかけた。

「……良いのか?」

「うん、僕はベンチに入れなかったから。こういうサポートは進んでやらないと」

「そうじゃなくてよ。何ていうか、もっとこう……」

「悔しがれ、かな?」

 俺は言葉に詰まっていた。

 田浦は八代中からスカウトされてきた四人の内の一人。

 だが、その四人の中で彼だけが背番号を与えられなかった。

 しかも、自分達が負かした弱小校の投手には背番号が与えられている。

 俺が着けている17は本来、田浦修二が着ける筈だったものだろう。

 コイツには何か言われてもおかしくない。恨まれても仕方ないと、どこかで覚悟していた。

 でも、田浦は何も言わない。静かに微笑み、京平達のサポートを徹底的にこなしている。

「心配されなくても、ちゃんと悔しいよ。事前に先輩達とレギュラー争いをする事になるって監督には言われてたから、負けないように努力はしてきた。でも負けた。こればかりは自分の責任だ」

 田浦は、微笑みながら言う。

「でもね、悪い事ばかりでもないんだ。努力する為の理由や目標ができたし、何より皆のプレーを、尊敬する菅原君のプレーを集中して見れるからね」

「そうか……ん?」

 今なんつった?

 尊敬する、誰?

「すまんもう一回言ってくれ。尊敬する、誰だって?」

「だから、菅原君だって。君の事じゃないか」

 田浦が俺を尊敬?何の冗談だ?

 もしかして柊古の事か?そうか、過去にアイツのファンになって、それで双子の俺と勘違いしたんだな。

 きっとそうだ、そうに違いない。

「京平達も知らないんだけど、小学校の部活でさ、練習試合やったんだよ。その時に対戦したんだ」

 部活で対戦したという事は、その対戦相手は紛れもなく俺である。

 でも俺、あの時は外野手だったんだよな。

「中学で試合した時はびっくりしたよ。まさか投手になってるなんて思いもしなかったからさ」

「そりゃそうだろ。こっちだってまさか投手辞めてるなんて思わなかったぞ」

「八代中は強者揃いだったから、僕は投手として通用しなかったんだ。それでも野球を続けたくて、野手に転向した。それで君と再戦できたから、結果的には良かったのかな?」

 ハハハと笑う田浦。

 しかし俺の中には未だに大きな疑問が残っていた。

「それで、過去に俺と対戦したからって、何で田浦が俺を尊敬するんだ?俺はこれまでの野球人生で、人から憧れられるようなプレーをした覚えは無いぞ」

「んー何だろ。フィーリングかな?」

「直感かよ……」

「本当に明確な理由は無いよ。試合中の君は誰よりも野球を楽しんでいた。その姿に僕達は惹かれたんだ。それが僕は三人より少し早かっただけさ」

 打って、守って、走って、投げて。

 とにかく一生懸命、皆に着いていこうとプレーした。

 弱小チームにいたから、我武者羅が許されていたのもある。

 思うがままに全力で。負け続けた末に辿り着いた俺の根底。

 いつかできなくなる、大好きな野球に一心不乱に打ち込む為の答えが、こうして強者達に認められるのは、素直に嬉しい事だ。

「僕の目標は、君と一緒にプレーする事。そして、もう一度勝負する事さ。だから待ってて。必ず追い付くから。そして勝つよ。他のチームにも、このチームにも」

 田浦修二という男は、自分を地味だと言った。

 だが、本質は心の奥底、熱い心を滾らせている男だ。

「……おう、楽しみにしてる。俺も勝ってるつもりはねぇけど、負けないようにもっと頑張るぞ」

「うん」

 満足そうに頷く田浦。

 視界の端では京平達が戻ってきていた。

「よっしゃー準備完了、って、何か楽しそうだな?」

「別に。そら、時間ねぇぞ。やるならさっさとだぜ」

「おう。さぁ来いや!」

 菅原迅一対八代中四人衆、再戦。

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